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格差がらみのデータ1

■平成16年全国消費実態調査 各種係数,所得分布に関する結果速報

2 1世帯当たりの世帯人員を勘案した年間可処分所得(等価可処分所得注4)のジニ係数をみると,日本は国際的に中位に位置
単身世帯を含めたすべての世帯(以下「総世帯」という。)における年間可処分所得(等価可処分所得)のジニ係数をみると,平成16年は0.278。
各国によって調査年は異なるが,日本はスウェーデンなどより所得格差が大きいものの,アメリカ,イギリスなどより小さく,OECD加盟諸国のなかでは中位に位置。

URL:http://www.stat.go.jp/data/zensho/2004/keisu/youyaku.htm


■09卒版 就職意識調査

-就職観
「楽しく働きたい」が引き続きトップ。
今年も引き続き「楽しく働きたい」がトップとなった(全体35.4%、文系男子30.3%、理系男子29.2%、文系女子40.9%、理系女子35.2%)。しかし、文系男子以外のカテゴリーではその割合を減らしている。(理系男子-3.1pt、文系女子-0.9pt、理系女子-2.6pt)一方で「楽しく働きたい」に次いで割合の高かった「個人の生活と仕事を両立させたい」(全体22.1%)は、昨年の19.8%から2.3pt上昇している。それぞれのカテゴリー別に見ても文系男子+2pt、理系男子+2.1pt、文系女子+2.8pt、理系女子+2.4ptとすべてのカテゴリーで上昇している。昨年は仕事より個人を優先する傾向が見られたが、今年は両立していきたいという考え方に針が振れたようだ。

URL:http://job.mynavi.jp/conts/saponet/enq_gakusei/ishiki/ishiki08/data01.html


-大手志向
「大手企業志向」は高止まり感。
「大手企業志向」(「ゼッタイ大手企業がよい」+「自分のやりたい仕事ができるのであれば大手企業がよい」)は、全体で52.9%となり、昨年の53.4%より0.5pt減少した。バブル崩壊以降最も高い数値となった昨年の結果と、ほぼ同様の結果となり、学生の【大手志向】にも高止まり感がみられる。また男女別に見てみると、男子学生において「ゼッタイに大手企業が良い」というこだわり派が若干上昇している。(文系男子08卒12.2%→09卒12.7%、理系男子08卒12.4%→09卒13.3%)昨年は文理男女問わずに増加してたが、今年は男子が増加し、女子が減少する結果となった。女子は「中堅・中小企業がよい」が若干増加しており、男女において大手志向に差が見え始めてきたようだ。

URL:http://job.mynavi.jp/conts/saponet/enq_gakusei/ishiki/ishiki08/data02.html


-会社選択のポイント
「自分のやりたい仕事ができる会社」が依然トップ。「安定」や「一生続けられる」等のポイントが上昇。
会社選択のポイントでは調査開始以来、「自分のやりたい仕事ができる会社」がトップであることに変化はなく(全体40.1%)、上位5項目も昨年と同じラインナップとなっている。また昨年同様に「安定している会社」(全体08卒20.7%→09卒21.3%)や「勤務制度、住宅など福利厚生の良い会社」(全体13.0%→15.3%)、「給料のよい会社」(全体08卒10.5%→09卒11.4%)、「休日、休暇の多い会社」(全体08卒3.6%→09卒4.9%)などの項目が上昇しており、前項の大手志向に加え、ここでも個人と仕事を両立することを考えて企業を選択する学生の傾向が窺える。

文理男女別に見ると、男子は「給料」や「安定」「会社の成長」が女子よりも高く出る傾向にあり、一方女子は「社風」「福利厚生」「親しみ」などが男子よりも高い傾向にある。それぞれのカテゴリーによって選択時に重視するポイントに差があることから、情報提供をする際に重点を置くポイントを見直すことで、よりターゲット学生への密なアプローチが可能になるかもしれない。

URL:http://job.mynavi.jp/conts/saponet/enq_gakusei/ishiki/ishiki08/data03.html


-行きたくない会社
「暗い」「きつい」「面白くない」を敬遠する傾向は変わらず。「待遇面」が上昇。
行きたくない会社の上位3項目は昨年同様の結果となった。(「暗い雰囲気の会社」08卒39.3%→09卒40.8%、「ノルマのきつそうな会社」08卒29.7%→09卒32.5%、「仕事内容が面白くない会社」08卒29.4%→09卒23.9%)会社選択のポイントと同様に、待遇面を重要視する傾向が見られ、昨年同様に「休日・休暇がとれない(少ない)会社」「転勤の多い会社」「残業が多い会社」「給料の安い会社」といった項目が上昇している。前項の就職観・会社選択のポイントで個人の生活を重視する姿勢が見られたが、その傾向を裏付ける結果となった。

URL:http://job.mynavi.jp/conts/saponet/enq_gakusei/ishiki/ishiki08/data04.html


-就職希望度
「なにがなんでも就職したい」が約9割。就職しない学生の半数は進学。
「なにがなんでも就職したい」という就職希望度は全体で89.9%となり、昨年の89.3%とほぼ変わらない結果となった。その中で、理系男子は86.3%と若干昨年より割合を減らしている(08卒87.5%→09卒86.3%)。多くの学生が「就職すること」を希望しており、5年前と比較しても就職希望度は上昇している(04卒80.7%→09卒89.9%)。

「希望する就職先に決まらなければ、就職しなくともよい」と回答した学生のうち、その進路を「進学」とする学生は53.1%と、約半数となった。その中でも理系男子が75.5%と、他のカテゴリーよりも割合が高く、昨年の70.7%より増加している。また、「就職留年」が文系学生を中心に上昇している(文系男子08卒31.7%→09卒39.8%、文系女子08卒23.9%→09卒25.1%)。特に文系男子においては進学を抜いて最も高い割合となっている。前述の「ゼッタイ大手」というこだわり志向から推察するに、1年待っても望むところに就職したいと思っているのかもしれない。

URL:http://job.mynavi.jp/conts/saponet/enq_gakusei/ishiki/ishiki08/data05.html


-志望職種
「営業企画・営業部門」が減少。「総務・経理・人事などの管理部門」が増加。
現時点での志望職種を聞いたところ、例年トップとなりまたその割合も増加していた「営業企画・営業部門」が、トップとはなったものの、対前年比で減少している(全体:08卒20.3%→09卒16.5%)。また、「総務・経理・人事などの管理部門」が16.3%なり、昨年の3位から2位へと順位を上げた。理系では「研究・開発部門」が変わらずトップとなり、その割合も上昇している(理系男子08卒31.9%→09卒34.3%、理系女子08卒31.8%→09卒34.1%)。

URL:http://job.mynavi.jp/conts/saponet/enq_gakusei/ishiki/ishiki08/data06.html


■新卒・第二新卒者の「働くこと」に対する意識調査

将来“正社員”で働きたいは60.1%、“派遣社員”が24.5%

働くとは、“収入を得る”、“自分を磨く”、そして“社会に貢献する”
2001年の完全失業率は年平均5%と戦後最悪を記録。中でも、15歳から24歳の
若年層の完全失業率が最も高いと言われ、その親世代である45歳以上の中高年もまた企
業の倒産やリストラなどで失業を余儀なくされる人が多く、失業期間も長期化しています。
このような厳しい雇用情勢の中で卒業・就職という大きなテーマに向き合う学生たち。
彼らは「働くこと」に対してどのような意識を持っているのか―。

株式会社パソナでは、新卒・第二新卒者の人材派遣を行う新卒派遣事業部の『ビジネス
インターン制度』(詳細は最終ページの参考資料をご覧ください)登録説明会参加者を対象にアン
ケート調査を実施し、その就労に対する意識を探りました。

○ 調査概要

1.調査目的:新卒派遣での就労を希望する新卒・第二新卒者の就労に対する意識を探る
2.調査対象:『ビジネスインターン制度』登録説明会参加者
3.調査地域:東京
4.調査日:2002年3月
5.サンプル:104名
6.調査方法:説明会の参加者を対象にアンケート票記入方式で実施
7.調査対象属性:下記

◆欧米では、大学生などが在学中に企業で一定期間働き就業を経験する「インターンシップ・
プログラム」が広く普及しており、日本でも普及しはじめています。
このようなプログラムを利用して在学中に企業で働いてみたいと思いますか?

約90%が「働いてみたい」と答え、「インターンシップ・
プログラム」に対する関心の高さが表われた。 思う

◆「インターンシップ・プログラム」で働いてみたい理由は何ですか?
インターンシップ・プログラムで働いてみたい理由としては、「自分の適性が見極められ
る」(28.6%)、「自分自身の進路や志望が明確になる」(5.5%)など、“積極的に自分の適性
や適職を見つけるための手段とするもの”が34.1%、「実際に会社のことを知ることができ
る」(16.5%)、「自分の知識・イメージと現実のギャップを埋められる」(7.7%)など、“会
社や仕事の実態を知るための手段とするもの”が24.2%と続き、参加者たちの現実をとら
えようとする態度の強さを伺わせる。


◆あなたは将来、どのような就労形態で働きたいと思いますか? 複数回答)
長い間「卒業=正社員として就職」という就労パターンが唯一の選択肢と考えられてきたが、
今回のアンケートでは、「正社員」(60.1%)に次いで「派遣社員」(24.5%)、「契約社員」
(12.3%)と続き、必ずしも就労形態にこだわらない層が約40%を占めた。

◆あなたが「派遣社員」として働きたい理由は何ですか?
「派遣社員」として働きたいと答えた参加者にその理由を聞いたところ、「スキル・専門
性を磨くことができる」(18%)がトップに挙げられ、「時間に融通がきく・プライベートを
充実させたい」(16%)がそれに続き、「職種で仕事を選ぶことができる」(12%)と「自分
の適性・適職を見極められる」(12%)が同率で続いた。
これを全体的に見ると、「スキル・専門性を磨くことができる」、「職種で仕事を選ぶこと
ができる」、「希望の業界・会社で働くことができる」など、“派遣という就労形態を通じて、
仕事に対する自分の希望を実現しようとするもの”34%と「自分の適性・適職を見極めら
れる」(12%)、「派遣で働いてから正社員になりたい」(6%)など、“派遣就労を通じて、
自分の適性・適職を求めようとするもの”が18%で、合わせて52%が“派遣就労を通じ
て仕事上の目的を果たそうとするもの”となった。また、「時間に融通がきく・プライベート
を充実させたい」(14%)「色々な仕事・経験ができる」(10%)、「自分の可能性を広げた
い」(4%)、「将来留学したい・海外で働きたい」(4%)など“派遣就労の持つ柔軟性そのも
のをメリットとして活かそうとするもの”が32%となった。

◆あなたにとって「働く」とはどのようなことですか?
「あなたにとって“働く”とはどのようなことですか?」との問いに対しては、「お金、
収入を得るための手段・生活の基盤となるもの」(19.7%)がトップに挙げられ、「自分自
身を成長させる・自分を磨く、向上させる」(18.5%)、「社会に貢献する・社会人として
の責任を果たす」(15.3%)、「人生を充実させる・人生において大切なもの」(15.3%)と
続いた。
これらのことから、参加者たちの持つ「仕事とは、第一には生活の糧を得るための手段
ではあるが、その中で自分を磨き、自己実現し、社会に貢献し、そしてひいては人生を充
実させるものである」という仕事観が浮かんでくる。
参加者のほとんどがまだ社会に出たことのない若者たちであるにもかかわらず、このよ
うな成熟した仕事観を持っている事に、彼らの働くことへの意識の高さを感じずにはいら
れない。

