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最新技術を生む開発の現場#1--燃料電池車のデファクト・スタンダードを創る(本田技研工業/ FCX Clarity) マイナビ転職編集部 2008/06/11 15:00


石油や天然ガスなどの資源の枯渇、CO2排出による地球規模の温暖化など、今地球は、幾多の深刻な問題を抱えている。こうした中、地球環境にやさしいプロダクトとして注目を集めているのが、ハイブリッド車や燃料電池車といったエコカーだ。なかでも、ほぼ無尽蔵の資源である水素を燃料とし、CO2を全く排出しない燃料電池車は究極のクリーンカーとして、世界中から熱い視線を注がれている。その燃料電池車の開発の急先鋒を担うHondaが、満を持して発表した次世代燃料電池車。それが『FCX Clarity』である。


◆性能、デザイン両面で課題山積みの燃料電池車の開発

水素と酸素を反応させて電気を生み出し、排出するのは水のみという究極のクリーンカー、燃料電池車。しかし、その開発にはまだまだ課題が多いのも事実だ。製造コストの高さ、製造プロセスの複雑さ、心臓部である燃料電池システムが巨大であるがための車両デザインの不自由さなど、燃料電池車が一般に普及していくためには、乗り越えなければならない壁が多々ある。こうした課題を乗り越え、100年後の未来の車の原型となる魅力的な燃料電池車を作ること。これが『FCX Clarity』開発のねらいだった。この『FCX Clarity』の心臓部とも言えるパワートレイン開発の陣頭指揮を執ったのが、同社の主任研究員である木村顕一郎さんだ。


◆燃料電池の常識を打ち破った「V Flow FCスタック」

最初に燃料電池の基本的な仕組みについておさらいをしておこう。燃料電池は、水素と酸素から電気を取り出す電解質膜を、プラスとマイナスの電極で挟み込んだ「セル」と呼ばれる構造物で成り立っている。分かりやすく言えば、平たい乾電池のようなものだ。ここに水素と酸素を送り込んで反応させ、電極を通して電気を集めるわけだ。

1つのセルの電圧は概ね1ボルト程度。車を走らせるためには、当然もっと大きな電圧が必要だ。そこで、このセルを数百枚重ね合わせ(スタッキング)、電圧を稼ぐ。これを燃料電池スタックと呼ぶ。従来の燃料電池車では、このスタックの容積が大きくなってしまい、燃料電池システムが巨大化していた。結果として、車両デザインの自由度も著しく低下し、エンドユーザーにとっては今一つ魅力のない車体になってしまっていた。Honda開発陣が目を付けたのは、まずこのスタックの小型化だった。

「きっかけは、メンバーの1人の『スタックを縦置きにして、センターコンソール(運転席と助手席の間)におけないか?』という言葉でした。ただ、従来のスタックをそのまま縦にしても、とてもそのスペースには収まらない。そこで、発電能力を高めつつ、スタックを大幅に小型化する新しい構造にチャレンジしたのです」(木村さん)

これまで、Hondaは毎年のように燃料電池車の改良を重ね、その技術を発表して来た。2005年に発表されたモデル『05M FCX』は、運転席の下に横型の燃料電池システムを搭載する設計だった。どのような技術領域であっても、新技術の開発は一夜にしてなるものではない。これまでに積み重ねてきた膨大な技術的成果とノウハウを組み合わせ、少しずつ改良を重ねていくのが通常のやり方だ。縦置きのスタックという方式は、ある意味ではこれまでの技術的蓄積を捨てるようなものだった。

「『FCX Clarity』の開発メンバーに加わった時、『とにかく今までにない未来の車を作れ!』という社命を受けました。だから、これまでの技術の延長線上で開発を進めるのではなく、ひと目で未来を感じるデザインと理想的なパッケージングを求めて一から作ってみたのです。一見無茶なアイデアでも、まずはやってみること。そして、得られた結果をすばやく分析しフィードバックすること。この現物主義とスピードこそが、Hondaのモノづくりの伝統なのです」(木村さん)

