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詩人 入沢康夫について

 
「詩は果たして表現であるのか。詩は作者の表現したいものを表現する手段なのか。詩人はまず表現したいもの(ヴィジョン・感情・思想・体験その他)を持ち、次にそれを読者と共有するために作品化しようとして、表現につとめるもののことなのか。この素朴な、だからこそ根本的だと思われる問いに、否と答えることから、ぼくはしを書いてきたし、これからも書くだろう。」
「詩人がいて、その詩人が何かその人独自の伝えたいことを持ち、それが表現されて作品が産まれ、読者はその作品を読んで、作者の伝えたいことを持ち、それが表現されて作品が産まれ、読者はその作品を読んで、作者の伝えようとするものを正確にキャッチし、そしてそれに十全に共感する、という図式を、詩に関してはぼくは信ずることができない。」
『詩の構造についての覚え書』


 散文詩「秋の悲嘆」を冒頭に置いたあの創元社版の『詩集』との出会いは、当時詩のとばっ口でうろうろしていた私にとっては、きわめて決定的な事件だった。この本と出会うことによって、私は「詩」についての一つの確信を持てた--いや、この本は、確信を与えてくれたというよりも、私の心から最後の支えをとりのぞいてくれた、と言うほうが実情にあっているかも知れない。
 その頃、急激に私の前に立ち現われてきたいくつかの詩集(それらもまたたいては創元選集書版か創元文庫版だった)によって詩への興味を日に日に強く持ちはじめていたのだったが、それでもなお詩からへだてていたものは、詩とは煎じつめれば自己の思念や思想、または印象や情緒の「表現」でなければならず、したがって詩を書くためには、先ず、表現すべき独特の「私」が把握されていなければならないという考え方だった。
この、いかにももっともらしく見える考え方が絶対だとすれば、それは私が詩を書くときの感じとはかなりずれていた。詩を書こうとするときには、表現すべき 自己などというものは(筆をとるまではごく漠然とながら存在していたとしても)たちまち霧散霧消し、あとに残るのは、散文でこそ述べるべき思念ばかりで、いったい自分は詩でもって表現すべき「自己」があるのだろうか、とはなはだおぼつかない思いをしていたのであった。
 富永太郎の詩は、そんな私に、「詩は《作品を通して自己を表現する》ものではなく、むしろ《作品の中に自己を創り出す》ものであることを」示してくれた。表現すべきことがあらかじめあって、それを表現するのが詩の役目だとすれば、それは所詮私とは無縁だが、《作品の中に自己を創る》ことを可能にするのが詩なら、それは私にとって唯一の生きる道ではないか。そんなふうに思えたのである。
『詩の逆説』


日常の言葉は、それを「発する者」と「受け取る者」と、そして状況との、三者の関係において意味を持つのだが、詩作品の中では、言葉はこのような関係からいったん切り離された「だれも語らぬ言葉」「語り手のない言葉」として出現し、あらためて相互に関係づけられて、いわば「意味を超えた意味」のうつわとなろうとするのだ。
『詩についての三つの断章』

作品ににせの、しかしそれなりに堅固な構造性を与え、その構造性が、作品そのものの成立のまさにその瞬間に無残な破れ目を露呈し、この破れ目から作品内の時間と作品外の時間とがどっと交わり合い火花を上げるそういった作品(……)の可能性を、私ははるかに思いうかべているのだ。
『詩についての三つの断章』


何よりもまず、「詩には作者の気持が述べられてある」という《迷信》から脱け出そう。気持を述べるのは、散文の仕事だ。詩は述べない。詩は問いかけ、詩は求める。詩は探索し、詩は発信する。詩は、言葉で組み上げられた、内的宇宙(インナー・スペース)の探査衛星(チャレンジャー)だ。
日常の、しごくありふれた言葉も、詩人によって選ばれ、あたらしい組合わせの中に取り込まれて、魂の夜空に打ち上げられると、それはいまだかつて誰一人耳にしたことのない不思議なメッセージを、――しかし、内的宇宙の《真実》に深くかかわるこの上なく正確な諸データをいっぱいに含んだメッセージを、読者の心に直接送り届けてくる。
詩は、言葉で造られた、内的宇宙の探査衛星だ。ひとたび打ち上げられると、それは常に探索し、常に発信をつづけている。とうの昔に世を去った萩原朔太郎や宮沢賢治や中原中也の詩、もう何十年も以前に書かれた作品が、今でも私たちの心を揺さぶるのは、そのせいである。
詩に接するのに《解釈》はいらない。頭で詩を理解しようとすることには、何の益もない。すぐれた絵画や音楽や映画に感動しているとき、私たちは《解釈》しているだろうか。大切なのは、解釈ではなくて、心を開いてメッセージを《感じ取る》こと、《共に魂をふるわせる》ことだ。数々の詩は、そうした内的宇宙の探査衛星からの発信の種々相である。読者は心のアンテナをのびやかに大きく開いて、微妙なメッセージを《感じとろう》とこころみていただきたい。
「魂の探査衛星」入沢康夫 『詩のレッスン』




■ 詩を読まない人のための詩人講座 第六回 入沢康夫

 何ともやっかいな詩人を採り上げてしまったものである。しかし、一度決めたからには、筆を先に進めなければならない。

 入沢康夫は難解な詩人である。とても一筋縄ではいかない。僕のような素人が立ち向かうなど、あまりにも無謀な試みなのかもしれない。だが、入沢康夫の詩は難解であると同時に、得も言われぬ不思議な魅力を湛えていて、素通りすることなどは許されない強さを持っている。何といっても、この詩人は戦後日本の現代詩を代表する詩人であり、日本の詩について語る時にはどうしても外すことは出来ない。

 入沢康夫の第一詩集は、一九五五年に出版された『倖せ それとも不倖せ』である。このタイトルだけを見るとべたべたに甘い詩を想像してしまうかもしれないが、事はそう簡単ではない。まず、詩集の冒頭に置かれた「失題詩篇」を見てみよう。



  心中しようと 二人で来れば
   ジャジャンカ ワイワイ
  山はにっこり相好くずし
  硫黄のけむりをまた吹き上げる
   ジャジャンカ ワイワイ



  鳥も啼かない 焼石山を
  心中しようと辿っていけば
  弱い日ざしが 雲からおちる
   ジャジャンカ ワイワイ
  雲からおちる



  心中しようと 二人で来れば
  山はにっこり相好くずし
   ジャジャンカ ワイワイ
  硫黄のけむりをまた吹き上げる



  鳥も啼かない 焼石山を
   ジャジャンカ ワイワイ
  心中しようと辿っていけば
  弱い日ざしが背すじに重く
  心中しないじゃ 山が許さぬ
  山が許さぬ
   ジャジャンカ ワイワイ



  ジャジャンカ ジャジャンカ
  ジャジャンカ ワイワイ



  (「失題詩篇」全行)



 祭りの囃子歌のような「ジャジャンカ ワイワイ」というリフレインが、心地よいリズムを作り出している。詩というよりも歌詞のような趣を持った作品である。内容の方はといえば、心中しようとする男女が火山の噴火口のあたりまで来て迷っているというものである。噴火口を覗きこんではみるが、やはりためらいがあるのだろう。そこに佇んだまま動けない。そんな絵が頭に浮かんでくる。だが、もくもくと吹き上げる煙が二人を急き立てているようにも思える。おそらくこの「ジャジャンカ ワイワイ」というオノマトペは、硫黄の臭いの中から立ち昇る煙の音でもあるのだろう。

 心中という、どうやっても重くなってしまいそうな題材を、軽いタッチでさりげなく描いているところに、詩人の手腕が発揮されているが、これを読んだ人の中には、重くなるべき題材をあえて軽く扱うことに嫌悪感を抱く人もいるかもしれない。だが、ここで既に入沢康夫という詩人の一筋縄ではいかないところが表れていることも確かである。「失題詩篇」というこの詩は、詩集『倖せ それとも不倖せ』の奇妙さと多様さを予告すると同時に、入沢康夫の全詩篇の予告の役割を果たしているとも言える。