≪まとめ≫
今回のアンケート調査ではまず、日本でも普及し始めている学生の就業体験プログラム
“インターンシップ・プログラム”で働きたいと答えた参加者にその理由をたずねたとこ
ろ、「自分の適性が見極められる」が28.6%、「自分自身の進路や志望が明らかになる」が
5.5%など、“積極的に自分の適性や適職を見つけるための手段とするもの”が34.1%、
「実際に会社のことを知ることができる」が16.5%、「自分の知識・イメージと現実のギャ
ップが埋められる」が7.7%など、“会社や仕事の実態を知るための手段とするもの”が
24.2%と続き、自分の適性や会社・仕事の実態を見極めようとする現実的な態度の強さを
うかがわせました。
また、将来働きたい就労形態についてたずねたところ、「正社員」が60.1%、「派遣社員」
が24.5%、「契約社員」が12.3%、「その他」が1.8%、「アルバイト」が1.2%と続き、
必ずしも正社員という就労形態にこだわらない参加者が約40%にのぼり、若者たちの意
識の中でも就労形態の多様化が進んでいることをうかがわせました。
さらに、「派遣社員」として働きたいと答えた参加者40人にその理由をたずねたところ、
「スキル・専門性を磨くことができる」、「職種で仕事を選ぶことができる」、「希望の業界・会
社で働くことができる」など、“派遣という就労形態を通じて仕事に関する自分の希望を実
現しようとするもの”が34%、「時間に融通がきく・プライベートを充実させたい」、「将
来留学したい・将来海外で働きたい」、「いろいろな仕事・経験ができる」、「自分の可能性を
広げたい」など、“派遣という就労形態が持つ柔軟性をメリットとして活かそうとするも
の”が32%、また「自分の適性・適職を見極めることができる」、「派遣で働いてから正社
員になりたい」など、“派遣就労を通じて自分の適性・適職を求めようとするもの”が18%
となり、参加者たちが、就労形態の選択にあたっても明確な目的意識を持って臨み、“就社”
ではなく“就職”という意識を強く持っていることをうかがわせました。
そして、「あなたにとって“働く”とはどのようなことですか」との問いに対しては、「お
金、収入を得るための手段・生活の基盤となるもの」が19.7%でトップにあげられ、「自分
自身を成長させる・自分を磨く、向上させる」が18.5%、「社会に貢献する・社会人として
の責任を果たす」と「人生を充実させる・人生において大切なもの」が15.3%と同率で続き、
これらのことから、「仕事とは、第一に生活の糧を得るための手段であるが、その中で自分
を磨き、自己実現し、社会に貢献し、ひいては人生を充実させるものである。」という参加
者たちの仕事観が浮かんできました。
もちろん、「経済的・社会的自立」など学生らしい答えもありましたが、参加者のほとんど
がまだ社会に出たことのない若者であるにもかかわらず、このような成熟した仕事観を形
成していることに、彼らの働くことへの意識の高さを感じずにはいられません。
今年の新卒者の多くは1980~81年にバブル経済とともに生まれ、その人生の半分
はバブル崩壊後の長い不況の中にありました。その中で、親世代が倒産やリストラで失業
していく姿や先輩学生たちが氷河期とも言われた就職難で苦労する姿に、“一流大学に入
り、大企業や中央官庁に就職し、定年まで働く”という、長年日本社会を支えていた人生
の理想形が崩れていくのを目の当たりにして、“働くこと”について真剣に向き合い、考え、
このような仕事観を醸成していったのでしょう。
このような若者たちが自分の適性に合った適職に出会い、充実した人生を送り、そして
その中で社会に貢献することができるよう、パソナでは、『ビジネスインターン制度』をは
じめさまざまな雇用インフラを提供することで彼らにエールを送りたいと考えています。

【このアンケートに関するお問い合わせ先】
株式会社パソナ 広報企画部 担当/近江 淳・角田雅世
TEL:03-5223-1313
p.kohokikaku@pasona.co.jp
PASONA 雇用世論調査 Report


≪参考資料≫
<『ビジネスインターン制度』とは>
“超氷河期”といわれた就職難に苦戦を強いられていた女子学生の就職を支援すべく、
株式会社パソナが95年9月に、アメリカのインターンシップ制にヒントを得てスタート
させたのが『ビジネスインターン制度』です。即戦力になるための研修を受けた後に、実
際に企業で勤務することにより、「働くこととはどんなことか」を肌で感じることができ、
また「自分の本当に進むべき道を明確に捉えることができる」ということで、このシステ
ムは社会的にも大きな反響を呼びました。
それから約7年経った現在、パソナの『ビジネスインターン制度』は、「就社」から「就
職」へと学生の就労意識が大きく変化する中、将来のキャリアアップを考えた新しい働き
方として、また、企業にとっては、採用の新しい選択肢『新卒派遣』として広く受け入れ
られ、これまでに約2,000人が就労しました。

URL:http://www.pasonagroup.co.jp/company/koyou/pdf/report01.pdf


■論文題名 労働市場の変化と職業威信スコア

I 産業化と職業構造

 敗戦の廃墟の中から出発した戦後日本社会は,極端にいえばそのすべての力を経済の発展と復興に傾けることによって,急速な産業化を推し進めた。その過程で,戦後復興期から高度経済成長期における重化学工業から,その後のサービス産業や情報産業へと産業の主力は移っていく。他方,著しく比重を下げたのは農林水産業である。国内総生産(GDP)に占める農林水産業の比率は,1955年の約20%から,40後の1995年には約2%に低下している。
 これに伴って人びとの就業構造,産業構造も変化した。図1は,職業別従業者比率の変化を戦前も含めて示したものである。戦前の1930年当時,就業者の約半数が農林水産作業者であったが,その後,急速に比率が低下する。1947年の臨時国勢調査で55%にまで回復したのは,都市住居者および外地からの引揚者の一時的な帰農によるものである。しかし,その後はさらに急速に比率が低下しただけでなく,1970年以降は実数でも減少に転じている。いわゆる「雇用者化」もこの変化に対応したものであろう。全就業者中に占める雇用者の比率は,1955年には46%であったが,1995年には75%に上昇した(農林水産業者を除く74%→79%)。

図1 職業別従業者数と比率の推移

 ブルーカラー(運輸・通信・採掘・製造・建設・労務作業者)の比率は,戦前も増加傾向にあったが,敗戦でいったん低下した後,1950年代から60年代にかけて大きく上昇している。これは,先に述べた重化学工業化のピークの時期である。しかし,1980年以降はほとんど上昇せず,32~33%のレベルで停滞している。第三次産業従事者が多くを占めるホワイトカラー(専門・技術・管理・事務的職業従事者)およびグレーカラー(販売・サービス・保守的職業従事者)の比率も,とくに戦後は第三次産業の伸びに対応して上昇を続けてきた。ただし,両者の動きはやや異なっている。伸びが大きいのはホワイトカラーであり,1995年にはブルカラーの比率を超えて最大の職業群となった。これに対してグレーカラーは,1930年にはホワイトカラーの約3倍の比率を占めていたが,1960年代にはホワイトカラーに完全に追い抜かれ,その後の伸び率も小さい。なお,1947年の臨時国勢調査においてグレーカラーの比率が飛び抜けて低下したのは,これらの人びとの多くが所属する小規模な商店が,敗戦による打撃を最も大きく被ったことを示しているのであろう。
 就業構造,職業構造の変化は,さらに人びとの職業意識や職業観の変化を伴っていよう。たとえば図2は,1975年の「社会階層と社会移動全国調査(SSM調査)」と1993年に行われた「国民性調査」の結果から,企業間移動について肯定的な態度をもつ者と否定的な態度をもつ者の比を,年齢層別に示したものである(注1)。二つの調査では選択肢が異なっているため,単純な比較はできない。しかし,変化は明らかである。1975年当時は,肯定的な態度の人は,否定的な人の二分の一(0.48)にすぎず,どの年齢層でも否定的な態度のほうが優勢である。これに対して1993年の結果では,全体としてやはり否定的態度の人のほうが優勢であるけれども,両者は接近している(0.92)。とくに,20歳代と30歳代では,肯定的態度のほうが圧倒的に多くなっている。

図2 年齢層別転職観の変化

 このような転職観の変化は,1980年代からいっそう盛んになってきた若い世代を中心とする流動化傾向や,さらには高度経済成長に成立した大企業の「終身雇用」慣行その後の弱体化とも関連していると考えられ,常識的にも納得できるものである。しかし,あらゆる職業意識や職業間がそうだというわけではない。以下で論じようとする「職業威信スコア」と,その背後に存在すると考えられる「職業評価意識」も,そうした意識の一つである。



II 職業威信スコア

 職業威信スコア(occupational prestige score)とは,人びとのさまざまな職業に対する総合的な格付けの程度をスコア化したもので,職業的地位の量的指標として多くの分析に用いられている。わが国では,1975年のSSM調査の際に,この格付けを調べるための調査(職業威信調査)が本調査とは別に実施され,その結果にもとづいて作成された(SSM職業威信スコア)。
 調査では,288の職業小分類のうちから代表的な職業82を選んで,「最も高い」「やや高い」「ふつう」「やや低い」「最も低い」のいずれかに分類してもらった。正確な質問は以下のとおりである。
  “ここにいろいろの職業名を書いたカードがあります。世間では一般に,これらの職業を高いか低いというふうに区別するようですが,いまかりにこれらの職業を高いものから低いもの順に5段階に分けるとしたら,これらの職業はどのように分類されるでしょうか。1枚ずつごらんになって,あてはまるところへカードを置いて下さい。”
 しばしば指摘される点であるが,この質問文の作りかたは教科書どおりではなく,あいまいな形での問いかけが行われている。第1に,どのような基準で分類するのかが指示されておらず,回答者にまかされている。第2に,世間の評価についての回答者の「認知」をたずねているのか,回答者自身の各職業についての「評価」をたずねているのか,明確でない。これらの点については,後でも触れる。
 次に,それぞれの分類に100点,75点,50点,25点,0点を与えて,全回答者の評価の平均を求めた(表1)。ある職業についてすべての回答者が「最も高い」という評価を与えていればスコアは100点,「最も低い」という評価を与えていれば0点となる。さらに,このスコアを残りの類似の職業にも拡張して,すべての職業にスコアを与えたものが「SSM職業威信スコア」である。個々の職業と威信スコアとの関係は表1からではわかりにくいけれども,専門・管理・事務・販売(サービスを含む)・熟練・半熟練・非熟練・農林という大分類を行って平均を求めてみると,管理のスコアが最も高く専門がそれに次いでいる。また,単純作業が中心の非熟練が最も低い。それらの中間に事務・販売・熟練・半熟練・農林が位置づけられるが,これらのうちでは事務がやや高く,農林がやや低い。販売・熟練・半熟練の間には(平均値としては)ほとんど差がない。熟練と半熟練の間に差がないのは奇異な感じもするが,熟練に分類されるのは職人的な仕事が多く,半熟練に分類される職業には近代的工場労働が多いという違いがあり,「熟練」の程度の差というよりは質の違いにもとづいた分類だからであろう(尾高編1958)(注2)。

表1 職業威信スコア(1975年)

 なお,予備調査の段階では288の職業すべてについて回答してもらったが,回答分布のクラスター分析の結果等にもとづいて,類似の評価パターンをもつ職業同士をグループにまとめ,それぞれから代表的な職業を選びだした。さらに,調査者からみて重要だと思われる職業や,スコアの妥当性を検討するために企業規模を特定した職業名(例えば「中小企業の……」というように)などもつけ加えられた。



III 職業威信スコアの性質

 こうして作成された威信スコアの性質については,直井優(1979)が詳しい検討を行って内的一貫性を備えた尺度であること,つまり同一の何ものかを測定していることを明らかにしている。ただし,測定されているものがそれぞれの職業の「威信」であるかどうかについては,議論のあるところである。最も厳密に定義すれば「威信」とは「尊重される資格(deference-entitlement)のことである(Shils 1968)。高い威信をもつ職業とは,人びとから敬意をもたれ,そのことによって社会的影響力を行使できる職業である。
 上の質問文では,単に「高い」とか「低い」と表現しているだけで,「尊重」とか「敬意」とは明示されていないから,厳密な意味で「威信」の程度を測定しているとはいえない。他方,直井によれば,官庁統計等によりデータが得られる職業に関しては,職業威信スコアと学歴水準および所得水準とが高い相関を示す。また,たとえば小中学校の校長と小学校の教諭のように権限が比較可能な職業では,威信スコアと権限のハイアラーキーの順序が一致する。これらの事実を考慮すると,職業威信スコアが示しているのは,人びとのさまざまな職業に対する総合的な格付けの程度というのが適切と思われる。しかし,収入額であるとか権力の大きさそのものではなく,人びとによる職業の「格付け」を(もう少し広い意味での)威信と考えるならば,「職業威信スコア」という名称も誤りとはいえないだろう。
 ところで,この職業威信スコアについては,基本的な二つの特徴が広く認められている。
 第1の特徴は「頑健性」ということである。SSM職業威信スコアの場合,「最も高い」から「最も低い」までの回答に,100点から0点までの等間隔のスコアを与え,全回答者に関して平均したものであった。しかし,回答を要約して量的なスコアに変換する方法は,他にもいろいろありうる。特定の回答(カテゴリー)の比率を用いるというのは有力な方法である。たとえば,アメリカで用いられているSES(社会経済的地位)のもとになっているのは,「最も高い」(excellent standing)と「やや高い」(good standing)という回答の比率である(Duncan 1961)。SSM調査における82の職業について同様に比率を求めてみると,威信スコアとの相関係数は0.84と極めて高い(直井 1979)。また,単純に平均値を求めるのではなく,主成分分析を行う方法,カテゴリカルデータのまま数量化III類を適用する方法等もある。しかし,いずれの方法でも,第1主成分得点あるいは第1軸スコアとして抽出された数値と職業威信スコアとの相関は極めて高い。
 この頑健性という特徴と関連して,評定の信頼性の高さも指摘できる。つまり,回答者を社会的属性によるサブグループに分けて,サブグループ別に威信スコアを求めてみても,相互の相関は極めて高い(表2)。また,この職業威信調査では,82の職業について評定してもらった後で,どのような基準を重視したかをたずねている。各評定基準を重視したか否かでサブグループを作り威信スコアを比較しても,同様に相関は極めて高い(直井 1979)。評定の信頼性は,1975年調査だけでの偶然的特徴ではない。1995年のSSM調査でも職業威信調査があわせて行われているが,太郎丸博(1998)の分析によってまったく同様の結果が得られている。