スタックを縦置きにすることにより、新たなメリットも生まれた。燃料電池は発電と共に水を生成する。この水がスタックの発電面に付着すると、燃料の供給が妨げられ、発電効率が著しく下がる。つまり、生成された水をいかに発電面の外側に逃がすかが、安定的な発電のカギとなるわけだ。スタックの流路を縦にすると、生成された水は重力に従って速やかに下流に流れ、排出される。これによって従来以上に安定した発電性能が実現された。さらに、生成水の流れが良くなったことになり、水を排出するための流路の深さも17%削減。結果、セルの薄型化が可能となり、スタックの画期的な小型化が可能となった。


◆最高出力100KW。高出力と小型化を同時に成立させた、新開発の駆動モーター
小型化されたのは燃料電池システムだけではない。従来、Hondaの燃料電池車では、駆動系システムは、駆動モータ・ギアボックスとPDU(パワードライブユニット)という2つのモジュールで構成されており、2つのモジュールを合わせると大きな容積を必要とした。『FCX Clarity』では、これらのモジュールを1つのユニットに集約。さらに、モーターのローターシャフトとドライブシャフトを同軸化し、画期的な小型化を実現している。同軸化とモジュール集約の結果、駆動系システムの容積は飛躍的に小さくなり、前後長は162mm、高さは240mmも小型化することができた。

「同軸駆動モーターの小型化は非常に苦労しましたね。コンパクト化と同時に高い出力を実現しなければならなかったのです。出力を高めるために、モーター内部の永久磁石を、できるだけ外周よりに配置したのですが、高速回転させた時に遠心力でヨーク(電磁鋼板)が壊れてしまう。限られたスペースの中で、永久磁石とヨークの最適な位置を調整するために、何度もシミュレーションモデルを作り直して検証を重ねました」(木村さん)

駆動モーターの最終形が完成するまでに検討したモデルの数は数百にも及ぶという。その結果をもとに試作した現物で改良を行い、小型ながら100kW の高出力を達成、『FCX Clarity』のダイレクトでどこまでも伸びていく走りを実現した。ここにも、「新たなアイデアにチャレンジし、現物で証明する。そして、その結果をフィードバックし、理想の形を見つけ出す」という、Hondaならではのモノづくりの哲学が表れていると言えるだろう。


◆74%部品点数削減した、新型高圧水素タンク

燃料電池車に不可欠なモジュールであり、かつスペースを取るものがもう1つある。燃料を積む高圧水素タンクだ。従来のホンダの燃料電池車は水素タンクを2本搭載していた。開発陣はここにも目を付けた。『FCX Clarity』では、この水素タンクを1本にすることにより、小型化とタンク容量の増大を実現。同時に、高圧水素タンクを構成する部品を74%削減した。実は、この部品点数の削減にこそ、真のねらいがある。

「従来の2本型タンクでは、レギュレーターやバルブ、センサーなどの部品がバラバラに配置されていたために、部品点数が非常に多くなってしまっていた。部品点数が多いということは、製造工程が複雑になる上に、コストもかかる。燃料電池車を普及させていくためには、構造も製造プロセスもできるだけシンプルにして、コストを下げて行かなければならない。これがタンクを一本化したもうひとつのねらいだったのです」(木村さん)


◆モノは正直。だからモノづくりは面白い

独創的な技術により、燃料電池車の未来の姿を世に提示した『FCX Clarity』。同社の燃料電池車開発は、今後どのような方向に向かうのだろうか?