 いったいどれを選ぼうか迷ってしまうが、『倖せ それとも不倖せ』からあと二篇引用してみよう。



  広場にとんでいって
  日がな尖塔の上に蹲っておれば
  そこぬけに青い空の下で
  市がさびれていくのが たのしいのだ
  街がくずれていくのが うれしいのだ
  やがては 異端の血が流れついて
  再びまちが立てられようとも
  日がな尖塔の上に蹲っておれば
  (ああ そのような 幾百万年)
  押さえ切れないほど うれしいのだ



  (「鴉」全行)




  彼女の住所は 四十番の一だった
  所で僕は四十番の二へ出かけていったのだ
  四十番の二には 片輪の猿がすんでいた
  チューヴから押し出された絵具 そのままに
  まっ黒に光る七つの河にそつて
  僕は歩いた 星が降って
  星が降って 足許で はじけた



  所で僕がかかえていたのは
  新聞紙につつんだ干物のにしんだった
  干物のにしんだつた にしんだった



  (「夜」全行)

  (原典では三回出てくる「にしん」すべてにに傍点)



 入沢康夫の多様さを知ってもらうために、あえて傾向の違う二篇を引いた。

 「鴉」は、一読して折り目正しい抒情詩のように見える。これはこれで立派なものだし、鴉に託して文明社会を批判的に捉える思想性のようなものも表れていて面白い。だが、もう一方の「夜」はこの詩人の本領発揮である。何故「四十番の一」や「四十番の二」といった数字が必要なのか、何故「干物のにしん」をかかえているのか、どこにも合理的な説明はなされていない。しかし、読者はそこに奇妙な魅力を感じ取ってしまう。どこかの団地に美しい女が住んでいて、同じ団地の別の部屋には「片輪の猿」が住んでいて、語り手は女の部屋には向かわずに、あえて「片輪の猿」の部屋に向かう。「干物のにしん」という土産物を携えて。

 深読みしてみれば、これもまた「失題詩篇」と同じように詩人がどんな詩を書くかの宣言になっているのかもしれない。美しい女に代表されるようなまっとうな抒情性の方には向かわずに、「片輪の猿」のような奇妙な抒情をつくり出そうという宣言のようにも思えてくる。そうすると、第一連最後の「星が降って 足許で はじけた」という一行も、日本の近代詩にあふれていたまっとうな抒情が砕け散るさまを表しているようにも読める。

 『倖せ それとも不倖せ』には実に多彩な詩篇が収められており、ここに紹介した三篇だけではとてもその面白さを伝え切ることが出来ない。ある意味ではデビュー作として完璧な詩集であるが、入沢康夫はここで獲得した豊穣さに安住することなく、次から次へと独自の詩の世界を構築してゆく。ここではとてもそれらの詩業を紹介するだけの余裕はないが、あえてひと言いえば、『ランゲルハンス氏の島』(一九六二年)の擬物語詩という性格と『季節についての試論』(一九六五年)での散文詩の完成は、後に与えた影響を鑑みても特筆に価する。

 六〇年代と言う激動の時代を締めくくるかのように、詩人は大作『わが出雲・わが鎮魂』(一九六八年)を発刊する。「わが出雲」と題された長篇詩と「わが鎮魂」と題された膨大な量の註からなるこの詩集は、日本現代詩の金字塔のひとつと言っても過言ではない。既に多くの詩人や批評家によって語られてきたこの作品に、いまさら僕が何かつけ加えることはないかもしれないし、僕の未熟な腕でこの複雑に入り組んだ作品を読み解くことは不可能なのかもしれない。だが、入沢康夫を語る時にはどうしても外せない作品であるし、あえていくらかの引用と説明を施しておくことも無駄ではないだろう。



  やつめさす
  出雲
  よせあつめ 縫い合わされた国
  出雲
  つくられた神がたり
  出雲
  借りものの まがいものの
  出雲よ
  さみなしにあわれ



  (「わが出雲」Ⅰより)



 全十三章に及ぶ「わが出雲」の書き出しの部分である。「わが鎮魂」での詩人自身による註によれば、三行目の「よせあつめ」から七行目の「借りものの まがいものの」のあたりは、この作品の構成の一面についての説明であるとのこと。詩人の故郷である「出雲」(現在の島根県)を舞台にして、「記紀」や昔話などの日本の神話を援用し、そこにさらにキリスト教の伝説や過去の文学作品からの引用を巧みに織り交ぜてつくりあげられたのが「わが出雲」という長篇詩であり、冒頭の数行でそれを宣言することによって、読む者をこの複雑なテクストの中へと導き入れている。

 このようにして始まった詩は、「友のあくがれた魂をとりとめに来た」(第Ⅱ章)男の物語を中心に、その物語を隠れ蓑にして、さらにテクストの奥へ、神話の奥へと読者を誘ってゆく。冒頭で「まがいものの/出雲よ」と呼びかけられているように、ここには本当のものはいっさい存在せず、「本当の出雲」という中心の周囲を巡りながら、その中心には決してたどりつくことが出来ない、永遠の回転運動のような趣をもって読者を幻惑してゆく。膨大な引用を詩行の中に違和感なく溶けこませる(あるいはまぎれこませる)とともに、形式の面でも文字が十字の形に配列されていたり(第Ⅱ章)、行を追うごとに文末が一文字ずつ上がっていったり(第Ⅸ章)、鏡文字を使用したり(第ⅩⅡ章)と、様々な試みがなされている。それまで詩の世界で試みられてきた手法をひとつにまとめたようでもあり、頭で理解する以上に、肌でそのすごさを実感出来る稀有の作品であるといえる。

 この一大記念碑のような大作の後、入沢康夫はいくつかの拾遺詩集を間に挟みながら、一冊でひとつの世界を構築するような優れた詩集をいくつも発刊してゆくことになる。『かつて座亜謙什(ざあけんじゅう)と名乗つた人への九連の散文詩』(一九七八年)では、一篇の詩を手がかりにして、その詩を元にした(あるいはその詩の元となった)いくつものヴァリアントを提示してみせ、「詩集」という書物の概念でさえも揺さぶってみせた(私見だが、こうした方式は、音楽でいえばシングル盤に同じ曲の異なったリミックスが収められているのを連想させる。七〇年代の時点で言葉だけでそれをやってのけたことは驚嘆に値することだと思う)。『牛の首のある三十の情景』(一九七九年)は、何度読み返してもわからない難解な詩集だが、そのわけのわからなさは「わが出雲」の時と同じように肌でそのすごさを実感することにつながっている。一種の迷宮、「わが出雲」のそれよりもさらに暗い、不気味な迷宮のような趣を湛えていて、わけがわからないけれどもどうしても惹かれてしまう。



昨日の昼屠殺された牛どもの金色の首が、北東の空に陣取つて、小刻みに震へながら、(今、何時だらう)わたしたちの、わたしの、中途半端な情熱の見張り役をつとめてゐる。わたしたちは、わたしは、藻のやうな葉をなま温い風にしきりに漂はせる樹々に背を向け、地べたで、安つぽい三十枚ばかりのプログラムを次々に燃やし、その光でもつて、石柱の表面にはめ込まれた縞瑪瑙の銘板の古い絵柄を読み解かうとする。少くとも、読み解かうとするふりをしてゐる。すでにいくつかの意味をなさない文字が、わたしたちの、わたしの、ひそめた眉の間から生まれて、燐光を放つ熱帯魚さながらに、闇の中へと泳ぎ去つた。
  (「牛の首のある六つの情景」1)



 詩集冒頭の「牛の首のある六つの情景」の書き出しの部分だが、ここですでに詩集全体のモチーフが要約されているように見える(「わが出雲」もそうだが、入沢康夫の詩集には、このように冒頭で全体を予告するような仕掛けが施されているものが多いような気がする)。謎めいた「牛の首」というイメージよりも、全体を通して必ず「わたしたち、わたし」と二重になっている人称代名詞に、この詩集を解く鍵が隠されているような気がするのだが、悪夢のような異様な言葉の群れの中で、ただ迷いつづけることしか、いまの僕には出来ない。これは物語でもメッセージでもなく、一種の記号のようなものではないかという、そんな思いが頭の隅をかすめるだけだ。