表2 サブグループ別職業威信スコア間の相関係数

 いうまでもなく,職業威信スコアは個々人の評価を平均したものである。もちろん評価のバラツキは存在するけれども,標準偏差が回答カテゴリー間に設定した25点をこえる職業は一つもない(表1)。上に紹介した頑健性と信頼性という職業威信スコアの性質は,社会全体に共通した,いわば社会意識としての職業の格付け意識がその背後に存在することを示していよう。



IV 職業威信スコアの安定性

 職業威信スコアの第2の特徴は,社会間,時点間にみられる評価の安定性である。つまり,社会間,時点間の差異が少ない。
 よく知られているように,トライマン(Treiman 1977)は60の社会から85の職業威信調査データを収集し,相互に比較した。60の社会は地域的に全世界に散らばっており,産業化や国民総生産(GNP)の水準もさまざまである。もちろん,調査の標本は必ずしも全国規模の無作為標本とはかぎらず,地方模索のものや,教室で学生を対象に行った結果も含まれている。また,質問の方法や選択肢(たとえばカテゴリー数)もさまざまである。それにもかかわらず,職業威信の序列には「全世界を通じて,高いレベルの一致」が存在するとトライマンは結論している。
 トライマンの研究から,職業間の威信スコアの序列には,多くの社会において共通性がみられるだけでなく,極めて変化しにくいということが予想できる。この点については,SSM調査データによって確かめることができる。SSM調査をはじめとする階層や職業に関する研究において用いられるのは,1975年の職業威信調査にもとづいて作成された職業威信スコアであるが,その後の変化をさぐるために,1995年のSSMの調査の際にも職業威信調査が実施された(ただし,職業数は56)。また,職業威信スコアを作成するという目的ではなかったけれども,1955年のSSM調査の中でも,31の職業について,1975年とまったく同じ形式で格付けの質問を行っている。つまり,高度経済成長が開始されようという時期(1955年),高度経済成長が終了した時期(1975年),そして低成長(安定成長)とバブル経済を経験した後の時期(1995年)という,ちょうど20年間隔の3種類のデータの比較が可能である(注3)。
 これら3回の調査では職業の入れ替わりがある。1955年と75年,1975年と95年で共通に含まれている職業について,威信スコアの変化を示したのが図3である。図中に示されているように,20年を経ても威信スコアの相関は極めて高い。40年を隔てた1955年と95年でさえ,相関係数は0.932である。

図3 職業威信スコアの変化

 もちろん,職業威信スコアに何も変化がなかったというわけではない。しかし,相関係数が1に極めて近いということは,同じく図中に示した回帰直線によって変化の大半が説明できるということを意味している。回帰方程式の定数項の大きさからわかるように,威信スコアは1955年から75年では約6点,1975年から95年では約14点,平均して上昇した。回帰係数はともに約0.8であり,平行移動に近いけれども,傾きが1未満であるから,しいていえば威信スコアの低い職業のほうが高い職業よりも上昇が大きいといえる。
 威信スコア上昇の原因は明かである。それは,回答者が「低い」という評価を回避する傾向を強めたためである。1975年と95年で共通の25の職業について,評価(回答)数の分布をみてみると,次のように変化している。「最も高い」(5.8%→6.6%),「高い」(19.6%→19.0%),「ふつう」(47.5%→59.9%),「やや低い」(19.8%→12.2%),「最も低い」(7.3%→2.3%)。「最も高い」と「高い」の比率はほとんど変化していないのに対して,「最も低い」と「低い」はそれぞれ5%以上減少し,代わって「ふつう」が大きく増大した。当然のことながら,「低い」という評価は威信スコアの低い職業に多い。それらの職業で「最も低い」および「低い」の比率が大きく減少した。それが回帰係数0.8(1未満))となった原因である。
 それでは,なぜ「低い」という評価が回避されるようになったのか。基本的に二つの理由が考えらえる。第1に,高度経済成長を経て人びとの所得水準や学歴水準が上昇したことにより,かつては明白であった職業と社会経済的生活条件との結びつきが薄れた。「低い」という評価は,しばしば「貧しい」と同義である。職業間の格差が消滅したというわけではないが,明らかに「貧しい」職業は見当たらなくなった。それゆえに,「低い」という評価が減少したのである。
 第2に,「職業に貴賎なし」という主の平等主義的イデオロギーが浸透した。これは,一方で「反差別」の運動・宣伝活動・学校教育・法制度等の社会的な動きと,他方で第1の理由として述べた社会経済的生活条件の向上との相互作用によって達成されたものであろう。この立場を徹底させるならば,評定そのものを拒否するか,すべての職業に同じ評価を与えるということが予測される。おのおのの比率は1975年で1.7%と0.7%,95年で2.0%と3.5%と,増加傾向にあるけれども決して大きくはない。しかし,それほど徹底したものではないとしても,同じ平等主義的な感情が「低い」という評価を回避させているのではないだろうか。
 現実には,これらの理由がともに働いているのであろうが,高度経済成長をはさんで生活水準の向上が著しかった20年間よりもその後の20年間のほうが威信スコアの上昇が大きいことから,少なくとも1975年から95年の間の変化には,第2の理由の影響が大きいと考えらえる。



V 職業威信スコアとは何か

 1955年から95年までの40年間にみられた職業威信スコアの変化は,全体としての評価の底上げであり,職業間の評価の序列にはほとんど変化がなかったといってよい。もちろん,細かく検討すれば変化がなかったわけではないが(都築編1998),基本的には「変化がなかった」と述べることは誤りではないだろう。
 これは驚くべき事実である。最初にも述べたように,SSM調査データがカバーする40年間に日本社会は就業構造や職業構造の大きな変動を経験した。そのことが人びとの職業評価に影響しないのだろうか。チューミン(Tumin 1964)は人びとが職業的地位を評価する場合の次元として,(狭義の)威信,好ましさ,人気の三つをあげている。それぞれの次元で高く評価される職業を形容詞で表現するならば,威信は「立派な」,好ましさは「就きたい」あるいは「なりたい」,人気は「カッコいい」ということになるだろうか。これらのうちで,少なくとも好ましさや人気は時代的な変化を予想させる次元である。たとえば,労働市場の状況(従業者数やその変化など)は,好ましさや人気に影響を与えないのだろうか。
 表3は,これらの点を検討するために行った職業威信スコアの重回帰分析の結果である。ここで固体はそれぞれの職業である。職業威信スコアが単に個人意識の総計ではなく,その背後に社会意識が存在すると考えている。独立変数としては,学歴水準(平均就学年数),所得水準(平均個人年収),労働市場占有率(従業者数比率),従業者数の伸び率,雇用者率を用いた(注4)。学歴水準と所得水準は職業的地位を,従業者比率および従業者数伸び率は労働市場状況を示す変数である。雇用者率を加えたのは,人びとの自営業に対する志向との関連を検討するためである。なお,固体数が少ないこともあって平均就学年数と平均年収との相関が極めて高いため,最終的には平均年収は独立変数から除外した。また,職業のうちで農業は従業者数を大きく減少させたとはいうものの,単独のカテゴリーとしては飛び抜けて従業者比率が大きいので,外れ値として分析から除外した。

表3 職業威信スコアの重回帰分析

 3時点の分析結果はほとんど一致しており,就学年数以外の独立変数はどれも有意な効果をもたない。しかも決定計数は極めて大きい。ここでは独立変数としてわずか4変数しか用いていないけれども,かりに別の変数を加えたとしても結果は変わらないだろう。つまり,職業威信スコアの違いはそれぞれの職業の学歴水準(平均就学年数)によってほとんど説明することができ,労働市場の状況など,他の要因の影響は受けないといえる。
 チューミンがあげた職業的地位評価の3次元のうちで,学歴水準と最も関係が深いと思われるのは「威信」の次元である。質問文では評価の次元は指定していないけれども,「高い」とか「低い」という表現は,結局,「威信」の違いを測定している可能性が高い。ただし,かりに職業の好ましさや人気を測定するための質問を用意したとしても,その結果が職業威信スコアと異なり,労働市場の影響を受けて変化するかどうかは疑わしい。たとえば,1975年のSSM調査では,20の職業名をあげて,「こどもに就かせたいかどうか」をたずねている。職業数が極めて少ないことにもよるが,職業威信の場合と同じ方法によってスコア化したものと,職業威信スコアとそのものとの順位相関は0.88と高い(岡本・原 1979)。就職情報誌等でしばしば「就職希望企業」や「人気企業」の調査が行われ,ランキングの変化が話題になるけれども,あれはあくまでも企業ないし産業の好ましさないし人気であって,職業に対する評価とは別物である。職業の「好ましさ」や「人気」は,「威信」に比べれば変化しやすいかもしれないけれども,企業ないし産業の「好ましさ」や「人気」に比較すれば,安定していて変わりにくいもののように思われる。



VI 変わらない職業順列

 それでは,威信スコアに見られる職業間の序列はなぜ変化しないのだろうか。もう一つ,なぜ社会をこえて共通なのかという問いがあるけれども,トライマンの収集したデータには産業化や国民総生産(GNP)のさまざまな水準の社会が含まれているので,なぜ変化しないのかという問いに答えられれば,こちらの問いにもある程度は答えることになるだろう。
 先にも述べたように,直井(1979)は職業威信スコアと学歴水準および所得水準との相関が高いことが明らかにしたが,表4は平均就学年数の推移,表5は平均個人年収の推移を,職業大分類別に示したものである。平均就学年数に関しては,ホワイトカラー的な職業が長くブルーカラー的な職業が短いのは当然であるが,ホワイトカラーの中では専門,管理,事務,販売という序列が一貫して続いている。ブルーカラー的な職業間には明瞭な差異はないが,熟練よりも半熟練のほうがわずかながら長くなっているのは,先にも述べたように,熟練には職人的な職業が多く,半熟練には近代的工場労働に従事する職業が多いからである。なお,若い世代だけをとりだして学歴水準を比較すると,1975年までは高校卒,大学卒の比率に職業間で差異がみられたのに対して,それ以降は高校卒に関しては差異がほとんどなくなり,大学卒に関してのみ差異がみられる。