「『FCX Clarity』のパワートレインの開発のキーワードは、“もっとシンプルに、よりコンパクトに”でした。これは、エンジニア側の言葉に置き換えれば、 “集約化”、そして“製造プロセスを簡単にすること”ですね。燃料電池車は、現在ではまだまだ製造コストが高く、量販レベルまでには至っていません。もちろん、『FCX Clarity』もまだマスプロダクト展開する手前の車ではありますが、小型化、部品点数削減、製造工程のシンプル化などの面で、飛躍的に進化しコストも低減しました。また、燃料電池車が性能面だけではなく、デザインの面でもエンドユーザーにロマンを感じさせる車になりうることを提示できたと思います。この『FCX Clarity』をきっかけに、燃料電池車業界全体が盛り上がってくれれば、技術者としてこれほどうれしいことはないですね」(木村さん)

『FCX Clarity』は、性能、画期的なデザインなどが評価され、「INDY JAPAN」(2008 IRL インディカー・シリーズ第3戦 ブリヂストン インディジャパン 300マイル)のオフィシャルカーとして認定された。最後に、モノづくりの集大成とも言うべき自動車開発に従事する木村さんに、この仕事ならではの面白さを伺った。

「モノづくりは、常にトライ・アンド・エラーの繰り返しです。設計者は、高い目標を立て、これを実現するアイデアに果敢にチャレンジして、まずは実際に作ってみる。そして得られた結果を理論的に検証して、新たな仮説を立て、そこから新しい設計を起こしてまた作る。そのプロセスをスピーディーに繰り返すことによって、設計、シミュレーション、製作、テストのすべての技術がレベルアップしていきます。そして、その成果は、現実のモノとして、確実に目の前に現れてくる。そこがモノづくりの醍醐味でしょうね。特に燃料電池車の開発は最先端の技術ですから、どこにもお手本がない。基礎研究と開発を同時並行で進めるようなものです。だから毎日がチャレンジ。そういう環境で自分を試してみたいと思う人には、とてもエキサイティングな仕事だと思いますよ」(木村さん)

URL:http://japan.cnet.com/workstyle/special/story/0,3800083108,20376674,00.htm
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「田母神俊雄」論文

■ 日本は侵略国家であったのか   田母神俊雄


 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

 この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936 年の第2 次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937 年8 月15 日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

 1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937 年7 月7 日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

 我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35 年間で1 千3 百万人の人口が2 千5 百万人と約2 倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

 我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924 年には朝鮮に京城帝国大学、1928 年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9 つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6 番目、台北帝国大学は7 番目に造られた。その後8 番目が1931 年の大阪帝国大学、9 番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク)という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校2 6 期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1 期後輩には金(キン)錫源(ソグォン)大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1 千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1 期後輩で蒋介石の参謀で何応欽(カオウキン)もいる。

 李王朝の最後の殿下である李垠(イウン)殿下も陸軍士官学校の2 9 期の卒業生である。李垠(イウン)殿下は日本に対する人質のような形で1 0 歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠(イウン)殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子(まさこ)妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠(イウン)殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930 年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀(フギ)殿下の弟君である溥(フ)傑(ケツ)殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

 これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2 次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1 次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

 時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11 カ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2 600 名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4 ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21 箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919 年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥社)」。また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901 年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

 さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局( N S A )のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18 年5 月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940 年から1948 年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1 回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37 年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980 年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995 年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933 年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100 機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1 ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。

 ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1 撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2, 第3 の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

 さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2 百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。

 一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は6 0 年以上不法に占拠されたままである。竹島も韓国の実行支配が続いている。

 東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は2 0 年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。

 自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポーで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。

 日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。

URL:http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf




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山岸俊男,『信頼の構造 こころと社会の進化ゲーム』,東京大学出版会,1998年.