 こうした読み解くのに骨が折れる詩を量産した後、八〇年代以降の入沢康夫は、やや私的な方向に言葉をシフトさせているように見える。それでも、言葉によってまがいものの詩をつくりあげてきたこの詩人のことであるから、それは一面に私的なものになっているわけではなく、『死者たちの群がる風景』(一九八二年)や『漂ふ舟』(一九九四年)のように、ひとつの仮構された物語の中に私的なものがまぎれこむといったものになっている。語り口は自然に、よりソフトになったものの、まだまだまがいものの言葉をつくりあげようという意欲は衰えていないのではないだろうか。

 入沢康夫は、おそらく日本の詩の流れの中で最重要の詩人のひとりであろう。それまでの日本の詩は、ともすると感覚と感傷に頼りがちであったが(吉岡実の初期の詩や「荒地」の詩の多くも、感覚によって出来ていると僕は思う)、入沢康夫の登場以降は、言葉でひとつの世界を構築するということが一般的になってゆく。頭脳でつくりあげる詩、そうした自らの詩作を詩人は「まがいもの」と呼んだのだが、このある種の人にとっては敬遠したくなるような種類の詩は、以後、日本の現代詩の主流になってゆく。感覚の詩から頭脳の詩へ。だが、入沢康夫も、おそらく頭脳だけで詩をつくってきたのではないだろう。近年になって私的な要素が詩の中に入りこんできていることを考えても、この詩人はおそらく頭脳と感覚の狭間に立つ詩人なのではないだろうか。入沢康夫が第一詩集『倖せ それとも不倖せ』を発刊した五〇年代は、一方で「感受性の祝祭」と呼ばれた大岡信や谷川俊太郎などの詩人が登場してきた時代でもある。それを思うと、デビュー時の入沢康夫はさぞかし異端に見えたことであろうと想像される。だが、六〇年代、七〇年代と時代が下るにつれ、入沢康夫が提示した方法論(実作とともに、詩論集『詩の構造についての覚え書』などが有名だが)は現代詩の世界では一般的な手法になってゆく(それとともに一般の人々が次第に詩を読むことから離れてゆくのだが、それはまた別の話である)。そういう意味では、入沢康夫は現在書かれている詩の礎を築いた「現在詩」の始まりに位置する詩人なのではないだろうか。


 (入沢康夫・いりさわやすお)一九三一年島根県生まれ。
  主な詩集
 「倖せ それとも不倖せ」(一九五五)
 「ランゲルハンス氏の島」(一九六二)
 「季節についての試論」(一九六五)
 「わが出雲・わが鎮魂」(一九六八)
 「かつて座亜謙什(ざあけんじゅう)と名乗つた人への九連の散文詩」(一九七八年)
 「牛の首のある三十の情景」(一九七九年)
 「死者たちの群がる風景」(一九八二年)
 「漂ふ舟」(一九九四年)
 「遐(とほ)い宴楽(うたげ)」(二〇〇二年)

(二〇〇五年九月・初出「現代詩フォーラム」)


URL:http://www16.ocn.ne.jp/~juntaro/text/prose/critique/kouza/k06y_irisawa.html






■詩について、あるいは、入沢康夫について ――アンケートへの、不自然に長い回答―― 小笠原鳥類
 
1――現在において詩人とは、どのような存在だと思いますか。
 
 詩人とはどういう人か。詩とは何か。
 その問いに対してはいろいろな答えがあるだろう。だが、私は、私にとって面白くなくて魅力的でもないものからはすぐに逃げ出したいのだ。つまらないものを相手にしている暇はない。「詩人とはどういう存在か」という質問に対して、いろいろなつまらない事象についても考えることによって、バランスがよくて正しいかもしれないがつまらない答えをすることは、率直に言って、ダメだ。今回の「いん・あうと」にそういうつまらん回答が並ばないことを期待しよう。
 私がいつも面白いと思って読んでいる詩人、入沢康夫(1931年生れ)について、今回はいろいろなことを言ってみたい。賛同しない人が多いだろうけれど、私にとって、詩人とは、入沢康夫の詩のような詩を書く人であってほしいのだ。今はそう考えている、ということ。違う詩人を特に好む時もあるのだけれど、この原稿を依頼される直前に、私は入沢康夫の詩集を読んでいたのである。
 ところで、入沢康夫というのはどういう詩人なのか。
 
広場にとんでいつて
日がな尖塔の上に蹲つておれば
そこぬけに青い空の下で
市がさびれていくのが たのしいのだ
街がくずれていくのが うれしいのだ
やがては 異端の血が流れついて
再びまちが立てられようとも
日がな尖塔の上に蹲つておれば
(ああ そのような 幾百万年)
押さえ切れないほど うれしいのだ
 
     〔「鴉」、詩集『倖せ それとも不倖せ』1955から〕
 
笑つている みんながとりどりに笑つている 笑うたびに木々の梢は揺れ クローバーの茂みが揺れ 突然 冷い雨がどしやぶりになる ほら ごらん 今日のカルタは八だから死んだ蛇なのだ みそさざいを殺してはいけない 殺してもいいのだが 殺せば悪いことが一つ起こる かんなくずに 火をつけて風に飛ばせなさい 肉の喰い足りないものはないのか それで その女の声は何と言うんだ 静かにしましよう 水浴びに行つて 犬に噛み殺された若者がいるそうだ おい 大急ぎでその眼玉はのみこむのだぞ 強い下剤を弱い下剤に混ぜよう 少女の服をきせたわら人形は 数がちやんと揃つているのか わつはつはつはつはつは 今年は七尺の高さにもなるだろう
 
     〔「転生」部分、詩集『夏至の火』1958から〕
 
 入沢の、笑いがある詩を引用してみた。だが、この笑いは、誰の笑いだろうか。作者の笑いでもないし、読者の笑いでもない、のかもしれない。だが、これは書かれてあるだけの架空の笑いである、のだろうか。何らかの別の効果を考えて置かれているだけなのだろうか。あるいは、苦しみなどの別の感情があって、笑いは実はその感情を強調するために使われているのだろうか。この笑いは本当の笑いではないのだろうか。
 違う。ここには確かに、本当の笑いがある、と、私は言ってみたい。ここで、「わつはつはつはつはつは」という笑い声は、得体の知れないものが笑っているような、実際に響いている笑いだ。私は幽霊とかはいないと思ってるので、この笑いは、たぶん、作者の笑いであり読者の笑いなのだと考える。だが、普通の笑いではない。テレビのお笑い番組を見て笑う、友達と喋って面白くて笑う、というのとはかなり違う笑いだ。人間の内部のぐちゃぐちゃした狂おしい部分を、かなり的確に刺激された時に起こる、ひりひりとした笑いなのだ、たぶん。そのような笑いを感じるか感じないか、というのは、一人一人の読者と詩との相性の問題でもあり、ここがおかしいのだよ、と説明するのは往々にしてあまり気が進まない。
 こういうことばかり言っていると、次のような反論があるかもしれない。入沢は、極めて理論的な詩人ではないのか。彼には『詩の構造についての覚え書』や『詩の逆説』のような、詩に関する評論集があり、一部の人々には高く評価されてもいるではないか。そのような詩人の詩を、このような狂おしい笑いを重視して読むのは間違いではないか、と。
 しかし私は、入沢を過度に〈知的に〉〈冷静に〉読む方がおかしいと考える。その『詩の逆説』を見ても、確かに、しっかりと組み立てられた部分は多い。現在では入手が困難ではあるけれど、実に多くのことを学べる本だ。だが、次のような部分は、〈勉強〉とはかなり無縁ではなかろうか――
 
「詩作品の根源にあるもののことについては、それは語ることはできず、歌うよりほか仕方がない。」
     〔「作品の廃墟へ」部分、評論集『詩の逆説』1973から。「語る」「歌う」には傍点〕
 
――「作品の廃墟へ」という文章はこのように始まる。そしてこの後は、その「根源にあるもの」について、完全に説明して詩の謎を解明する、というよりは、そのものの位置を明確にし、周辺をめぐるような考察がなされていく。
 