表4 職業別平均就学年数

表5 職業別平均個人年収

 平均個人年収に関しては,管理,専門,事務・販売,半熟練,熟練,農林,非熟練というおおよその序列が存在するけれども,就学年数ほどには一貫していない。たとえば1955年には専門は販売よりも低くなっている。また,農林は1985年には非熟練よりも低く,1995年には半熟練よりも高くなっている。このように一貫しない面はあるけれども,逆に決定的な変化が起こったかといえば,それもまたないのである。
 戦後日本社会は,職業分布が大きく変化し,学歴水準と所得水準も大きく向上した。しかしながら,職業と学歴および所得の結びつきかた,つまり学歴水準および所得水準に関する職業間の序列は,ほぼ変化していないといってよい。これが職業の総合的格付けである職業威信スコアの序列が変化しない理由ではないだろうか。トライマンは,職業の「高い」とか「低い」という格付けは,それぞれの職業がもつ(広義の)能力(power)とその結果としての特権(privilege)によって決まってくるとしているが,データ分析においては学歴水準を能力の,所得水準を特権の指標として扱っている。職業の能力とは,その活動に付随したり必要とされる知識や技能,経済資源,権威や権限という,希少な社会的資源に関する統制力(control)であり,これが基本的に変化しないのである。
 もちろん,技術革新によって新しい職業が出現することはある。しかし,それらの多くは別の職業が果たしていた機能を代替する形で出現するので,もとの職業と同程度のレベルに格付けされる。また,類似の知識や技能を伴う職業と同程度のレベルに格付けされることもある(たとえば,新しいタイプの技師は,従来から存在する他の技師と同程度に格付けされる)。いずれにしても,職業の格付けには大きな変動を引き起こさない。
 さらにトライマンは,職業威信スコアが社会間でも時点間でも安定しているのは,社会が存立するために要請され,職業という形で専門分化して担われる機能が,多少とも複雑な社会であれば共通でしかも変化しないからであり,したがって基本的に産業社会であるか否かを問わないと主張しているけれども,この点についてはさらに検討が必要であろう(Treiman 1977)。
 最後に,職業威信スコアの安定性がもっている意味について,1点だけ指摘しておこう。フェザーマンら(Featherman, Jones and Hauser 1975)は,親子間の総職業移動量のうちで,産業構造の変動(たとえば労働力の需給関係の変化)によって引き起こされざるをえなかった移動量(構造移動量)を除いた移動量,つまり人びとの意欲と社会制度との相互作用によって決まってくる社会の開放性の程度を示す移動量(循環移動量)は,産業化論の主張とは異なって,変化せず一定であると主張した(FJH命題)。このFJH命題が戦後日本社会さらには昭和初期にまでさかのぼってほぼ成立することが,多くの分析によって確かめられているが(今田 1989;原 1998),その理由の一つは,少なくとも近代産業社会における職業の格付け序列が変化しないことにあるだろう。格付けの序列に変化がないとすれば,人びとの職業に対する志向にも決定的な変化はないと考えられるからである(原・盛山 1999)。
 また,その職業威信スコアは学歴水準と高い相関がある。職業威信スコアが安定しているということは,いわゆる「地位の高い」職業に到達するためには学歴が決定的に重要であり続けるということである。その意味では,「受験地獄」や「進学過熱」がすでに明治時代からいわれていたのも当然であるし,今日の「学歴社会」状況が強まりこそすれ弱まるということはないであろう。
 このように,職業威信スコアの安定性が示す「変わらない職業序列」は,他のさまざまな現象とは無関係で独立した現象では決してないのである。


(注1) 本稿の議論で主に用いられるデータは,1955年以降,10年間隔で実施されてきている「社会階層と社会移動全国調査(SSM調査)」データである。SSM調査データの使用については1995年SSM研究会の許可を得た。ただし,女性が調査対象となったのは1985年の調査以降であるため,女性を含めた時系列分析には限界がある。以下で示すデータもすべて男性のみのものである。なお,SSM調査については原・盛山(1999)を参照。

(注2) 職業大分類間の序列は,後でふれる1955年調査では専門と管理の間には差がない。これは意識の変化というよりは,全体の職業数が少ない(したがって各カテゴリーに含まれる職業数も少ない)ことの影響と考えられる。

(注3) それぞれの調査の標本数は,2014(55年),1296(75年威信),1214(95年威信)である。ただし,1955年調査の職業の格付けに関しては,個人データを得ることができない。保存されている調査票でも,格付けの回答部分だけが切り離されて紛失してしまっている。幸い,職業威信スコアは報告書(日本社会学会調査委員会編 1958)に記載されている。

(注4) 職業としては,3時点でほぼ対応づけが可能な(必ずしも同一の名称ではない以下の29職種を用いた。医師,印刷工,会計事務員,機械工業技術者,行商人,漁業者,警察官,小売店主,採炭夫,指物師,自作農,自動車修理工,市役所課長,住職,小学校教諭,商店員,炭焼夫,施盤工,大会社課長,大学教授,大工,中小企業課長,鉄道駅員,道路工夫,土木建築技師,パン製造工,紡績工,保険誘導員,理髪師。
   独立変数のうち,就学年数と個人収入についてはSSM調査データを集計して求めた。労働市場占有率,就業者数伸び率,雇用者率は国勢調査から得た。


参考文献
Duncan, Otis D., (1961) “A Socioeconomic Index for All Occupations.” Albert J. Reiss, Jr. (ed.), Occupations and Sociad Status, Free Press: 109-138.
Featherman, David L., F. Lancaster Jones and Robert M. Hauser (1975) “Assumptions of Social Mobility Research in the United States.” Social Science Research 4: 329-360.
原純輔(1998)「流動性と開放性」,石田浩編『社会階層・社会移動の基礎分析と国際比較』1995年SSM調査研究会:27-42。
原純輔・盛山和夫(1999)『社会階層-豊かさの中の不平等』 東京大学出版会。
今田高俊(1989)『社会階層と政治』東京大学出版会。
直井優(1979)「職業的地位尺度の構成」。富永健一編『日本の階層構造』東京大学出版会:434-472。
日本社会学会調査委員会編(1958)『日本社会の階層的構造』有斐閣。
尾高邦雄編(1958)『職業と階層』毎日新聞社。
岡本英雄・原純輔(1979)「職業の魅力評価の分析」。富永健一編『日本の階層構造』東京大学出版会:421-433。
Shils, Edward A., (1968) “Deference.” J. A. Jackson (ed.), Social Stratification, Cambridge University Press: 104-132.
太郎丸博(1998)「職業評定値および職業威信スコアの基本的特性」,都築一治編『職業評価の構造と職業威信スコア』1995年SSM調査研究会:31-44
Treiman, Donald J., (1977) Occupational Prestige in Comparative Perspective, Academic Press.
Tumin, Melvin M., (1964), Social Stratification, Prentice-Hall(岡本英雄訳『社会的成層』至誠堂,1969).
都築一治編(1998)『職業評価の構造と職業威信スコア』1995年SSM調査研究会。


はら・じゅんすけ 1945年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程中退。東北大学文学部教授。主な著書に『社会階層-豊かさの中の不平等』(共著,東京大学出版会,1999)など。社会学専攻。

URL:http://db.jil.go.jp/cgi-bin/jsk012?smode=dtldsp&detail=F2001050121&displayflg=1#02000000


■ 論文題名 平等社会の神話を超えて

I はじめに

 自由と平等の理念にもとづく民主主義が御者となり,産業主義,技術主義,官僚制のたづなをさばく。これが近代社会の歩むべきはずの道であった。ところが,民主主義はしばしば経済優先に従属し,社会階層の平等性実現は期待どおりに進んでいない。戦後の日本では,一見して平等化が進んだようにみえたが,じつはそれは高度成長の効果によるものであって,必ずしも正しい意味で平等化が進んだのではない。成長効果が不平等のメカニズムを覆い隠すほど大きかったというべきである。
 こうした傾向に支持を与えたのが「豊かな社会」論である。これは経済成長によってパイを増やすことのほうが,不平等を是正する再分配政策に期待するよりも,貧乏人にとって有利だとする考え方である。国民の福利厚生にとって,政治的な平等政策よりも経済成長のほうが効果的であり,不平等や格差による緊張はパイの増加によって和らげられるとする。こうして格差の解明と改革に鈍感になる口実が与えられた。
 戦後に顕著な階層割れが起きなかったのは,高度成長によって階層割れを抑止する安全弁が形成されたからである。(1)生活水準の上昇による中流意識の広汎化,(2)職業や教育でみた親子世代間の社会移動の促進,および(3)教育や職業的地位は低いが所得は高いといった社会的地位の非一貫化の三つの安全弁が高度成長期に有効に働いた。これらは階層をごちゃまぜにし,階層の境界を不明瞭化することで,特定の階層に固有な文化や価値や生活様式を実体なきものにした。こうした階層の非構造化により階層割れが可視化せず,一見,開放性や平等が現実のものとなるかにみえたのである。しかし,高度成長が終焉して低成長時代に入ると三つの安全弁がはずれ,背後にあった不平等のメカニズムが露呈するようになった。



II 格差の時代へ
-中流意識のかげりとバブル経済

 戦後の高度成長期に有効に作用した階層割れ抑止の三つの安全弁は,1980年代に入って以降,その機能を失っていった。とくに,生活水準の上昇にともなう中流意識(正確には「中」意識)の広汎化にかげりが生じたことは象徴的である。また,1980年代後半には,バブル経済による資産格差が高まり,一気に格差意識が増大した。さらに,不平等の相殺効果を発揮した地位の非一貫性も弛緩し,階層非構造化の力が弱まった。

1 中流意識の下方シフト

 1970年代後半,日本は中流意識に浮かれた。マスコミや言論界では,「9割中流」「オール中間」「一億総中流」のテーマが盛んに取りあげられ,中流すばらしい論や中流幻想論が飛び交って,すったもんだの議論がなされた。ところが,1980年代に入ると,中流意識にかげりが生じ,後半には一転して格差意識が高まった。
 中流意識に変化が起きたのは,ちょうど1980年である。総理府が実施している世論調査で,それまでおよそ60%の水準を維持していた「中の中」意識が,1980年に,前年に比べて6%強も急落した。1979年の60.6%から一気に54.4%に落ち込み,それ以降,50%台の前半で推移している。これに対し,「中の下」および「下」が増加し,中意識の下方シフトが起きた(総理府内閣総理大臣官房広報室 1997)。
 かつての中流論議は,当初より国民生活の実態から乖離していた。なぜなら調査では,誰も「ほんとうの中流階級」を念頭に置いて,自分の生活程度を「中」と判定していないからである。単に,自分の暮らしむきが社会全体のなかでどこに位置するかを答えたにすぎない。それを勝手に中流意識に読み替えて,「みんな中流」や「みせかけの中流」の議論(ゲーム)をしたのである。また,世間も,そのようなことは先刻承知でこのゲームに乗った(ふりをした)。だが,こうした中流ゲームは社会的に重要な役割をはたした。中流論議は生活水準の上昇による豊かさの実感を,社会意識レベルで確認しあうゲームであるとともに,中流階級を実体のないものにする効果(階層の非構造化)を持った。
 中流論議の際には,きまって中流の条件が問題にされる。そして,これがどれほど満たされているかを議論しあい,現状では「ほんとうの中流」ではないことを確認する。議論の落とし所は,「みせかけや幻想というほど惨めではないが,ほんとうの中流に到達するには一段の努力が求められる」である。こうして,中流ゲームは豊かな生活の実現へ向けて国民的エネルギーを引きだす装置となった。また,「中」意識の中流意識への読み替えは,中流のバーゲンセールによって,かつて下層から明確に区別されていた中流階級を実体なきものにし,階級の輪郭を不明瞭にする効果を持った。幻想であろうとみせかけであろうと,中流階級を大衆の面前でバナナのたたき売りのように安売りする。これにより,かつて下層と明確に区別されていた中流階級を骨抜きにする。その結果,日本社会に実体としての階級が存在することすら疑問な状態がもたらされた。「9割中流」や「オール中間」は平等社会の神話づくりに格好のキャッチフレーズであった。こうして中流ゲームは,人々のあいだに潜在化している不満をはきだし,中流論議ですったもんだを繰り返すことで緊張処理をおこなう格好の機能を担った。
 しかし,1980年代に入って,国民の家計はゆとりを欠くようになった。実質可処分所得が伸び悩むなか,多くの世帯で住宅ローンの返済や子供の教育費などの固定支出の割合が高まった。そして,ゆとりのある層とゆとりのない層との分化が進み,これを反映するかのように,階層を意識する用語が流行した。たとえば,1984年に『金魂巻』という本で話題になった(金)(マルキン=金持ち)と(ビ)(マルビ=貧乏人)(注a)がそれである。また,「ニューリッチ,ニュープア」という言葉も流行した。さらに,1986年ごろから,いわゆる「お嬢様」ブームが起き,「令嬢」とか「家柄」など,古めかしい階層用語が頭をもたげた。こうした現象が流行するのは,人々が持てる者と持たざる者の階層割れを肌で感じ,それを意識するようになったからである。
 中流意識から格差意識への反転を決定的にしたのが,資産格差の拡大をともなった経済のストック化である。確かな根拠に欠けていた格差意識が,目にみえる資産格差とリンクすることで一気に顕在化した。バブル経済による地価高騰と株式投機に突出したストック化が,サラリーマンの「あすなろ物語」の夢を打ち砕いたのである。それ以前には,必死になって働けば,いずれはそこそこのマイホームを入手できるという希望が持てた。ところが,東京を代表とした都市圏の地価高騰はその可能性を奪った。努力してかりに管理職に就けたとしても,東京近郊で自宅を持ち,ゆとりある生活などとても送れない。それは努力が報われる水準を超えている。ということで「あすなろ物語」も成り立たなくなったのである。