●要旨
 本書は「集団主義社会は安心を生み出すが信頼を破壊する」(p.1)というメッセージから始まる.安心とは「相手が自分を搾取する意図をもっていないという期待の中で,相手の自己利益の評価に根差した部分」(p.39)を意味し,信頼とは「相手が自分を搾取する意図をもっていないという期待の中で,相手の人格や相手が自分に対してもつ感情についての評価にもとづく部分」を意味する.しばしば混同される信頼と安心の概念をこのように区別することで「安心が提供されやすいのは信頼が必要とされていない安定した関係においてであり,信頼が必要とされる社会的不確実性の高い状況では安心が提供されにくい」(p.50)という主張をより明確なものにしている.つまり「安定した社会的不確実性の低い状態では安心が提供されるが,信頼は生まれにくい.これに対して社会的不確実性の高い状態では,安心が提供されていないため信頼が必要とされる」(pp.50-51)のである.
 また,他者一般に対する信頼のデフォルト値を「一般的信頼」と呼ぶが,一般的信頼の高い高信頼者は,騙されやすい人を意味しない.そういった人々は,見知らぬ他者を信頼する傾向が強い代わりに,その人の信頼性を判断するための情報処理を適切に行なうことができる.他方,低信頼者は,顔見知りの特定の相手のみを信頼するが,それは,他者の信頼性を適切に評価できないために生じる.著者は,日米の比較研究によって,安心社会の日本と信頼社会のアメリカとして位置づけている.
 山岸は,信頼には,関係を強化する側面と,関係を拡張する側面があるという.従来の信頼に関する議論の多くは,前者を扱ったものが殆んどであったが,本書は後者に焦点をあてている.
 社会的不確実性の大きな環境においては,特定の相手との間に「コミットメント関係」を形成し,その関係の内部での社会的不確実性を低下させるという方法がある.しかしながら,コミットメント関係は,その関係の外部と接触をもつことで得られるはずの利益の損失,すなわち,機会コストを生み出す(p.81).山岸は,グラノベッターの紐帯の理論を引用して「強い靭帯に囲まれている人々は安心して暮らすことができるが,そのために手に入れられる情報の量が制限されるというかたちで機会コストを支払っている」(p.99)と説明する.そして,低信頼者ほどコミットメント関係を築こうとする傾向が強いとし,機会コストが大きい環境においては,高信頼者の方が大きな利益を得られる可能性があると述べる(p.84).すなわち,信頼こそが,人々を,既存のコミットメント関係から解き放つものであると主張するのである.山岸はこれを「信頼の解き放ち理論」と呼んだ.
 「現在の日本社会は,コミットメント関係のネットワークの拡大で対処できるレベルを越えた機会コストの増大に直面している」(p.202).山岸は,このような社会と共進化するかたちで,社会的知性を身につけ,それに裏打ちされた高い一般的信頼をもつことが必要であるとするが,同時に,正直者が馬鹿を見ない,効率的で公正な社会・経済・政治制度の確立も忘れてはならないと説いている.


●コメント
 ブランドや店舗,評判などの「信頼」を持たない企業が,インターネット上において新規にビジネスを立ち上げるとき,いかにして信頼を築くのであろうか.一つは,企業自身の自己利益に根差した(裏切ると損をする)何らかのしくみを利用することで「安心」を提供する方法が考えられる.あるいは第三者によって提供される保証によって間接的に「信頼」を提供する方法もあるだろう.しかしながら,顧客側がもつべき社会的知性としての一般的信頼を考えた場合,インターネット上での信頼評価が,コンテンツの情報のみを基準として行なわれるならば,新たな取引関係へと解き放つ一つの方策として情報開示があるように思われる.


林 幹人(2002年5月20日)

URL:http://www.jkokuryo.com/literature/bs/review/doctor2002/yamagishi1998hayashi.htm


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第170回国会における麻生内閣総理大臣 所信表明演説 平成20年9月29日