 詩の面白さ、というのは、たぶん、まともに説明できるものではないのだ。あまりにもよくある、「この詩のどこがどのように面白いのですか?」という、詩に関する質問に対し、私は、ほとんど答えることができないのかもしれない。そして、ほとんど説明できないものの周辺をぐるぐるとめぐり、そのものの内実についてはうまく言えないかもしれないが、それでもそれの位置や性質は明示する、というのが、入沢の詩論の大きな主題であるようにも思われる(勿論、この私の文は、彼の緻密な詩論の〈雑なまとめ〉にすぎないことは言うまでもないが)。
 詩の面白さ、というのは、普段は隠蔽されているような、人間の中のどろどろぐちゃぐちゃしたような狂おしい部分に強く関わるものなのかもしれない。入沢の詩の笑いは、たぶん、そのような部分がひりひりとしている、ということなのだ。
 というわけで、アンケートであることをほとんど忘れたように文章を書いているのだが、質問1には
 
―― 詩人とは、自分及び読者の、深部にあるどろどろした暗いものに届き、それを的確に刺激するような言葉の集まりを書く人である。そして、その典型は、入沢康夫である。
 
と、私は答える。勿論、これは雑な答えではあろう。
例えば脳細胞は、このような笑いが生じる時にどう機能しているのか、その時脳波はどうか、ということを厳密に測定すればより正確なことが言えるかもしれない。
 また、人間の中の暗い部分にはいろいろなものがあるだろうし、単に「暗い部分を刺激せよ」と言うと、より〈趣味の悪い〉やり方を想定する人もいるかもしれない。例えば、敵意とか嫉妬とか性欲とかを強調するとか。だが、そういうものは、実はそれほど隠れたものではないのではないか。その奥に、さらに密かに静かに隠れているものこそ
が重要なのだ。
 質問2以降では、入沢康夫が何をやっているのか、ということをより丁寧に見ていくことにする。
 
 
2――現在、詩とどのように向き合って(あるいは付き合って)いますか。具体的に教えて下さい。
 
 私は詩を書いてもいるのだが、しかし、私の詩よりも今、この文章を書いている今は入沢の詩が大事なのだ。というわけで、私は入沢の詩を読んでいる。さて、入沢の詩を私はどう読んでいるか。
 単に、熱に浮かされたように、なんだかわからないのだが陶酔して読んでいる、と言っても、あまり間違いではない。
 だが、あまり陶酔すると、何を見ても感動する、という状態になるかもしれない。そこにあるカーテンの模様がうごめいていて凄い、おお、木でできたテーブルの木目が、これはなんだレモンやキノコが歩いている、とか、そういう状態になることは私はない。そこにあるのが入沢康夫の詩である、ということが重要なのだ。入沢の詩に私は何を見ているか。
 先程引用した「鴉」や「転生」の、「笑い」についてはすでに述べた。他には、登場する笑い声の「わつはつはつはつはつは」が、「わっはっはっはっはっは」ではないこと。「静かにしましょう」ではなくて「しましよう」であること。小さな文字が大きい、ということで、リズムが弾むというよりはよりゆるやかに重く、低く、底の方で進んでいくように見える。
 生き物の名前が多い。「鴉」「木々」「クローバー」「蛇」「みそさざい」「犬」。生き物は、いつか死ぬものでもあるので、生き物の名前がいくつも出てくると、詩にはどこか、影、暗い部分、ができてくる。というわけで、入沢の詩はどこか残酷でもある。「市がさびれていく」「街がくずれていく」。だが、そのような惨状は、人の中のどこかを笑わせるものでもありうる。「たのしいのだ」「うれしいのだ」。残酷な部分のある童話が、しかし、子供を、そして大人を、喜ばせるような、そのような魅力のある詩なのだ、と言える。その時に、「わつはつはつはつはつは」のような、弾まないリズムが効果的であるかもしれない。普通の言葉ではなくて、童話の世界のような、動物も喋ってしまうような別の世界の言葉なのだ。
 生き物が人間になりつつあり、人間が生き物になりつつある。人間という枠組みを、暴力的や急速ではなくて、ゆるやかに静かに、だが確実に壊し、その内部に隠されていたものを引き出してくることが、これらの詩で確実になされている――と言ってみる。だが、このような説明はどうしてもどこか嘘っぽい(人間という枠組み、という言い方にすでにかなりの問題がありそうだ)。だが、説明というのは常にそのようなものなのかもしれない。
 ほとんど説明できないような、人間の中で暗く盛り上がっているもの。それは時には、「恋」であるかもしれない。
 
暗い森の奥で 翼のない鳥たちの笑い声がする
肉いろの お月さまが七つ
ぼくたちの人でなしの恋を 池の水に泳がせる
唄つて
さあ
唄つて下さい いつもの
犬どもをつるませ 死んだ春を焼きはらう歌を
 
緑の闇の奥で 翼もくちばしもない鳥たちが叫ぶ
閉じられた夜の籠の底で
ぼくたちの人でなしの恋が かさこそと音を立てる
唄つて
さあ
唄つて下さい 夜なかの
残酷な裏切り 何がおこつたのか おこらなかつたのかを
 
薄れていく闇の奥で 散らばつていく鳥たちの笑い声
犬どもが そして悪魔が
つるみ はらむ暁の ぼくたちの人でなしの恋の行方
唄つて
さあ
唄つて下さい 世界で
いちばん たいせつなひとをだます唄を
 
     〔「夜の森の唄」、詩集『古い土地』1961から〕
 
 「夜の森」というのは、人の内部の暗い、鬱蒼としたただならぬ部分である。そして、それについては、「語る」ことはできず、「歌う」こと、「唄う」ことしかできまい。そのような暗い部分では、尋常ではないことが次々に起こるのだ。例えば、人間という枠組みが壊れるような恋。そして、ここにも、あの「笑い声」が響く。
 だが、ついに、詩に書かれてある言葉を引用しつつ、まともな文章を組み立てていくような読みは、詩の「根源」を完全に解明してしまうことはないだろう。詩を読むことは、そこで何が起こっているのか(自らに対して、そして時には他の人に対して)説明をしつつ、しかし、その説明は、「夜の森」という解明できない謎の塊に確実に至るための、手段に過ぎないこと、を知ることではなかろうか。
 
―― 詩を読み、そこに何かただならぬものを見て、それがどういうものなのか自らに(時には他の人に)対して説明したり、あるいは説明を断念したりしながら、詩をできるだけ確実に読み進むことが、私の詩との向き合い方である。
 
というのが私の、質問2への答え。
 
 
3――今まで、どんなふうに、詩を読んできましたか。
 
 入沢康夫の仕事は、詩を書くことだけではない。宮沢賢治や、フランスの詩人、小説家であるネルヴァルの研究でも知られる。また、私が忘れることのできない彼の仕事としては、岩波文庫の『草野心平詩集』(1991)の編集がある。文庫の詩集だが、450ページを超えており、草野心平(1903~88)の詩をかなり多く読むことができる。
 私は子供の頃、学校の図書館で草野の詩を読んだ。どの本だったか忘れた(岩波文庫ではない)。その本に収録されていて、今でも私にとって重要である詩が、この文庫の詩集にも多く収録されている。入沢にとって草野の詩も非常に重要なのだろう。
 
波はよせ。
波はかへし。
波は古びた石垣をなめ。
陽の照らないこの入江に。
波はよせ。
波はかへし。
下駄や藻屑や。
油のすぢ。
波は古びた石垣をなめ。
波はよせ。
波はかへし。
波はここから内海(ルビ:うちうみ)につづき。
外洋につづき。
はるかの遠い外洋から。
波はよせ。
波はかへし。
波は涯しらぬ外洋にもどり。
雪や。
霙や。
晴天や。
億万の年をつかれもなく。
波はよせ。
波はかへし。
波は古びた石垣をなめ。
愛や憎悪や悪徳の。
その鬱積の暗い入江に。
波はよせ。
波はかへし。
波は古びた石垣をなめ。
みつめる潮の干満や。
みつめる世界のきのうやけふ。
ああ。
波はよせ。
波はかへし。
波は古びた石垣をなめ。
 