2 ゆがんだストック経済

 土地や株式に代表される資産格差が表面化したのは,1980年代後半になって,日本が国内外で急速に資産を蓄積し,経済のストック化を進めて以降である。世界最大の債権国であるアメリカが1985年に債務国に転落したのと対照的に,日本はこの年から対外純資産を急速に増大させ(もっともこれはプラザ合意による円高基調に原因するところ大である),1988年にはついに世界最大の債権国(資産大国)になった。また,日米間の貿易摩擦を機に,日本は内需拡大を進めることで,国内での資産形成も顕著に増大させた。
 しかし,このストック化は当初よりゆがんでいた。日本の巨大な貿易黒字が国際摩擦を高め,「日本たたき」によって円高と内需拡大を余儀なくされたころから,これに拍車がかかった。巨大な余剰マネーが,国内で自己増殖する場をあさり,土地と株式をそのターゲットにしたのである。企業は,簿価をはるかにうわまわる「含み資産」を担保として資金を借り,本業そっちのけで不動産投資や財テクに走った。地価と株価は投機期待をバネにらせん的に高騰し,1986年から1987年の2年たらずで,土地はサラリーマンの手の届かない値段につりあがった。
 バブル経済がはじけて以降,地価の値下がりが続いており,「土地は値下がりしない」という土地神話が崩壊したかの印象を受けがちだが,これは正しくない。バブル期にあまりにも地価がつりあがり,そこからの下落が大きいため,心理的な値下がり感が強いだけである。現実は,バブル以前の土地神話の趨勢に復帰しているにすぎない(注1)。
 健全なストック化が進むことは望ましい。快適な都市建設がなされ,住宅や社会資本の蓄積がおこなわれれば,経済成長がなくても充実した生活を送ることができる。しかし現実は逆方向に進んだ。経済のストック化が資産格差を拡大し,持てる者と持たざる者の階層割れに拍車をかけた。生活の充実につながるべきストック化が,逆に生活を阻害する方向に働いた。平成元年度の『経済白書』でも指摘されたように,ストック化の最大の要因は地価高騰による土地資産の増加と株式投機による金融資産の増加であるのに対し,生活充実のための住宅ストックや社会資本は,1980年と比べてほとんど増加せず,住宅ストックはむしろ低下した。
 ストック経済化の恩恵を享受したのは,いわゆる「含み資産の錬金術」に参加できた企業や一部の資産家だが,それにとどまらず,土地高騰以前に運よく住宅を購入した,年収が1000万円前後の「小金持ち」を巻き込んで,細かな階層割れをも引き起こした。企業の不動産ゲームのメリットは,不動産の購入が減価償却などを損益に算入できる節税効果にある。不動産会社はこのメリットを「小金持ち」にまで持ちかけ,階層割れに拍車をかけた。その手口は,たとえば「節税のためにぜひワンルームマンションの購入を」というもの。マンションを購入し賃貸すれば,確定申告の際に損益として計上でき,かなりの節税ができるという仕掛けである。頭金100万円そこそこで,あとはローンを組み,その支払いを家賃でまかなえば,楽に資産を増やすことができるとされた。
 こうした仕組みで,土地・マンション騰貴を,東京圏から他の地域へ波及させたのである。地方中核都市で建設されたマンションを東京の住人が購入する。地元の住人からすれば,かなり高い値段で取引され,これに連動して周辺の土地やマンションの評価額が上昇する。節税の名を借りた財テクゲームが,じつは資産格差を助長し,国民生活を脅かす結果になった。節税は個人的に考えれば理にかなった行為であるが,そうした経済行為が土地高騰の呼び水となり,ひいては社会の階層割れに拍車をかけた。

3 地位の非一貫化も弛緩

 バブル経済を引き金とした階層割れは特異な歴史事例であるが,1980年代の格差化は,一元的な階層割れを抑止してきた地位非一貫化の効果をも薄める結果となった。地位の非一貫性とは,学歴や職業的地位は低いが所得は多い,あるいは逆に高学歴で高威信の職業に就いているが所得はそれほどでもない,といった状態をさす。たとえば,一流企業のエリート社員や大学の教師は,高学歴で職業威信は高いが,年功賃金制度によって,業績にみあう所得を得られないのが現状である。これに対し,学歴や職業的地位は低くても,自営業など自分で事業を営み,高い所得を得ている人も多くいる。これは,社会的地位が首尾一貫せず,ジグザグ状になることで,一方の不平等が他方のそれを相殺する効果をもたらす。こうした地位の非一貫パターンが多くなれば,上・中・下という一元的な階層割れが抑止される。
 戦後日本の高度成長は,現存する報酬分配規則の処理能力をうわまわるスピードで余剰を生みだすとともに,日本的雇用慣行の特徴である年功賃金制度を定着させた。このため,業績原理による分配から逸脱する現象が生じて,社会的地位の非一貫化が進んだ。表1には,1955年以来,10年おきに実施されている「社会階層と移動全国調査」(SSM調査と略す)データから計算した,学歴と所得,職業威信と所得,学歴と職業威信の相関係数を掲げてある。二つの地位のあいだの相関は,必ずしもストレートに三つの地位間の非一貫性を反映しない。厳密には3変数を用いたクラスター分析によってプロフィールを析出する必要がある(注2)。しかし,二つの地位間の相関が高ければ,少なくとも両者の一貫性は高くなるので,大まかな傾向を理解するには有効である。

表1 地位3変数間の相関係数:1955-1995年

 表1をみると,高度成長の離陸期である1955年からピーク期の1965年にかけて,すべての相関係数が低下している。これは学歴,職業威信,所得のすべての組み合わせにおいて,地位の非一貫化が進んだことを意味する。ところが,1975年には,学歴と職業威信の組み合わせを除いて相関が高まり,さらに,1985年にはすべての組み合わせで相関が高まっている。つまり,高度成長期の1960年代に地位の非一貫化が顕著に進んだが,その後はこの効果が薄れ,1980年代なかばにはかなり一貫化した。地位が一貫化すると階層の境界がはっきりするようになる。1980年代に流行した古典的な階層用語にみられる階層意識の高まりはこれを反映したものである。
 ただし,1995年には1985年と比較して各相関係数が低下している。学歴と職業のあいだの相関係数の差は明らかに誤差範囲だが,学歴と所得のそれは微妙であり,職業と所得のあいだの減少は有意である。しかし,これを1980年代に進んだ地位一貫化(階層構造化)が緩み,非一貫化しつつあると解釈するには無理がある。というのも,1995年はバブル崩壊後の不況下にあり,多くの職業で賃金カットやリストラ圧力の嵐が吹き荒れたからである。こうしたなかで,学歴と職業の相関が1985年から低下せず安定した状況にあることのほうが重要である。所得は景気により影響を受けやすいから,労働市場が混乱した状況下の社会階層の現実は,職業と学歴の関係に的確に反映されると考えるべきである。
 以上のように,高度成長期に進んだ地位非一貫化は,それが終焉した1975年から次第に一貫化を強め,1985年にはそれが顕著になった。不況下の1995年には,若干のゆらぎがみられるものの,高度成長期のような非一貫化の効果は確認できない。これまで明確な階層割れを抑止してきた第2の安全弁も有効に働かない状態である。



III 変化していない地位達成のメカニズム

 持てる者と持たざる者の決定的な階層割れを引き起こした直接の原因は,企業社会の暴走によるゆがんだストック経済である。これが格差意識の高まりに拍車をかけた主要因だが,単にストック(資産)格差が格差感を高めたわけではない。現状は,所得や階層移動に代表されるフロー格差も並行して露呈しており,両者が相乗しあっている。
 私は以前に,1955年から1985年までのSSMデータを分析した結果,戦後,社会階層の平等化,開放化は正しい意味で進んでいないことを明らかにした(今田 1989)。そして,戦後,産業化の進展によって親子世代間の社会移動が増え,社会の流動性は高まったが,それは農業社会から産業社会への転換を速やかに進めるための要請から引き起こされたものであると結論づけた。つまり,戦後社会の流動性は,社会が効率化と合理化を推進したことの副産物であって,必ずしも平等化の実現によるとはいえないということである。
 高度成長期には,職業のホワイトカラー化,高学歴化,都市化などによって,社会の流動性は顕著に高まった。また,職業機会や教育機会がどんどん拡大したため,家柄や出身家族の経済的地位とは関係なく上昇移動するチャンスが増えた。そして,これらが社会の開放性イメージにつながった。けれども,社会の流動性の高いことが,すぐさま開放性の高まりにつながるわけではない。職業の需給変動による,強いられた移動も含まれるからである。たとえば,産業化を進めるためには,農業から製造業やサービス業への労働力移動を促進する必要があるが,日本では戦後,農業従事者は急速に減少し,これに代わって生産工程従事者やホワイトカラー従事者が増大した。このため親子の世代間職業移動が顕著に増大した。しかし,これをもって職業階層の開放化が進んだというには抵抗がある。職業の需給変動がなくても,移動が頻繁に起きてはじめて開放的なのである。
 1995年に実施されたSSM調査データを加えて分析しても,上記の結果に変更はない。戦後の社会的地位達成の構造は,高度成長による機会の増大を統制した場合,基本的に変化していない。

1 流動性と開放性-地位達成のレジーム分析

 産業化と社会階層にかんする古典的命題は,産業化とともに職業や教育でみた世代間移動が促進され,社会の流動性と開放性がともに高まることを主張する。社会階層の流動性と開放性は概念的に異なり両者は必ずしも一致しない。しかし,これまでの階層研究とくに産業主義の立場からの階層研究では,階層の流動性と開放性が相関して高まることを熱心に検証しようとしてきた。しかしながら,こうした発想には成長効果がただちに平等効果につながるとする誤解が含まれるだけでなく,その検証方法にも難点が存在することを指摘する研究が,1970年代後半以降あらわれるようになった(Featherman, Jones and Hauser 1975; Hauser et al., 1975; Hauser 1978; Featherman and Hauser 1978; Goldthorpe 1980; Erikson and Goldthorpe 1993)。この流れは社会階層のレジーム分析と呼びうる研究である。レジーム分析を試みた研究の多くは,階層の流動性は階層の開放性が高まったことから帰結しているのではなく,農業社会から産業社会への転換を進めるための,あるいは社会が経済効率を高めるための要請から帰結したものであることを明らかにしている。こうして,レジーム分析の諸結果は開放性命題を旗印に掲げた産業化論に対する反証例となってきた。
 開放性命題が示唆する地位達成構造の変動は以下のように定式化できる。まず第1に,親の職業的地位や教育達成が子供の教育達成に及ぼす影響力が弱まる。第2に,親の職業的地位や教育達成が子供の職業的地位に対して及ぼす直接的な影響力が弱まり,これに代わって子供の教育達成が自身の職業的地位に対して及ぼす影響力が強まる。要するに,地位達成過程において,一方で出身階層からの影響力が低下し,他方で本人の獲得した業績要因による影響力が増大して,教育の機会均等化と地位達成の業績主義化とが同時に進むことである。
 はたして,この傾向は戦後日本において検証されるであろか。これをテストするために,ダンカン(Duncan 1966; Blau and Duncan 1967)が提出した地位達成のパス解析を用いることにする。ここでいう地位達成レジームとは,産業化にともなう教育構造,職業構造の変動を除去した後の地位達成様式のことである。戦後の高学歴化によって教育の上昇移動のチャンスが増大し,また雇用のホワイトカラー化によって威信地位の高い職業への移動チャンスが増大したが,これらは産業化にともなう表層的な移動チャンスの高まりであって,地位達成レジームにはかかわらない(注3)。

2 戦後日本の地位達成構造

 図1には,父親の教育と職業的地位が息子の教育達成にどの程度の影響力を及ぼし,つぎに息子の教育が自身の現職地位をどう規定しているかの因果連関をパス解析にかけた結果が,各年度ごとに掲げてある(注4)。一見して明らかなように,5時点の地位達成構造はきわめて類似しており,めだった変化がない。結論を先取りすれば,地位達成に不変のレジームが存在することである。