(就任に当たって)
 わたくし麻生太郎、この度、国権の最高機関による指名、かしこくも、御名御璽をいただき、第九二代内閣総理大臣に就任いたしました。
 わたしの前に、五八人の総理が列しておいでです。一一八年になんなんとする、憲政の大河があります。新総理の任命を、憲法上の手続にのっとって続けてきた、統治の伝統があり、日本人の、苦難と幸福、哀しみと喜び、あたかもあざなえる縄の如き、連綿たる集積があるのであります。
 その末端に連なる今この時、わたしは、担わんとする責任の重さに、うたた厳粛たらざるを得ません。
 この言葉よ、届けと念じます。ともすれば、元気を失いがちなお年寄り、若者、いや全国民の皆さん方のもとに。
 申し上げます。日本は、強くあらねばなりません。強い日本とは、難局に臨んで動じず、むしろこれを好機として、一層の飛躍を成し遂げる国であります。
 日本は、明るくなければなりません。幕末、我が国を訪れた外国人という外国人が、驚嘆とともに書きつけた記録の数々を通じて、わたしども日本人とは、決して豊かでないにもかかわらず、実によく笑い、微笑む国民だったことを知っています。この性質は、今に脈々受け継がれているはずであります。蘇らせなくてはなりません。
 日本国と日本国民の行く末に、平和と安全を。人々の暮らしに、落ち着きと希望を。そして子どもたちの未来に、夢を。わたしは、これらをもたらし、盤石のものとすることに本務があると深く肝に銘じ、内閣総理大臣の職務に、一身をなげうって邁進する所存であります。
 わたしは、悲観しません。
 わたしは、日本と日本人の底力に、一点の疑問も抱いたことがありません。時代は、内外の政治と経済において、その変化に奔流の勢いを呈するが如くであります。しかし、わたしは、変化を乗り切って大きく脱皮する日本人の力を、どこまでも信じて疑いません。そしてわたしは、決して逃げません。
 わたしは、自由民主党と公明党の連立政権の基盤に立ち、責任と実行力ある政治を行うことを、国民の皆様にお誓いします。
(国会運営)
 はじめに、国会運営について申し上げます。
 先の国会で、民主党は、自らが勢力を握る参議院において、税制法案を店晒しにしました。その結果、二か月も意思決定がなされませんでした。政局を第一義とし、国民の生活を第二義、第三義とする姿勢に終始したのであります。
 与野党の論戦と、政策をめぐる攻防は、もとより議会制民主主義が前提とするところです。しかし、合意の形成をあらかじめ拒む議会は、およそその名に値しません。
 「政治とは国民の生活を守るためにある。」民主党の標語であります。議会人たる者、何人も異を唱えぬでありましょう。ならばこそ、今、まさしくその本旨を達するため、合意形成のルールを打ち立てるべきであります。
 民主党に、その用意はあるか。それとも、国会での意思決定を否定し、再び国民の暮らしを第二義とすることで、自らの信条をすら裏切ろうとするのか。国民は、瞳を凝らしているでありましょう。
 本所信において、わたしは、あえて喫緊の課題についてのみ、主張を述べます。その上で、民主党との議論に臨もうとするものであります。