     〔草野心平「窓」、詩集『絶景』1940から〕
 
解読するような詩ではない。実に平易だが、では、簡単に読み飛ばしてそれで終わりにできるようなものだろうか。
違う。全ての行の最後に「。」がある、というのは、只事ではない。いくつかの行が何度か繰り返されるが、その繰り返しのやり方にも着目してみたい。
 私は、この詩を、子供の頃に、教科書で読んだのではなかった。教科書で読む、ということは、意味を質問されて答えなければならない、ということだ。「1時間以内に説明しなければ試験で点は取れません。」「この4つの文章の中からこの詩にもっともよくあてはまるものを選びなさい。」「この漢字はどう読みますか。」「最後の行について20字以内で思ったことを書きなさい。」しかし、詩を読むというのはそういうことではない。詩を読むことは、説明しにくいもの、あるいは説明できないものの前で戸惑うことだ、と言いたい。
 というわけで、私は、国語のテストで詩の問題でいい点数を取った記憶がない。取ったのかもしれないが覚えてない。勿論、学校で詩を教えることが無駄だとは言わない。だが、学校であまり戸惑い(あるいは狂気に近いもの)を教えるのは好ましくないだろう。教科書には、理解や説明が容易で試験に出しやすい詩を並べておけばよいのではなかろうか。というわけで、質問3への答えは次のようにまとめる。
 
―― そして、一部の呪われた読者が、教科書以外の場所で、おかしな奇妙な詩と、偶然に、出会ってしまい、間違った方向に進むのだった……。私も、そのようにして、説明できないけど魅力的で奇妙なものを求めて、いろいろな詩を読んできた。
 
 さて、私が、入沢康夫の詩を最初に読んだのは高校の3年の時(1995年)だった。だが、実は、どう読んでいいのか、最初は全然わからなかった。
 
 イーヴよ あそこ あの石室の中では 二
世紀も昔に死んだきみの弟が つい昨日まで
毎日 壁にらくがきをしていた 五十あまり
の壺を描いて 赤い花の汁でそれにふちどり
をしていた ときには自身が壺のようにしや
がみこみ 埃だらけの膝当ての上で 欲望の
ペーストをかきまぜたりしていた 今日 こ
の石室の土間の一隅で きみはあの男が捨て
ていつた幾本かの指を拾うだろう
 
(中略)
 
 イーヴよ 旅の終りに きみは見てはなら
ないものを それゆえにこそ見てしまうにち
がいない それは九つの月が交代で照らす金
属の木の下で進行する人つ子ひとりいない儀
式なのだ 酸性の泉には 白い鴉 尾のない
狼 息づく緑の獅子 魚の王と魚の王女の結
婚 曲りくねつたガラス管の中の不規則な閃
光 蒼みがかつた気層の中に どこまでも積
み上つていく骨片の塔
 
     〔「われらの旅」部分、詩集『季節についての試論』1965より〕
 
たぶん私は最初、ここから何らかのまとまった組み立てられた思考を読み取ろうとしたのだろう。「現代詩」は何らかのまとまった思考を暗喩で示しているに違いない、という考えに支配されていたかもしれない。だが、そのような読みはここでは、たぶん不可能なのだ。説明されにくい、人間の深部に鋭く関わるような言葉がここでいくつもいくつも並べられている。それらを1つ1つ確かめながら、徐々に深部に降りていくことが、この詩を読むことであるだろう。それが、詩人と、読者との(すなわち「われらの」)「旅」なのだ。本当にそういう詩が、旅が、ここで実現しているかどうか、ということを論証することはできないけれど、でも、例えば、植物の多い道を歩いて、そこに生えているもの、落ちているもの、枯れているもの、花開いているもの、それらの1つ1つを確かめて、それらを手掛かりとして、ある「夜の森」のような不思議な場所に向かってゆっくりと歩いていくことと、この詩を読むことはたぶん、かなり似ているのだ。
 
 
4――詩に、どんなことを期待していますか。
 
 というわけで、
 
―― 詩に対しては、私を戸惑わせることや、私をより魅力的な場所に連れて行くことを期待している。
 
と答えたい。入沢の詩は、時々、題名が、ある場所を示す。例えば、マルピギー氏の館、という場所だ。
 
 7 庭園
 
 館の前庭にしげりにしげつた人工の植物の一本一本の茎に、海緑色のバッタがとまつて、みな一様に館の戸口をうかがつている。だが、そのしげみの一ばん奥には、身長二メートルあまりの、ひとの顔をした肉食のバッタがひそんでいて、月の出時に、その顔が館の奥からほの白く見えることがある。(それからそのひときわ長い脛も)
 
 8 植物たち
 
 にせおきなぐさ・やまあさもどき・にせさわそうし・おばおしくさ・おばさきくさ・ざとうぎし・にせほとづら・とりのあしもどき・さるかきだまし・まがいおおえみ・くそえびすね・にせあそう・にせこまつなぎ・おばいわぐす・えいくさ・にせのしようこ・みずげんぱく・おばくまする。それらが時として声をあげる。
 
     〔「『マルピギー氏の館』のための素描」部分、現代詩文庫『入沢康夫詩集』1970から〕
 
 「にせ」とか「もどき」「だまし」といった語が面白い。現実にありうるものにどこか似ているけれど、でも、確実にどこか異なるものたち、によって構成されたもう1つの場所。それを詩によって的確に発生させること、読者をそこに導くことが、詩を書くことであるだろう。勿論、それを徹底的に行うことは困難であり、実現できるのはその「素描」に過ぎないかもしれないけれど。しかし、「素描」であっても、そこに何かを、やや遠くにあるかもしれない何かを、見せることはできるかもしれない。
 入沢の詩には、まとまりというよりは、断片が多い、と言えるかもしれない。いろいろなものの名前が登場する。そして、その名前の群れはただ並んでいるだけではなくて、人の中のただならぬ部分に実に的確に関連してくるように思われる。そこには、言葉の選び方や並べ方に関する、計算、あるいは計算とは呼びにくい瞬間的な勘の鋭さ、というのもあるだろう。それがどういうことか、というのを分析したり分析しなかったりしてゆっくりと読み続けたい詩を書く詩人だ。
 さて、ここまでは、60年代までの入沢の詩を引用して話を進めてきた。なぜかと言うと、現在、入沢康夫の最も入手が容易な詩集は思潮社現代詩文庫の『入沢康夫詩集』であるのだが、これは1970年に刊行されており、60年代までの詩しか収録されていないからなのだ。一部を引用した詩の全体を読みたいと思ったときに容易に読めるように、と思って、詩の引用は全てこの本から行った。
 勿論、この1冊を読むだけでも、十分に満足はできる。というより、この1冊を読み通すだけでも大変な労働であり大変な楽しみである。楽しいのだが苦しいのだ。勿論、私も、このような異様な本だけを読んで生きているわけではない。時々、今日はこういうのに挑戦してみようか、と思って読むのがいいのではなかろうか。毎日入沢の詩を読んで生きている物凄い人、というのは……いるのだろうか。
 そして、彼の70年代以降の詩集の多くは今では入手が容易ではない。最近の詩集も、大型の書店に行かないと見つからないかもしれない。というわけで、まず最初に推薦できるのは現代詩文庫の『入沢康夫詩集』である。確か、1165円(と税)。かなり多くの詩が収録されているし、読むのは凄く充実した体験なのでこの値段はかなり安いと思う。
 
 この現代詩文庫『入沢康夫詩集』は、文字がやや小さいのは欠点。活字を大きくするべきだろう。装丁は国東照幸で、鳥の骨格が表紙に描かれている。骨格というのはグロテスクかつ知的(博物学、という感じがする)で、驚きと落ち着きとの、動と不動との均衡が絶妙に組み立てられているようで、面白い物体だ。また、中塚純二と落合茂の小さい特異な挿絵も、入沢の詩とうまく協力して読者を独特な場所に連れて行こうとするかのようだ。本の最後には天沢退二郎と岩成達也と清水徹による入沢論が収録されているけれど、やや個性が強い文章である(面白いのだが)。この評論を理解できなければ入沢の詩はわからない、ということはない。
 ところで、思潮社の現代詩文庫は、田村隆一も谷川俊太郎も『続・田村隆一詩集』『続々・田村隆一詩集』のように続編が出ている。入沢は続編が出ていない。70年代以降の充実した仕事が入手困難であるのは実によくない。というわけで、次の2つのことも「期待」あるいは「希望」する。わがままです。すみません。まあ完全には実現しないだろうけれど。
 