図1 パス解析による社会的地位達成の構造:1955-1995年

 まず,息子の教育達成から検討してみよう。たとえば,1995年時点の図で説明してみる。息子にとって父親の教育と父親の職業は生まれながらにして与えられた出身背景であり,両者のあいだには0.50の相関関係がある(息子にとっては外在的であるから因果関係を設定せず,両方向の矢印であらわしてある)。父親の教育が息子の教育に及ぼす因果影響力の大きさ(パス係数という)は0.37であり,これは標準偏差で測って,父教育が1ポイント高くなると息子教育が0.37ポイント上昇することをあらわす。同様に,父親の職業が息子教育に及ぼす影響力は0.22であり,これは標準偏差で測って,父教育が1ポイント高くなると息子教育が0.22ポイント上昇することをあらわす。残差(変数)のパス係数は0.86であり,これは息子教育が家族の所得や子供の数など父教育・父職以外の要因から受ける影響力の大きさをあらわす。父職と息子教育が息子現職に及ぼす影響力についても同様である。
 さて,父教育から息子教育へのパス係数は,1955年から1995年までほとんど変化していない。1975年時点で父教育の影響力が若干増えているようにみえるが,係数の標準誤差は各時点でほぼ±0.02であるから,時点間の比較のために,これを2倍した±0.04の範囲の違いは有意な差ではない。したがって,5時点のパス係数の差はすべての組み合わせで誤差範囲であり,父親の教育が息子の教育達成に及ぼす影響力に変化があったとはいえない。同様に,父親の職業的地位が息子の教育達成に及ぼす因果効果も変化がない。
 以上のことは,戦後50年間に教育機会の均等化が進んでいないことを示す。もちろん,このことは高学歴化による教育水準の上昇,および親子世代間でみた教育の上昇移動の制度化を否定するものではない。また,高学歴化によって生みだされた教育機会の配分について平等化が進んだ可能性をも否定しない。けれども,そのような構造変動の効果を除去すれば,教育機会の均等化はなされておらず,教育達成には不変のレジームが存在する。
 では,職業達成についてはどうか。産業主義命題によれば,出身階層の影響力が低下して,息子の教育の影響力が増大するはずである。残念ながら,この命題もあやしい。父親の職業から息子の現職へのパス係数の違いはすべて誤差範囲内である。したがって,産業化とともに職業的地位達成における出身階層の影響力が低下するとはいえない。父親の職業の影響力はそれほど大きくはないが,ある一定の規定力を維持し続けている。
 息子の教育が自身の現職に及ぼす効果に若干の変化がみられるが,基本的に構造変化はない。息子教育の息子現職へのパス係数は,1975年を別にすれば各時点で有意差はない。1975年の係数は,1955年と比べて0.08の差があり有意であるが,趨勢的なものとは考えにくい。というのも,1973年10月に起きた石油危機により日本は翌年に戦後はじめて経済のマイナス成長を記録し,雇用状況がきわめて厳しかったからである。大卒者の就職難および企業のリストラにより,こうした一時的な影響があらわれた。この意味で,1975年のパス係数が小さいことは,石油危機というイヴェント効果による。
 以上のことは,社会階層における産業主義命題が成立しないことを意味する。戦後50年間の産業化にもかかわらず,その背後の地位達成レジームは不変なまま温存された。産業化によって新たなしかも威信地位の高い職業機会が創出され,こうした職業機会の配分に平等性が確保されたかもしれないが,そうした機会創出をカッコに入れると,地位達成の構造は不変である。



IV 流動性と社会移動レジーム

 地位達成のレジーム分析で用いた職業的地位は職業威信スコアである。職業は地位指標としてだけでなく役割指標としての意義をも備えた中心的な社会構造変数である。社会階層研究では,職業を地位と役割が複合したカテゴリカルな概念と位置づけて,職業への人材の配分・再配分を社会移動の分析によってとらえてきた。とくに,世代間職業移動は役割・地位複合としての職業への人材配分に,流動性と開放性がどれほど確保されているかを検証する有力な方法である。IVでは,親子世代間の職業移動表を用いて,社会階層のレジーム分析を試みる。

1 開放性の高まり?

 表2には,1955年から1995年までの5時点のSSM調査データから計算した,親子世代間の職業移動にかんする移動率と開放性係数を掲げてある(注5)。職業移動を計算するために用いた職業分類はつぎの5分類である。(1)専門管理職層:弁護士,大学教授,医者などの専門職や会社役員,管理的公務員などの管理職からなる。(2)事務販売職層:会社勤めの非管理的職員などの事務職や販売店員・店主,外交販売員などの販売職からなる。(3)熟練職層:自動車組立工,大工,電気工事人などの熟練職からなる。(4)半・非熟練職層:合板工,金属溶接工などの半熟練職や配達人,道路工夫などの非熟練職からなる。(5)農業層:主として農業従事者からなり,林業・漁業作業者を含む。また,本稿では,専門管理職層と事務販売職層をあわせてホワイトカラー層,熟練職層と半・非熟練職層をあわせてブルーカラー層と呼ぶことがある。

表2 職業移動率と開放性の指数:1955-1995年

 社会階層の流動性をあらわす全体移動率(事実移動率ともいう)は,1955年から1995年まで増加し続けている。とくに,1955年から1965年にかけての増加は15%を超えており,その後の4時点間の増加率を大きくうわまわる。1965年から1975年の増加率は3.6%と,前の10年間の増加率と比べておよそ4分の1である。また,低成長期の影響を反映した1975年から1985年および1985年から1995年の増加率はそれぞれ1%前後にすぎず,変化があったとはいえない。1975年以降の趨勢をみる限り全体移動率に有意差がなくなったことは,親子世代間の職業移動が飽和状態に達したことを示す。
 職業階層の流動性は,高度成長へ向けての離陸期からピーク期にかけての10年間に集中的に高まり,その後,低成長の時代に入って停滞している。こうした動向をもたらしている大きな要因は構造移動である。構造移動率は1955年から1965年の最初の10年間に大きく増加した後は停滞し,低成長期を反映した1975年以降は減少している。もはや,職業構造の変化に起因する移動に流動性の高まりを期待できない状態にある。
 これに対し,開放性にかかわる純粋移動は着実に増えている。純粋移動率は1955年いらい1985年までおよそ3%ずつ増加し,1995年には10年前と比べてそれまでのおよそ倍の6%強増えている。このことは開放性係数に反映している。1955年から1965年にかけて開放性は大きく高まり,その後は勢いが衰えたものの一貫して高まっている。開放性係数でみた場合,産業化が進めば開放的な流動性が高まるという命題は成立するようにみえる。

2 専門管理職と農業に階層障壁

 移動率や開放性係数など記述統計水準の指標分析は移動パターンの分析であり,職業構造の変動により生じた移動の影響を完全に除去できない。表層の移動パターンが機会均等化したことは評価すべきだが,これを開放性の高まりに短絡することはできない。なすべきは移動レジームの分析であり,表層的な移動パターンの背後に存在する構造変化の検証である。
 私は以前に,1955年から1985年までの世代間職業移動データを用いて,ログリニア・モデルによる移動レジームの分析を試みた(今田 1989:2章)。その結果,親子世代間の職業移動に流動性の高まりがみられるが,その背後には,不変の移動レジームが存在することを明らかにした。そして,つぎのように結論づけた。高度成長は社会移動を促進し,流動性を高めたけれども,それは表層的なフロー水準(移動パターン)の現象でしかなく,その背後に隠れた次元としての階層再生産様式(移動レジーム)を温存した。一見,開放的になったかにみえたのは,機会の増大によってもたらされた流動性がこの移動レジームを覆い隠すほどの高水準を維持したからであり,全体的に総括すれば,戦後民主化政策の効果は移動レジームを開放的にするまでの成果をあげていない。
 1995年のデータを加えた5時点の移動表分析によっても,1985年までのデータ分析結果がおおむね成り立つ(Imada 1997)。ただし,1995年に限っては,移動レジームの融解を予兆する変化があらわれている。その第1は,熟練職層と半・非熟練職層のブルーカラーにおける世代間の階層結合力が減少し,レジーム融解の兆しがみられること。第2は,熟練職層から専門管理職層への移動チャンスの増加と農業から専門管理職層への移動チャンスの減少がみられるが,これらには一貫した傾向がなく,一時的なゆらぎとみなせること,である。いずれにせよ,こうしたレジームの変化が純粋移動率を高めた原因である。
 表3には,移動レジームのうち不変部分をあらわす密度マトリクスを掲げてある。対角要素の数値は子が親と同じ職業層に帰属すること,すなわち階層結合(再生産)の大きさをあらわし,非対角要素の数値は子が親と異なる職業層に帰属すること,すなわち移動チャンスの大きさをあらわす(注6)。

表3 階層結合と移動の密度マトリクス:1955-1995年

 表3に示された移動レジームの特徴は,移動表の対角要素である階層結合(再生産)力が大きいことである。とくに農業層(1.24)と専門管理職層(1.00)のそれが顕著である。それ以外の事務販売職層およびブルーカラー層の各結合密度は,およそ半分(0.54)しかない。このことは専門管理職層および農業層の閉鎖性が強いことをあらわす。専門管理職層の閉鎖性が強いのは,「優越した地位にある親は,それを自分自身および子供のために維持しようとする強い動機づけがあるだけでなく,そうできるような資源力をも有している」からである(Goldthorpe 1980: 42)。また,農業層も閉鎖性が強いが,それは農地などの資源譲渡の制約や土地に対する愛着が大きいからである。
 移動チャンスについてはどうか。移動がもっとも起こりやすいのは,専門管理職層と事務販売職層のあいだの移動である。けれども,その密度は0.41であり,専門管理職層および農業層の再生産力は,この移動チャンスのおよそ2.4(1.00/0.41)倍および3.0(1.24/0.41)倍もある。したがって,事務販売職層から専門管理職層への移動チャンスは,専門管理職層の再生産力にはとうてい及ばない。ついで移動チャンスが大きいのは,熟練職層から事務販売職層への移動,半・非熟練層から熟練層への移動,および農業から半・非熟練職層への移動(密度はそれぞれ0.24)である。
 移動チャンスについて一般にいえることは,ブルーカラー層や農業層から専門管理職層への移動および専門管理職層からブルーカラー層や農業層への移動といった,境界を超える大きな移動が制限されていることである。たとえば,農業層や熟練職層から専門管理職層へ移動するチャンスは,事務販売職層の出身者が同じ移動をするチャンスの半分に満たない(0.16/0.41)。さらに,このチャンスは専門管理職層の階層結合(再生産)力の16%(0.16/1.00)にすぎない。逆に,専門管理職層からブルーカラー層や農業層への移動チャンスは小さく,この層の再生産力の16%(0.16/1.00)であり,下降移動に対する抑止力が強く働いている。
 1975年に,移動レジームは一時的な変化をみせた。それは,半・非熟練職層における階層結合と,熟練職層から専門管理職層への移動チャンスの変化である。別途計算した結果によれば,1975年時点においては,(1)半・非熟練職層の階層結合力がおよそ半分に弱まり,(2)熟練職層から専門管理職層への移動チャンスが1.6倍に高まっている(注7)。しかし,この変化は1985年データでは消滅しているから,一時的なものとみなすのが妥当であり,特異事例と位置づけるのが適切である。
 しかし,1995年には,もはや一時的な変化として片づけることができない変化が起きている。とくに,熟練職層および半・非熟練職層の各階層結合力の変化は無視できない。熟練職層の結合力は不変のレジームの83%(0.45/0.54)に緩み,半・非熟練職層のそれは52%(0.28/0.54)に緩んでいる。また,熟練職層から専門管理職層への移動チャンスは不変のレジームの移動チャンスと比べて50%(0.24/0.16)増加したのに対し,農業から専門管理職層への移動チャンスは不変のレジームの69%(0.11/0.16)に減少している(注8)。
 以上をまとめるとつぎのようになる。まず第1に,専門管理職層と農業層に閉鎖性がみられ(階層障壁があり),その程度は1955年以来1995年まで不変である。第2に,階層間の移動は小幅の移動に制限されており,ホワイトカラー,ブルーカラー,農業層の境界を横切る移動は境界周辺の移動に制限されている。第3に,1975年時点では,半・非熟練職層の階層結合力が緩むとともに,熟練職層から専門管理職層への移動チャンスが高まったが,これは石油危機の影響による一時的な現象であると解釈でき,1985年には不変の移動レジームへ回帰している。しかし第4に,1995年には,レジームの融解を予兆する変化があらわれている。熟練職層から専門管理職層への移動チャンスの増加および農業から専門管理職層への移動チャンスの減少は一時的なゆらぎとみなせる。しかし,二つのブルーカラー層における各階層再生産力はともに低下しており,移動レジーム融解の兆しを示す可能性がある。
 では,これらの点を含めて,これからの社会階層の方向をどのようにとらえるべきか。Vでは,階層のリアリティ変容という視点から,全体的な見通しを議論してみよう。



V 社会階層のリアリティ変容

 1955年から1995年までの5時点のSSMデータに,パス解析を用いた地位達成モデルとログリニア・モデルを用いた移動表分析を適用することで,戦後日本における社会階層のレジーム分析を試みた。分析結果によれば,職業威信スコアで測定される地位達成は戦後一貫して変化がなく,不変のレジームが存続する。また,世代間職業移動も1985年まではおおむね不変のレジームが存在するが,1995年にはブルーカラー層における階層結合力が弛緩し,移動レジームが融解する兆しをみせている。この兆しは,現在のところ,地位達成レジームを変化させるまでには至っていないが,今後の動向次第では,その影響があらわれる可能性がある。

1 階層開放化の兆し?