(着実な経済成長)
 緊急な上にも緊急の課題は、日本経済の立て直しであります。
 これに、三段階を踏んで臨みます。当面は景気対策、中期的に財政再建、中長期的には、改革による経済成長。
 第一段階は、景気対策です。
 政府・与党には「安心実現のための緊急総合対策」があります。その名のとおり、物価高、景気後退の直撃を受けた人々や農林水産業・中小零細企業、雇用や医療に不安を感じる人々に、安心をもたらすとともに、改革を通じて経済成長を実現するものです。
 今年度内に、定額減税を実施します。家計に対する緊急支援のためであります。米国経済と国際金融市場の行方から目を離さず、実体経済への影響を見定め、必要に応じ、更なる対応も弾力的に行います。
 民主党に要請します。緊急総合対策実施の裏付けとなる、補正予算。その成立こそは、まさしく焦眉の急であります。検討の上、のめない点があるなら、論拠と共に代表質問でお示しいただきたい。独自の案を提示されるももちろん結構。ただし、財源を明示していただきます。双方の案を突き合わせ、国民の前で競いたいものであります。あわせて、民主党の抵抗によって、一か月分穴があいた地方道路財源を補てんする関連法案を、できるだけ速やかに成立させる必要があります。この法案についての賛否もお伺いします。
 第二段階は、財政再建です。
 我が国は、巨額の借金を抱えており、経済や社会保障に悪い影響を与えないため、財政再建は、当然の課題です。国・地方の基礎的財政収支を黒字にする。二〇一一年度までに成し遂げると、目標を立てました。これを達成すべく、努力します。
 しかし、目的と手段を混同してはなりません。財政再建は手段。目的は日本の繁栄です。経済成長なくして、財政再建はない。あり得ません。麻生内閣の目的は、日本経済の持続的で安定した繁栄にこそある。我が内閣は、これを基本線として踏み外さず、財政再建に取り組みます。
 第三段階として、改革による成長を追い求めます。
 改革による成長とは何でありましょうか。それは日本経済の王道をゆくことです。すなわち、新たな産業や技術を生み出すこと、それによって、新規の需要と雇用を生み出すことにほかなりません。「新経済成長戦略」を強力に推し進めます。
 阻むものは何か、改革すべきものは何か。それは規制にあり、税制にある。廃すべきを廃し、改めるべきは改めます。
 強みは何か。勤勉な国民であり、優れた科学と技術の力です。底力を解き放ちます。日本経済は、幾度となく厳しい試練に対して果敢に応じ、その都度、強くなってきました。再び、その時が来たのであります。
 以上、三段階について申し上げました。めどをつけるには、大体三年。日本経済は全治三年、と申し上げます。三年で、日本は脱皮できる、せねばならぬと信じるものであります。

(暮らしの安心)
 暮らしの安心について、申し上げます。
 不満とは、行動のバネになる。不安とは、人をしてうつむかせ、立ちすくませる。実に忌むべきは、不安であります。国民の暮らしから不安を取り除き、強く、明るい日本を、再び我が物としなくてはなりません。
 「消えた年金」や「消された年金」という不安があります。個人の記録、したがって年金給付の確実さが、信用できなくなっております。ひたすら手間と暇を惜しまず、確かめ続けていくしか方法はありません。また、不祥事を行った職員に対しては、厳正なる処分を行います。わたしは、ここに頭を垂れ、国民のご理解、ご協力を請い願うものです。あわせて、年金等の社会保障の財源をどう安定させるか、その道筋を明確化すべく、検討を急ぎます。
 医療に信を置けない場合、不安もまた募ることは言うまでもありません。わたしはまず、長寿医療制度が、説明不足もあり、国民をいたずらに混乱させた事実を虚心に認め、強く反省するものであります。しかし、この制度をなくせば解決するものではありません。高齢者に納得していただけるよう、一年を目途に、必要な見直しを検討します。
 救急医療のたらい回し、産科や小児科の医師不足、妊娠や出産費用の不安、介護の人手不足、保育所の不足。いつ自分を襲うやもしれぬ問題であります。日々不安を感じながら暮らさなくてはならないとすれば、こんな憂鬱なことはありません。わたしは、これら不安を我が事として、一日も早く解消するよう努めます。
 次代の日本を担う若者に、希望を持ってもらわなくては、国の土台が揺らぎます。
 困っている若者に自立を促し、手を差し伸べます。そのための、若者を支援する新法も検討します。最低賃金の引上げと、労働者派遣制度の見直しも進めます。あわせて、中小零細企業の底上げを図ります。
 学校への信頼が揺らいでいます。教育に不安が生じています。子どもを通わせる学校を信頼できるようにしなければなりません。保護者が納得するに足る、質の高い教育を実現します。
 子どもの痛ましい事件が続いています。治安への信頼を取り戻します。
 ここで、いわゆる事故米について述べます。事故米と知りつつ流通させた企業の責任は、断固処断されるべきとして、これを見逃した行政に対する国民の深い憤りは、当然至極と言わねばなりません。わたしは、行政の長として、幾重にも反省を誓います。再発を絶対に許さないため、全力を挙げます。
 すべからく、消費者の立場に立ち、その利益を守る行政が必要なゆえんであります。既存の行政組織には、事業者を育てる仕組みがあり、そのため訓練された公務員がありました。全く逆の発想をし、消費者、生活者の味方をさせるためにつくるのが、消費者庁であります。国民が泣き寝入りしなくて済むよう、身近な相談窓口を一元化するとともに、何か商品に重大な事故が起きた場合、その販売を禁止する権限も持たせます。悪質業者は、市場から駆逐され、まじめな業者も救われます。
 行政の発想そのものをめぐる改革であればあるだけ、甲論乙駁はもっともであります。しかし、国民の不安と怒りを思えば、悠長な議論はしていられません。消費者庁創設に、ご賛同いただけるのか否か。民主党に問うものです。否とおっしゃるなら、成案を早く得るよう、話合いに応じていただけるのか。問いを投げかけるものであります。