―― 詩に興味がある人は現代詩文庫の『入沢康夫詩集』を読んでおくこと。
―― 詩の出版社は入沢のこれまでの全ての詩集を安い値段で入手容易な、実際に読むという作業が容易である本の形で復活させること。
 
 
5――現在の自分の活動について、自己紹介を含めて教えて下さい。また、今後の展開として考えていることなどがあれば、教えて下さい。
 
 入沢康夫の詩については、私はこれまでにいくつかの文章を書いた。その中で、比較的読みやすい(図書館などで見つけやすい)と思われるものは、2002年の9月号の「現代詩手帖」(思潮社)に執筆した「動物について」という原稿用紙約10枚の文章である。この号は「特集 入沢康夫を読む」であり、他にもさまざまな人の入沢論が収録されている。
 ところで、「いん・あうと」で先月までの3ヶ月間特集されていた詩人である野村喜和夫も、入沢の詩をしっかりと読んできた詩人である。現代詩手帖のこの号では彼は「入沢康夫全作品解題」を執筆しており、この文章を読むことによって、入沢の詩集にはどのようなものがあるのか、ということがある程度わかる。
 ここで、質問5からは大きく離れて、入沢康夫の本のリストを並べてみよう。今回は詩集だけ――
 
詩集
『倖せ それとも不倖せ』1955(現代詩文庫『入沢康夫詩集』――以下、「現」と略――に抄録)
『夏至の火』1958(「現」に全篇収録)
『古い土地』1961(「現」に抄録)
『ランゲルハンス氏の島』1962(「現」に全篇収録)
『季節についての試論』1965(「現」に全篇収録)
『わが出雲・わが鎮魂』1968(必読。図書館などで一読するべき。筑摩書房の現代日本文学大系93
『現代詩集』に全篇収録)
『声なき木鼠の唄』1971(「現」には、この詩集にのちに収録されたいくつかの詩が「拾遺詩篇・未刊詩篇」として
収録されている)
『倖せ それとも不倖せ 続』1971
(「現」には、この詩集にのちに収録されたいくつかの詩が「拾遺詩篇・未刊詩篇」として収録されている)
『「月」そのほかの詩』1977
『かつて座亜謙什と名乗つた人への九連の散文詩』1978
『牛の首のある三十の情景』1979
『駱駝譜』1981
『春の散歩』1982
『死者たちの群がる風景』1982
『水辺逆旅歌』1988
『歌――耐へる夜の』1988
『夢の佐比』1989
『漂ふ舟――わが地獄くだり』1994
『唄――遠い冬の』1997
『遐い宴楽』2002(書肆山田から出た、現時点で最新の詩集。たぶん、大きな書店には置いてあるはず)
 
『入澤康夫〈詩〉集成』上・下1996
(青土社から出た全詩集)
 
 それから。ああそうか、自分の活動でしたね。小笠原鳥類は約10年前から詩を書いてます。でも、詩集もいつ出るかわからない。同人誌での活動もあまり活発ではない。もう10月なのだけれど今年になって書いた詩はまだ1つか2つしか発表してない。書いてはいる。でも他の人の詩を読んでいることの方が多い。
 現在、「ガニメデ」(銅林社)という詩と短歌の雑誌で、詩と動物に関する散文を連載しています。この散文ではいろいろな詩人の詩をできるだけ丁寧に読んでいます。
 今後の展開については、ランボー論と入沢論はしっかりとしたものを書きたい。詩も時々書きます。
 最後にお詫びと弁明。アンケートの回答としては異様に長い文章だったかもしれません。
 詩について書かれたまともな文章が今、あまりにも少ない。詩を本当に面白いと思って、確実に読んでいる人が少ないんじゃないかという疑いが私にはある。このままでは面白い詩が書かれなくなり出版もされなくなるのではないか。この世には詩以外に、より目立っていて、そして面白いものがたくさんある。詩のような、地味なものの面白さは丁寧に説明(説明できないことについては、説明できないということについて説明)しなければ、誰にも関心を持たれない。詩人がよく書くような軽いエッセイでは詩の面白さは伝わりにくいと思うのだ。
 そのような〈危機〉(私が想像しているだけかもしれないが)の中で私は、詩は面白いのだ詩は面白いのだ、特に、最高級の詩人の詩は本当に本当に面白いのだ、ということを、不自然なまでに長く語りたくなったのである。(終)
 
 
付記 その後、2004年に思潮社から入沢康夫の詩集『わが出雲・わが鎮魂』が、書肆山田から入沢康夫の評論集『詩の逆説』が再刊された。それから、2005年に思潮社から現代詩文庫『続・入沢康夫詩集』が刊行され、1982年の詩集『死者たちの群がる風景』までの詩の多くを容易に読めるようになった。(2005年2月)


URL:http://po-m.com/inout/id31.htm



■冷静に狂乱すること ――入沢康夫『詩の逆説』についての走り書―― 小笠原鳥類

1
 
 私は入沢康夫の本の装丁を全てよく知っているというわけではないが、人間の中の〈深い〉〈隠れている〉すなわち〈暗い〉部分にとても届いてくるような彼の詩を集めた本が、暗い重苦しい色を用いて装丁されているとは限らず、往々にして淡い、明るい色で装丁されているというのがどういうことであるか、というのは考えてみたいことではある。最近の詩集『遐い宴楽 とほいうたげ』(書肆山田、2002)も、カバーは明るい緑色であった。明るい色を使うことによって、単に暗い場所を示すだけではなくて、明るい狂おしさというものを作り出そうとしている? その狂おしさは楽しい風のように軽やかに来る? しかし、彼の詩集の中でも特に異様な『牛の首のある三十の情景』(書肆山田、1979)のカバーは暗い禍々しい藍色であったので、彼の詩集の表紙の〈明るさ〉〈暗さ〉というのは一筋縄ではいかない。
 去年の「いん・あうと」10月号のアンケート特集で、私は入沢康夫の、詩についての評論集『詩の逆説』について、次のように書いた。
 
「『詩の逆説』を見ても、確かに、しっかりと組み立てられた部分は多い。現在では入手が困難ではあるけれど、実に多くのことを学べる本だ。」
 
この本は1973年にサンリオ出版から上梓されたもので、その後、入手困難となっていたのだ。だが、今年、2004年3月に書肆山田から再刊された。入沢康夫の「後記」(424~425ページ)によると、誤植や不適切な語句は訂正されたが、しかし「論旨等を改変することは一切慎んだ。」という。この本は400ページをはるかに超えるものであり、また、独立して発表された文章が集められているので、まとめることは困難ではあるが、いくつかの部分を見ながら思いついたことを書き並べてみよう。
 
 
2
 
 この再刊された本のカバーの色及び、カバーを取って見える表紙の厚紙の色がやや青い白であることが私にはどうも気になる。明るい青、という色彩から、
 
 わたくしといふ現象は
 仮定された有機交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (あらゆる透明な幽霊の複合体)
 