 まず議論すべきポイントは,移動レジーム融解の兆しが階層の開放化をあらわすかであるが,そのように解釈することはいくつかの点で困難をともなう。
 第1に,開放性命題が1995年になってようやく成立するに至ったとする議論では,これまでの産業化は開放性を高めなかったことを認めなくてはならない。脱工業社会やポストモダン社会への移行が話題にされる昨今,産業主義命題がようやく成立する状態になったというのでは,あまりにもリアリティに欠ける。さらにいえば,これまでの産業化の歴史は産業主義命題を反証し続けてきたことになる。こうした解釈を採用するよりは,明治時代以来の産業化過程で形成された社会階層の基本構造が変容しつつあると解釈するほうが首尾一貫する。
 第2に,地位達成レジームの分析によれば,父親の社会経済的地位が息子のそれを因果規定する大きさは戦後ずっと不変であり,威信スコアという地位指標でみる限り,世代間の地位継承の構造は変化していない。地位達成レジームと移動レジームの各分析は,前者が職業威信スコアを扱い後者が職業カテゴリーを扱っている点で,その内容は厳密には一致しないが,地位達成も広い意味での社会移動であるから,両レジームの分析結果の含意が大きく異なる解釈は避けたほうがよい。移動レジーム分析結果から階層の開放性が進み始めたと解釈することは,地位達成レジームが不変であることに反する。こうした解釈をするよりは,地位達成レジームの変化としてあらわれない程度の,社会階層のゆらぎが発生していると解釈するほうが妥当である。
 第3に,農業層と階層ハイアラーキーの頂点である専門管理職層の閉鎖性は,戦後これまで不変であることに注意が必要である。ベル(Bell 1973)が指摘するように,脱工業社会では,理論的知識が社会において中心的な役割をはたし,産業の主要なセクターが財貨生産経済からサービス経済に移行して職業構造は専門的・技術的職業が優越するようになる。つまり,社会階層においては専門管理職層が重要な位置を占めるようになる。したがって,専門管理職層における階層障壁の強さは,この層(とくに専門職層)が知識特権階級として閉鎖化する可能性を含んでいる。また,ラッシュ(Lash 1990)は,ポストモダンの特徴は機能分化ではなく文化的な脱分節化(dedifferentiation:近代の機能的な観点からの社会分化を融解し,分化のあり方を問い直す動き)にあると指摘しているが,この脱分節化は文化の分野に限らず職業など社会経済的分野にも波及するはずである。とくに,サービス経済への移行にともなって,ブルーカラー層の相対的な役割低下が起きるとともに,職業階層の脱分節化が発生すると予想される。これがどのような形で起きるかは現状では定かではないが,少なくとも現在まだかなりの労働者を擁しているブルーカラー層が融解し,これが職業階層の脱分節化につながることが予想される。したがって,ブルーカラー層の再生産レジームの融解は社会階層の脱分節化の兆しと解釈したほうが妥当である。
 焦点は,専門管理職層がどのような変貌を遂げるかであるが,昨今進みつつある専門家とと素人の区別の脱分節化,文化と経済のあいだの脱分節化,消費者と生産者のあいだの脱分節化,資本家階級と労働者階級という階級構成の脱分節化,男性と女性というジェンダー役割の脱分節化など,文化分野に限らず社会の諸領域で脱分節化が進行しつつある状況を考慮すれば,ポスト近代化とともに,近代的な機能分化の所産としての専門管理職層にも脱分節化の波が押し寄せるであろう。そして,従来の社会階層の脱分節化を経由して,文化的(意味的)分化による新たな階層形成が促進される可能性が大きい。

2 所有から存在へ-社会階層の脱分節化

 では,近代的な社会階層の脱分節化についての具体的な可能性はどこに求められるのか。注目すべきは,1970年代の後半に提起された脱工業社会の到来に始まり,ポスト物質社会,消費社会,高度情報社会,ポストモダン社会,電子メディア社会など,様々な形容される社会論が提出され,近代の産業主義パラダイムでは時代の変化を適切にとらえきれないとする指摘が数多くなされてきたことである。なかでも,イングルハート(Inglehart 1977)が提起したポスト物質主義は,近代産業社会に代わる社会像の底流に存在する共通項になっており,人々の価値観が物質的な生活満足を強調することよりも,自己実現や非拘束感などの「生き方」を重視する傾向が強まることを指摘したことは,社会階層の将来を考察するうえで重要である。
 ポスト物質社会への移行がもたらす変容のうち,もっとも重要なポイントは,人々の社会的関心が「所有」(having)から「存在」(being)へシフトすることである。所有は経済活動・分配様式にかかわり,存在は「生き方」あるいは文化活動・生活様式にかかわる。近代社会では,長らく所有が存在を規定するという因果関係が想定されてきたが,ポスト物質社会ではこの関係が弱まり,後者が前者に対して恣意的にふるまうようになる。
 ベル(Bell 1976:訳上86-88頁)によれば,脱工業社会への移行の帰結として,機能性を重んじる経済領域と自己実現を原則とする文化領域のあいだの矛盾が顕著になり,「任意の社会行動」が増加する。従来は,買い物の習慣,子供の教育,趣味,投票行動などは,階級や地位の違いによってかなり異なっていたが,この前提が次第に通用しなくなる。とくに,社会階層を労働者階級,中間階級,上流階級といった大まかな分類をするときには,社会階層と文化スタイルは関連性を持たなくなる。つまり,ポスト物質社会への移行にともなって,職業・所得・学歴などの社会的地位が文化や生活様式を規定するという従来の仮説は成立し難くなり,文化や生活様式の恣意的な動きが顕著になってくるのである。
 同様のことは,社会階層と密接な関連を有する社会運動の質的変化にもあらわれている。従来の社会運動は,富や権力などの分配をめぐって展開されたが,ポスト物質社会への移行にともなって,抗争の焦点が「分配問題」から地すべりを始めている。ハーバマス(Habermas 1981:訳下412頁)によれば,新しい社会運動の火種は分配問題ではなく,生活形式の文法にあるという。また,メルッチ(Melucci 1989:訳230-32頁)によれば,新しい社会運動の主張は,従来の「所有への権利」から「存在への権利」へと転換が起きているとする。つまり,かつての経済的権利や市民権への要求に代わって,人間生活の基本分野である誕生,死,病気,環境との共生など,意義のある人間存在への訴えが民主主義の新たな地平を切り開きつつある。
 以上のように,富の分配および再分配をめぐる所有の平等問題は,危機にさらされた生活様式ないし意義のある生き方をめぐる存在問題に位相転換しつつある。もちろん平等問題が解決したわけではなく,人種や性による差別をはじめとして様々な不平等が残存しており,これらの問題は人類社会が存続する限り,常に取り組むべき課題である。けれども,自己実現や自己アイデンティティとの関連で生き方としての「存在」が問われるようになった現在,社会階層研究のあり方も単に所有の問題だけでなく,存在(生き方)の問題をも視野に入れた方向への転換を余儀なくされるであろう。所得格差や資産格差が増大して不平等が高まっているからその是正を訴えるだけでは,もはや粗野な議論である。そのことと生き方の問題を関連させて,いかに対処すべきかを考えねばならない。

3 達成的地位から関係的地位へ-社会階層の新次元

 第2のポイントは,従来の地位概念が垂直的に序列づけられた地位のみを問題としてきたことである。地位(status)という概念は,必ずしも序列にかかわるものではなく,位置や状態をもあらわす。たとえば,英語圏では,婚姻関係の状態にあるか否かは婚姻上の地位(marital status)と呼ばれる。また,友人の状態にあることを友人の地位(status of friend)といい,学生の身分(status of student)という表現をする。これらの地位には上下の序列は含意されていない(もっとも日本語では,地位という言葉をこのように使用することはまれであり,関係という言葉が用いられるが)。また,性,人種,エスニシティの地位は決して序列的なものではない。
 現在では,序列(rank)と地位は互換的に用いられるが,厳密には,序列づけは地位の一部分とみなされるべきであり,地位概念を序列づけに短絡する発想を脱構築する必要がある。ポスト物質社会においては,必ずしも序列づけとは対応しない地位概念の分節化に,その特徴をみいだすべきである。
 私は,こうした地位の分節化がすでに起きつつあることを,1995年SSM調査データを用いた因子分析によって検証した(今田 1998)。その結果によれば,社会階層に関連して人々が重視する生活様式は,(1)高い職業的地位・高い収入・高い学歴,多くの財産を要素とする達成的地位指向の因子,および(2)家族から信頼と尊敬を得ること・社会参加活動で力を発揮すること・余暇サークルで中心的役割を担うことを要素とする関係的地位指向因子,の2因子にすっきりと分かれる。また,この因子構造には男女差がない。
 達成的地位指向は地位不安の原因である。この指向の強い人は,より上位の地位をめざして地位競争不安に陥りがちであり,獲得した地位を守ることに関心が集中しがちである。これに対し,関係的地位指向は「心の豊かさ」を重視するポスト物質指向を強化する要因である。現在,日本では,圧倒的多数が「心の豊かさ」を求めるようになっているが,その背景には関係的地位指向の高まりがある。
 達成的地位指向は従来の階層研究が扱ってきた職業的地位,所得,学歴など序列的地位概念(所有の位相)に対応し,関係的地位指向は家族関係や社会参加活動やサークル活動など必ずしも序列とはかかわらない地位概念(存在の位相)に対応する。現状では,両者のウェイト(因子の分散寄与率)は達成的地位指向が2に対して関係的地位指向が1であり,従来の序列的地位概念がいまだ優勢である。しかし,所有よりは存在にかかわる関係的地位指向および「生き方」としての生活様式が,階層の新次元としてすでに出現していることを確認するには十分な結果である。
 関係的地位指向はいわゆる社会的地位ではなく,脱階層指向ではないのかとする反論がありうる。しかし,序列にかかわる達成的地位のみを社会的地位とみなしてきた発想法が問い直されるべきなのである。達成的地位に偏向しすぎることで,近代社会は家族の崩壊やコミュニティの衰退など,人との交わりをゆがめてきた。こうした状態を脱却するためにも,地位とは呼びにくい関係的地位をあえて社会階層の新次元として認知することで,生活空間に広がりを確保することが重要である。達成的地位を追い求めることは他者を出し抜くことを第一次的な関心事とすることであり,弱肉強食の競争社会と過度に不平等な階層社会を帰結する。これに対し,関係的地位の追求には他者の存在が不可欠であるため,共生を前提とした競争社会と了解可能な階層社会をもたらすはずである。