(簡素にして温かい政府)
 行政改革を進め、ムダを省き、政府規模を縮小することは当然です。
 しかし、ここでも、目的と手段をはき違えてはなりません。政府の効率化は、国民の期待に応える政府とするためです。簡素にして国民に温かい政府を、わたしはつくりたいと存じます。地方自治体にも、それを求めます。
 わたしは、その実現のため、現場も含め、公務員諸君に粉骨砕身、働いてもらいます。国家、国民のために働くことを喜びとしてほしい。官僚とは、わたしとわたしの内閣にとって、敵ではありません。しかし、信賞必罰で臨みます。
 わたしが先頭に立って、彼らを率います。彼らは、国民に奉仕する政府の経営資源であります。その活用をできぬものは、およそ政府経営の任に耐えぬのであります。

(地域の再生)
 目を、地域に転じます。
 ここで目指すべきは、地域の活力を呼び覚ますことです。それぞれの地域が、誇りと活力を持つことが必要です。
 しかし、その処方箋は、地域によって一つずつ違うのが当たり前。中央で考えた一律の策は、むしろ有害ですらあります。だからこそ、知事や市町村長には、真の意味で地域の経営者となってもらわなければなりません。そのため、権限と責任を持てるようにします。それが、地方分権の意味するところです。
 進めるに際しては、霞が関の抵抗があるかもしれません。わたしが決断します。
 国の出先機関の多くには、二重行政の無駄があります。国民の目も届きません。これを地方自治体に移します。最終的には、地域主権型道州制を目指すと申し上げておきます。
 農林水産業については、食料自給の重要さを改めて見直すことが、第一の課題となります。五〇パーセントの自給率を目指します。農業を直ちに保護の対象ととらえる発想は、この過程で捨てていかねばなりません。攻めの農業へ、農政を転換するのです。
 一〇月一日に発足の運びとなる観光庁の任務に、観光を通した地域の再生があることを申し添えておきます。沖縄の声に耳を傾け、沖縄の振興に、引き続き取り組みます。
 昨今は、集中豪雨や地震など、自然災害が相次いでいます。被災された方に、心よりお見舞いを申し上げます。復旧・復興には、無論、万全を期してまいります。

(持続可能な環境)
 環境問題、とりわけ地球温暖化問題の解決は、今を生きる我々の責任です。自然と共生できる循環型社会を、次の世代へと引き継ぐことが求められます。資源高時代に対応した、経済構造転換も求められます。
 なすべきは、第一に、成長と両立する低炭素社会を世界に先駆けて実現するということ。第二に、我が国が強みを持つ環境・エネルギー技術には新たな需要と雇用を生む力があることを踏まえ、これを育てていくこと。そして第三に、世界で先頭をゆく環境・省エネ国家として、国際的なルールづくりを主導していくということです。