という、宮沢賢治の『春と修羅』(1924)の「序」の、それぞれの単語がどういう意味で使われてるのかは(たぶん、知識がないので)よくわからんが、青い光がここでとても、とても大事であることだけは読んでいて明確にわかる、最初の部分を思い出してもいいかもしれないし、よくない――そういう想起は標準的な読み方ではない――かもしれないが、思い出しておこう。入沢康夫は賢治の研究家でもある(私がこの賢治の詩を引用した『宮沢賢治全集1』ちくま文庫、1986、では、編者の1人である入沢康夫が「後記」も書いている。)賢治の色、としての明るい青? 『詩の逆説』の最後には、賢治についての文章「四次元世界の修羅」(1972)が収録されている。この文章の中にも『春と修羅』の「序」の一部分(最後の3行)が引用されている。
 ここで私がさらに思い出すこと。現代詩文庫『入沢康夫詩集』(思潮社、1970)の表紙で清水徹が、フランス語の「jeu」という「単語ほど入沢康夫の詩にふさわしいものはないだろう。遊び、戯れ、ゲーム、賭、トランプの手、芸、ゆとり、等々という、この単語の意味のひろがり、これらの意味が複合して一つの透明体と化したもの、それが入沢康夫の詩だ。」と書いているのだ、この文がどこまで宮沢賢治を意識して書かれたものであるかどうかはわからないけれど(jeuという語を清水徹は、マラルメが自分の詩作について言った語として持ち出している)。
 優れた詩は、往々にして透明かつ立体的で複合的なものを、宝石のように(幽霊のように?)示す、あるいは優れた詩はそのような宝石として(幽霊として?)出現してくる、ということは言えるのかもしれない。
 書かれたものとは無縁にありうるあるまとまった意味に、まともに貼り付いているだけの言語は、存在感のないものであり、あまり宝石のようではあるまい。断絶や、意外な接続を起こしつつ、言葉の諸要素を効果的に配列すること(しかし、それがどこまで〈意図的〉に行われるかはわからないが)。そうすることによって、詩によって示される、(別の場所にありうる)物事はややもすれば曖昧となるが、しかし時として、そういう詩によってしか生じないような透明で立体で複合的な新たな〈意味のまとまり〉が生じてくるだろう(か?)。
 それを色彩として表紙に印刷する時には、賢治の「青い照明」=「透明な幽霊の複合体」を想起させる、明るい青い色を用いるのが適切であったりするのかもしれない(のだろうか?)。
 
3
 
 入沢康夫が使う語である「擬物語詩」というのは、別のやり方でも示すことができるような〈物語〉ではなくて、映像にしようとするとしっちゃかめっちゃかになるような、断絶と意外な接続とが次々に起こるような詩であり、その登場人物もわけがわからない人である。しかし、そうであるとともに、なんだかわからないが全体として〈妙なまとまり〉(それがどういうものかは説明しにくいのだが)がある独特な〈物語〉を書いたものとしての詩でも、それはある、と理解しておけばよいだろうか(『詩の逆説』の中の「擬物語詩の可能性」1964~65でこの問題が丹念に展開されているし、彼の別の評論集『詩の構造についての覚書』思潮社、1968、2002増補改訂新版、の中の「擬物語詩は、あり得べき詩作品の構造の一つのタイプである」という短い章で簡潔にまとめられている)。
 それから彼の「詩は表現ではない」という言い方について。もともとあったものとか別の場所にありうるものとか(感情、思想、風景、事件など)をオモテにアラわすための詩というのは存在しない(存在したとしてもそれはあまり価値のあるものじゃあない)。であるから、言葉の諸要素の配列を独特なやり方で行うことによって、別の場所にはありえない情況――他の場所にはいない、かけがえのない、あえかなものたち――を示しているような詩、言語の諸要素同士の断絶と変な接続でとても充実していて、とても独特なものとして屹立してくるような奇矯な狂おしい詩であることが大事だ、そういうものこそが詩だ、ということだとまとめればよいだろうか(『詩の構造についての覚書』は、「詩は表現ではない」という文をめぐって書かれた書物であると言えるし、『詩の逆説』もこの問題と無縁ではない。「詩についての三つの断章」などでこの問題は本格的に取り扱われている。詩人の気持ちとか考えの表現として詩がある、という考え方が一般的であるとするなら、それとあえて逆の、しかし正当なことを言うこと――詩についての〈逆説〉を言うこと――が、この本の中心的な主題である)。いや、もしかしたらこういったまとめ方は雑で間違っている私の妄想かもしれないが、そういうものとして私は理解している、ということ……実例を示すと、私の説明が(間違ったものであったとしても)よりわかりやすくなるだろうか。
 
 緑色の天使の下腹部を
 夕映えがぬりつぶしている
 水の中で肝臓形の葉が成長する
 煙草の火を借して下さい
 今日は夏至でしたな
 入団式は何時からです?
 何もありはしない
 
 河べりには
 建設中のビルディングが並び水面で
 その影が伸縮する
 あなたもあの大きな鳥が見えますか
 あの目玉は少くみつもつても
 三千五百カラットはあるはずだ
 それではあれは
 天使ではなくて鳥かも知れない
 どうも ありがとうございました
 
 街角でヒルマンかメイフラワーを
 呼びとめるように
 おれは指を立てて 流れていく巻雲を
 とめようとしたがだめだつた
 橋脚ばかりが黒く立つている
 捨てたばかりの黄色い夕刊を風が押している
 急いで行けば間に合いますよ
 どうです お伴しましよう
 あいつは広場で豚のように死ぬだろう
 
     〔「外出」一部、詩集『夏至の火』1958から。現代詩文庫『入沢康夫詩集』から引用〕
 
日常的な挨拶が、全く違う異様なものとして出現してくる「どうも ありがとうございました」という1行は私にとっては衝撃的だ。ある語(あるいは文など)の、もともとあった意味を半ば奪い、本来はその語(あるいは文など)がありそうもない場所に置くこと。そうすることで、別の場所にはありえない意味のまとまり、別の場所にはありえない対話、別の場所にはありえない人、人々、あるいは別の場所にはありえない生き物、がここで出現してくる…… 
そして、その生き物の目は奇妙な宝石だ(「カラット」宝石の重さの単位)。「この透明体の中核部は異様な屈折率をもっている。それゆえ、彼の詩をつらぬこうとするぼくらの光線は、奇怪に折れ曲がる。だが、まさにその一瞬、火花が音もなくスパークするのを見落すまい。」(現代詩文庫の表紙の、清水徹の文章)。そこにある詩で示されているのがどういうまともにつながった意味のまとまりであるのか、読み取ろうとすると視線はどうしても奇怪に折れ曲がるのだが、その折れ曲がりが快楽であるのかもしれぬ。視線の折れ曲がり方を詩人が(挨拶とか、喋るような言い方の用い方などによって)巧みにコントロールしている?
 もともとあったものの〈表現〉として、暗号を読む時のように、もともとあったまともなものを〈回復〉させようとして読もうとすると読者は戸惑ってしまうのであり、すなわちこの詩は〈表現〉ではないのだ。
 「外出」という詩の魅力を何とかして一言で言おうとするなら、〈異様な諧謔〉である、ということにもなるだろう。「あいつは広場で豚のように死ぬだろう」という1行はとても意外で、とてつもなくおかしい。それから、この詩に登場する色の名前はどちらかというと〈明るい〉のも興味深い(意外に〈青〉が少ない? だとするなら、宮沢賢治の詩にあまり接近・類似しないようにするためにそうしている、のだろうか)。
 彼の詩は〈明るい〉のだが、しかし快活なにぎやかな軽快な明るさというよりは、もっと穏やかで静かな重い落ち着いた明るさなのだろう。その明るさは、詩の外の場所にもありうる情況の明るさ、ではないことは言うまでもない。言葉の諸要素の組み合わせが、現実のなまなましさから遊離していることによって、登場するさまざまなものがより軽やかに、ふわふわした幻のようにうごめくから、彼の詩は往々にして〈明るい〉のだ。賢治の言う「透明な幽霊の集合体」……(入沢康夫の、詩集の表紙も往々にして明るいが、しかし、にぎやかな明るさではなくて、もっと穏やかでぼんやりとした薄明の明るさなのだ。)そこではありえない人々がありえない行動を、会話を、している。現代詩文庫の表紙で、写真の入沢康夫も、落ち着いた、(謎めいた?)笑みを浮かべている……
 
 花が地面にちつていた・どういたしまして・四五日私は
 あの女にあわないでしよう・草をたべて生きている動物
 はかなり多い・私は意見を変えた・あいつはそれを自分
 で招いたのだ・どういたしまして・私は鉱水をのむ・ど
 ういたしまして・お前は勇気がないぞ・どういたしまし
 て・私は死ぬほどつかれていた・どういたしまして・ど
 ういたしまして・あのしぶい顔をして彼がやつて来る
 
     〔「売家を一つもつています」一部、詩集『倖せ それとも不倖せ』1955から。現代詩文庫『入沢康夫詩集』から引用〕
 
どういたしまして。ありがとうございました。どうすればいいんでしょう・私はこれを読んで。驚くしかありませんね。しかるべき情況から切り離された挨拶は、異様なものとして登場してくる。そして、それは繰り返されて、内容的な意味を全くなくした〈音楽〉となり、いよいよ軽やかになり、明るくなったりもする。
 