4 中間分衆の時代-中間階級の行方

 最後に取りあげるべきテーマは中間階級の問題である。Iで論じたように,1980年代に入ると中流意識にかげりが生じ,格差意識が高まった。しかし,これと並行して価値観の多様化と生活様式の個性化も進んだ。こうしたなかで,均質で画一的とされた中間大衆が,多様化・個性化によって分割され,非均質的で価値観も異なるいくつかの集団(分衆)に分節化を始めた(博報堂生活総合研究所編 1985)。私は,この状態を中間大衆から中間分衆への変化とみなす(今田 1995;Imada 1998)。分衆とは分割された大衆のことであり,中間分衆は個性化や多様化を前提としたポスト物質社会の中間階級を特徴づけるために筆者が造語した概念である。
 中間分衆とは,ボランティアや社会参加活動に生き方をみいだす人,趣味や旅行などの余暇に生きがいをみいだす人,環境リサイクル運動に打ち込む人,消費することに喜びを感じる人,パソコン通信のフォーラムで会話(チャット)を楽しむ人など,均質な生活様式を想定できない集まりを意味する。その特徴は,所得や学歴や職業的地位ではなく,家族やコミュニティやサークルなどでの人間関係が重視されることである。つまり,関係的地位指向により形成された多様な中間階級を意味する。
 中間大衆から中間分衆への変化を示すデータの一つに,これからの生活において重きを置きたい点を尋ねた「国民生活に関する世論調査」がある(総理府内閣総理大臣官房広報室 1997)。これによれば,1980年代に入って以降これまで,格差の拡大が進んだにもかかわらず,「物の豊かさ」より「心の豊かさ」に重きを置きたいと答える人の割合が増え続けている。物の豊かさを実現するには大衆志向が向いているが,心の豊かさは人それぞれで多様であるから分衆志向にならざるをえない。つまり,中間分衆の誕生は,人々の関心の比重が「所有(物の豊かさ)」から「存在(心の豊かさ)」への移行したことを反映している。
 こうした生活様式のためには物質的な豊かさの下支えが必要なことはいうまでもない。現在でも,物の豊かさに関連する地位達成への意欲はかなりの比重を占めており,これが社会生活の基盤になっている。しかし,これを母体にして,従来の地位達成にはとらわれない生き方を求める様々な分衆が,イソギンチャクのように触手を出している状況である。つまり,現在の中間階級は「所有」にかんしては大衆的性格を持ち,「存在」については分衆的性格を持っている。不公平や不平等問題がある場合には大衆のように同調行動をとり,社会参加や趣味については自分なりの意味を求めて多様な行動をとる。
 上のような議論をすると,中間分衆は分散してとらえどころのない集まりとみなされる可能性がある。分衆は多様化や個性化を前提とした集まりである以上,そうならざるをえないが,最小限の共通点はある。それは生きる意味を様々なかたちで追い求めていることである。具体的には,他人に自分を認めてもらいたい,利己的な関心を超えて人との交わりを保ちたい,親密な人間関係やコミュニティ感覚を持ちたい,内面生活を豊かにする時間や機会が欲しい,人への配慮や気づかいを大切にしたい,などである。これらはまさに関係的地位指向にもとづいた活動であり,富や権力を求めて利己的な処世術を身につける達成的地位指向とは異なる。
 これからの社会運営はこうした中間分衆の関心をどのように取り込むかが重要になる。生産性や利益追求だけの職場環境や管理システムでは,創造性,相互の承認,信頼,親密性あるいは,美的,精神的,エコロジカルな感覚など,生き方の意味は充足できない。また,利益誘導型の政治や従来型の公共政策では民意をつかむことは困難である。自由や平等を柱とする民主主義のあり方も,再考せざるをえない。互いに違っていることを認めあうことのできる寛容さを育成することが重要である。これらをどのように具体化するかは今後の課題だが,成果を指向したかつての中間階級ではなく,生きることの意味を求める中間階級に焦点をあてた社会への転換が重要である。
 戦後の日本は,諸外国と比較して平等社会を実現したといわれ,これが神話性を持つまでになった。しかし最近では,経済の停滞を克服するために,過度に結果の平等を重視する(?)日本型社会システムを変革し,創造的な競争社会に再構築する必要性が声高に叫ばれている。機会の平等は善であるが,結果の平等は悪だという。しかし,粗野な平等論議は社会の将来を危うくする。現在では,人種問題やジェンダー格差にみられるように,機会の平等と結果の平等の境界は不明瞭になっており,両者を簡単に区別できない状態である。また,本稿で分析したように,地位達成や社会移動における機会の不平等は,戦後,正しい意味で改善されていない。だからといって不平等や格差を単純に悪だと位置づけて,その是正を声高に叫ぶだけでは,これもまた,人々の意識変容を視野に収めない粗野な平等論である。いずれにせよ,平等社会の神話をめぐっての論議は新たな位相へと超えでる必要があり,そこに社会階層研究の課題がある。


(注1) 日本不動産研究所が発表している市街地価格指数によれば,全国住宅地および6大都市圏住宅地の指数は,バブル期に上地神話を大きくうわまわって上昇したあと下落しているが,1996年の指数値は1985年前後までのトレンドをそのまま引き伸ばした値にほぼ一致する(橘木俊詔 1998:134-39による)。

(注2) 地位非一貫性のクラスター分析については,今田・原(1979)および今田(1989:第3章および付録IV)を参照。1955年から1995年の5時点データを用いたクラスター分析については現在分析中であり,その結果は別の機会に発表の予定。

(注3) 産業化と移動レジームを扱った研究は,例外なく,職業移動表をログリニア・モデルで分析しており,地位達成モデルが採用されることはない。その主たる原因は,地位達成モデルに用いるパス解析から求められたパス係数を,異なる母集団(異なる地域や異なる国)で比較できないことにあるとされてきた。しかし,いかなる場合もパス係数の比較ができないと主張するのは誤解である。
   パス解析では,すべての変数はその平均がゼロ,分散が1となるように標準化されている。これは,教育や威信スコアなど変数の尺度単位が異なることによる影響を除去するために工夫されたものである。たとえば,教育年数は学歴なしの0年から大学院修了までのおよそ20年の範囲の値をとるが,威信スコアは原則的に0点から100点までの範囲の値をとる。このとき,変数の平均値と分散は,両者のあいだで大きく異なってしまい,係数が持つ意味の解釈可能性が損なわれる。レジーム分析の考え方からすれば,平均値や標準偏差の変化を除去する必要があるが,パス解析では,すべての変数は標準化されるので,平均水準の違いや不平等にかかわる分散の違いは除去される。すなわち,産業化にともなう教育水準や職業威信水準の上昇ならびにその不平等度の変化は,各時点で一定になるよう調整される。この意味で,パス解析は相対的な移動チャンスを扱うものであり,地位達成レジームの検証に用いることが可能である。とくに,本稿で分析するデータは,5時点ともすべて,日本社会の20歳から69歳までの男性が母集団である。また,分析のためのモデルに含まれる変数の種類と数,およびパス・ダイアグラムも同一にそろえてある。異なっているのは,唯一,調査時点だけであり,もしパス係数に違いがあれば,それは40年という歳月の影響しか存在しない。本稿では,こうしたパス解析の特徴を積極的に活用して,地位達成のレジーム分析に応用する。

(注4) 本分析で用いた変数のうち,教育は年数,職業は職業威信スコアである。職業威信スコアは,1975年SSM調査の際に実施された職業威信調査が求めたものである。1995年調査でも同じ調査が実施されたが,両時点で共通に用いられた職業間の威信スコアの相関係数は0.972と高い値を示している(Hara 1998)。本稿では,1955年から1995年の40年間の比較をおこなうため,ちょうどその中間期にあたる1975年調査の職業威信スコアを用いた。

(注5) 表2にある項目のうち,全体移動率は,父親と異なる職業階層に帰属している息子,すなわち移動表の対角線からはずれたマス目にいる人数を全体の人数で割り算した値である。全体移動には,親子の職業構造の違いによって生じた移動と,階層が開放的であることによって生じた移動の二つが含まれる。前者を構造移動(ないし強制移動)と呼び,後者を純粋移動と呼ぶ。開放性係数は,現実の移動がどの程度,機会均等な状態に達しているかをあらわす指数であり,安田三郎(1971:90-119)により考案された。機会均等な移動様式を完全移動と呼ぶ。完全移動の概念は,親の階層と子供の階層のあいだに,統計的な相関がない状態をあらわす。つまり,親子の階層にはなんら特別の結びつきがなく,統計的に独立(無関係)なことである。開放性係数は,現実の移動が完全移動の際に期待される移動にどれほど近づいているかを,純粋移動について指数化したものである。諸種の移動率と開放性にかんする指数の求め方については,拙著(今田 1989)付録Iにコンパクトにまとめておいた。


(注a)



参考文献
Bell, Daniel (1973) The Coming of Post-industrial Society, New York: Basic Books (内田忠夫ほか訳『脱工業社会の到来』上・下,ダイヤモンド社,1975).
Bell, Daniel (1976) The Cultural Contradictions of Capitalism, New York: Basic Book (林雄二郎訳『資本主義の文化的矛盾』上・中・下,講談社,1976-77).
Blau, Peter M. and Otis D. Duncan (1967) The American Occupational Structure, New York: Wiley and Sons.
Duncan, Otis D. (1966) “Path Analysis: Sociological Examples,” American Journal of Sociology 72 (January): 1-16.
Erikson, Robert and John H. Goldthorpe (1993) The Constant Flux: A Study of Class Mobility in Industrial Societies, New York: Oxford University Press.
Featherman, David L., F. Lancaster Jones and Robert M. Hauser (1975) “Assumptions of Social Mobility Research in the United States: The Case of Occupational Status,” Social Science Research 4: 329-60.
Featherman, David L. and Robert M. Hauser (1978) Opportunity and Change, New York: Academic Press.
Goldthorpe, John H. in collaboration with Catriona Llewellyn and Clive Payne (1980) Social Mobility & Class Structure in Modern Britain, Oxford: Clarendon Press.
博報堂生活総合研究所編(1985)『「分衆」の誕生』日本経済新聞社。
Habermas, Jurgen (1981) Theorie des kommunikativen Handelns, 2Bde., Frankfurt am Main: Suhrkamp (河上倫逸ほか訳『コミュニケイション的行為の理論』上・中・下,未来社,1985-87).
Hara, Junsuke (1998) “The Invariant Structure of Class Consciousness in Postwar Japan,”与謝野有紀編『産業化と階層変動』1995年SSM調査シリーズ21,1995年SSM調査研究会:31-42所収。
Hauser, Robert M. (1978) “A Structural Model of the Mobility Table,” Social Forces 56 (March): 919-53.
Hauser, Robert M., Peter J. Dickinson, Harry P. Travis and John M. Koffel (1975) “Structural Changes in Occupational Mobillty among Men in the United States,” American Sociological Review 40 (October): 585-98.
今田高俊・原純輔(1979)「社会的地位の一貫性と非一貫性」富永健一編『日本の階層構造』東京大学出版会,161-197頁。
今田高俊(1989)『社会階層と政治』東京大学出版会。
今田高俊(1995)「中間分衆の時代」『総合社会保障』Vol.33 No.9: 58-63。
Imada, Takatoshi (1997) “Industrialization and the Regime of Social Mobility in Postwar Japan: 1955-1995,” Paper presented at the ISA Research Committee 28’s Summer Conference, Quebec City, August.邦訳が,今田高俊編『社会階層の新次元を求めて』1995年SSM調査シリーズ20,1995年SSM調査研究会,1998:1-24に収録されている。
Imada, Takatoshi (1998) “Divided Middle Mass and Quality-of-Life Politics: Middle Class in Postmaterial Society,” Paper presented at the meeting of The Working Group on Middle Class in the 21st Century, Paris, January.
今田高俊(1998)「社会階層の新次元-ポスト物質社会における地位変数」『社会学評論』Vol.48 No.4: 31-49。
Inglehart, Ronald (1977) Silent Revolution: Changing Values and Political Styles among Western Publics, Princeton: Princeton University Press (三宅一郎・金丸輝男・富沢克訳『静かなる革命』東洋経済新報社,1978).
Lash, Scott (1990) Sociology of Postmodernism, London: Routledge (田中義久監訳『ポスト・モダニティの社会学』法政大学出版局,1997).
Melucci, Alberto (1989) Nomads of the Present: Social Movements and Individual Needs in Contemporaty Society, Hutchinson Radius (山之内靖・貴堂嘉之・宮崎かすみ訳『現在に生きる遊牧民-新しい公共空間の創出に向けて』岩波書店,1997).
総理府内閣総理大臣官房広報室(1997)『国民生活に関する世論調査』。
橘木俊詔(1998)『日本の経済格差-所得と資産から考える』岩波新書。
安田三郎(1971)『社会移動の研究』東京大学出版会。


いまだ・たかとし 1948年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程中退。東京工業大学大学院社会理工学研究科教授。学術博士(システム科学)。主な著書に『混沌の力』(講談社,1994)など。

URL:http://db.jil.go.jp/cgi-bin/jsk012?smode=dtldsp&detail=F2001050119&displayflg=1


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