 
4
 
 だが、彼の詩はそれでもやはり重苦しい禍々しいものたちと関わるものであるので、時々、異様に暗くなるかもしれず、『牛の首のある三十の情景』という底知れず暗い詩集というのも登場してしまう。
 
 どこかで錆びついた扉の軋る音がしてゐる。わたしたちは、
 わたしは、今日、この宿に着いた。廊下を歩いてゐるとき、
 何人も何人もの牛の顔をした男とすれ違つた。中の一人は、
 片肌を脱ぎ、極彩色の雄鶏の刺青をむき出しにしてゐた。よ
 く見ておくがいい、あれがおまへのお祖父さんなのだよ。そ
 んな声を、どこからともなく聞いたとき、廊下はみるみる狭
 くなり、そして、いきなり、うつかりすれば転げ落ちてしま
 ひさうなほどに急な下り階段となつて、――わたしたちは、
 わたしは、もうかれこれ二時間も、その階段を下りつづけて
 ゐる。
 
     〔「牛の首のある六つの情景 3」、詩集『牛の首のある三十の情景』書肆山田、1979から引用〕
 
 黒壺の中で燐光を放つ牛の首。粉末状の憎悪。
 
     〔「「牛の首のある八つの情景」のための八つの下図 7」、詩集『牛の首のある三十の情景』書肆山田、1979から引用〕
 
かなり暗い場所に下降しているようでもある。ここには怒りもある。入沢康夫が「詩は怒りだ」と言う時にはたぶん、怒りの原因がはっきりしていない。「粉末状の憎悪」というのは、暗い粉末が空中に投げられて、なんだかわけがわからない、方向性のはっきりとしない、しかしそれゆえに禍々しい動きを見せる、ということである。
 「外出」という詩の「どうも ありがとうございました」という1行は、どこか意外な場所からやって来てとても意外な場所に突き刺さる力のある1行だったようにも思われる。その力の源を探ろうとして、詩人が自らの内面の深部に下る時に、とてつもない暗いものを見てしまう。そういう暗いものは怒りだ、詩の根源には深い怒りがあるのだ、ということが、「詩は怒りだ」という言葉の、たぶん、意味である(とりあえずこのように説明しておく)。『牛の首のある三十の情景』は、怒りとしての詩である、ということなのだろう。さて、『詩の逆説』の中の「怒りの詩」(1968)という文章は、入沢康夫の文章としては例外的に熱く盛り上っている(ように見える)。「詩は怒りだ」という断言の提示から始まり、ロートレアモンの詩はまさに怒りだ、ということを言っている。少しだけ引用すると
 
 「『マルドロールの歌』の文体上の特質(語られる事件の特質ではなく)は、激変とか、断絶とか、衝撃とかいったものの対極にあるのであって、それはちょうど蛆やなめくじの運動に似ている。
 もっとも、この蛆虫は並の奴ではなく、「家ほどの大きさ」があり「燐光を発する」奴なのだが……。そしてしかも、それが必ずしも一匹だけではないらしいのだ。」201ページ
 
燐光を発する……必ずしも一匹だけではないらしい(「わたしたちは、わたしは、」という、『牛の首のある三十の情景』の中で何度もゆれうごく数を思い出せる)……あるいはそれ(ら)は、ウジ虫であるだけでなくて、ウシ、の、首、であるかもしれない。また、ここで、「断絶」という語についてはこれからもう少し考えていきたい。入沢康夫の詩にももしかしたら「断絶」がないと言うべきなのか、だが、「売家を一つもつています」のような詩に「断絶」がないとすれば、そしてそこにうねる軟体動物の動きがあるとするならば、それは一体、どういうことなのか……、異様な連続、狂気という秩序? ……
 さて勿論、このような怒りは〈狂気〉でもあるのかもしれず、『詩の逆説』の中の「詩人と狂気」(1963)という文章では、詩人は狂気の中に足を踏み入れつつ、しかし同時に冷静に詩を書くということもしなければならない、ということを言っている。この『詩の逆説』という本、それから入沢康夫の詩は、冷静な知的作業であるとともに、そうであることによって狂おしい、おかしい、まともでない場所に極めて接近しているものでもあるのだろう(か)。
そして、そのような冷静であること、理性的であることが、彼の詩を穏やかに明るくしている、のかもしれない。そのような冷静であること・理性的であること・明るいことと、狂うこととが共存するというのも、1つの〈逆説〉的な事態であり、ここに1つの〈詩の逆説〉がある。先程述べた「詩は表現ではない」という〈逆説〉と関わることでもあるだろう。詩はもともとあったものを表現する(硬直したような)ものではなくて、詩を書くことで新たな領域(狂気?)を発見していくダイナミックなものである、ということなのだろう。ここで、あまりにも独特なものが出現してくるのだ。
 
 
5
 
 それから、数。『詩の逆説』の中の「しらける言葉」(1971)という文章では、「ふと」「突然」といった語は白々しいということを書いた後で、
 
 「これは好みと言えるかどうか。私の作品にはよく数字が出て来るようだ。「七つの星」とか「九千九百九十七匹の犬」とか。」372ページ
 
なぜ数字がよく出てくるのか、理由は全く説明されない(!)。「もちろん「数」についての特定の神秘主義を信じているわけでもないのである。」「こういうのは、無意識の好みということになるのであろうか。」(372ページ)
 
 この『詩の逆説』という本の中で、最も特異な部分は、ここであるのかもしれない。
 数字とは何か。詩の中で意外な場所で使われる「ありがとうございました」「どういたしまして」と同様に、役に立つはずのものが役に立たないものとして登場することによる狂おしさでありおかしさであるのだろうか。だが、そういう理由では説明されないものがここにはありそうだが、これは、よくわからない。
 ある詩の中で、理不尽に目立ってしまう部分、とても特異でなんだかとてつもない部分、というのはあるわけで、それは時には「どうも ありがとうございました」であり、時には「九千九百九十七匹の犬」である、ということなのだろう。それらが面白いとしたら、それは、どういうことなんだろうか。ここまで来ると、説明するためには、ある文字とかある語や文を見た時の、ある人の脳の中での物質の動きを医学的・物理的に研究するしかないのかもしれない。とすると、入沢康夫は、文学者にできる詩の追求を、この評論集で、あるやり方で、ぎりぎりまでやろうとした、ということなのだろうか。
 
 
6
 
 さて結論としては、『詩の逆説』という本は、詩に関わるさまざまな問題について丁寧に丹念に考え説明しつつ、その先にある考えられないこと・説明できないことの輪郭をも明示する本である、ということになるだろう。その〈説明できないこと〉というのは狂気であるかもしれないし、怒りであるかもしれない。そのような説明不可能な〈深淵〉は詩と大いに関わるものである、ということもこの本では言われているだろう。そのようなものを無視するわけでもなく、だがその中に浸って陶酔してしまうのでもなくて、あくまでも知的に冷静にそれを観察しようとすること。それは入沢康夫の評論の書き方についてだけでなく、彼の詩についても言えることなのかもしれない。彼の詩での言葉の取り扱い方を冷静に観察しつつ、そうすることでやや狂おしいおかしな情況にある程度、歩を進めること――
そして(私の好む言い方をすれば)妙に笑うこと――が、とても重要であるようだ。
 『詩の逆説』を読むことで、入沢康夫の詩もより明確に読めるようになる、と言うと、作者による(しらける?)自作解説の本であるようであり、そういう側面もないわけではないが。しかし、『詩の逆説』を読むことで彼の詩が謎めいたものでなくなるということではない。詩が提示する、説明できないような謎に、評論は別のやり方で接近しようとしている、ということである。勿論、他の詩人の詩を読む時にも役に立つ本であることは言うまでもない。
 また、『詩の逆説』に収録されている文章は1960~1972年に発表されたものであり、その後に入沢康夫が詩について書いた文章は、入手がたぶん容易な本では『詩にかかわる』(田野倉康一編、思潮社、2002)に集められている。
  
付記
 
「いん・あうと」に私は以前、「詩について、あるいは入沢康夫について」という文章を書きました。バックナンバーの「アンケート特集」の中にあります。

URL:http://po-m.com/inout/id107.htm

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