(誇りと活力ある外交・国際貢献)
 次に、外交について、わたしが原則とするところを、申し述べます。
 日米同盟の強化。これが常に、第一であります。以下、順序を付けにくいのをお断りした上で、隣国である中国・韓国やロシアをはじめアジア・太平洋の諸国と共に地域の安定と繁栄を築き、共に伸びていく。これが、第二です。
 人類が直面する地球規模の課題、テロ、温暖化、貧困、水問題などに取り組む。第三です。
 我が国が信奉するかけがえのない価値が、若い民主主義諸国に根づいていくよう助力を惜しまない。第四です。
 そして第五に、北朝鮮への対応です。朝鮮半島の安定化を心がけながら、拉致、核、ミサイル問題を包括的に解決し、不幸な過去を清算し、日朝国交正常化を図るべく、北朝鮮側の行動を求めてまいります。すべての拉致被害者の一刻も早い帰国の実現を図ります。
 以上を踏まえて、民主党に伺います。
 今後日本の外交は、日米同盟から国連に軸足を移すといった発言が、民主党の幹部諸氏から聞こえてまいります。わたしは、日本国と日本国民の安寧にとって、日米同盟は、今日いささかもその重要性を失わないと考えます。事が国家・世界の安全保障に関わる場合、現在の国連は、少数国の方針で左右され得るなど、国運をそのままゆだね得る状況ではありません。
 日米同盟と、国連と。両者をどう優先劣後させようとしているか。民主党には、日本国民と世界に対し、明確にする責任があると存じます。論拠と共に伺いたいと存じます。
 第二に伺います。海上自衛隊によるインド洋での補給支援活動を、わたしは、我が国が、我が国の国益をかけ、我が国自身のためにしてきたものと考えてきました。テロとの闘いは、まだ到底出口が見えてまいりません。尊い犠牲を出しながら、幾多の国々はアフガニスタンへの関わりを、むしろ増やそうとしております。この時に当たって、国際社会の一員たる日本が、活動から手を引く選択はあり得ません。
 民主党は、それでもいいと考えるのでしょうか。見解を問うものであります。

(おわりに)
 わたしが本院に求めるものは、与野党の政策をめぐる協議であります。内外多事多難、時間を徒費することは、すなわち国民に対する責任の不履行を意味します。
 今、景気後退の上に、米国発の金融不安が起きています。わたしどもが提案している、緊急総合対策を裏付ける補正予算、地方道路財源を補てんする関連法案を、速やかに成立させることが、国民に対する政治の責任ではないでしょうか。
 再び、民主党をはじめ野党の諸君に、国会運営への協力を強く要請します。当面の論点を、以上にご提示しました。お考えをお聞かせ願いたく、わたしの所信表明を終えます。

URL:http://www.kantei.go.jp/jp/asospeech/2008/09/29housin.html

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『月刊日本』平成19年6月号 日銀マンよ、高橋是清の偉業を貶めるな! 日本経済再生政策提言フォーラム会長 丹羽春喜

  不可解きわまるネガティブな評価

 いま、本稿を2月26日に書きはじめている。想い起こしてみると、戦前、昭和11年のまさにこの日、日銀総裁、蔵相、首相などを歴任した名財政家高橋是清氏が、あの惨烈な2・26事件で難に会い、生涯を閉じたのであった。しかし、非命に倒れたとはいえ、昭和6年末から、「最後のご奉公」の覚悟で蔵相に復帰し、愛弟子の深井英五日銀総裁との名コンビによる画期的なマクロ財政・金融政策によって、大不況のどん底からわが国の経済を、ものの見事に回復・興隆させた業績は、すばらしいものがあった。わが国の防衛戦力にしても、昭和5年ごろの弱体化していた状況から見れば、高橋財政期には格段に強化され、わが国が大東亜戦争であれだけ善戦しえたのは、高橋蔵相のおかげであったと言ってもよいのである。ケインズ的なフィスカル・ポリシーの理論が、ケインズの主著『雇用、利子、貨幣の一般理論』の公刊によって体系づけられたのが、ようやく1936年(昭和11年)であったから、昭和6年の暮れから始動した高橋是清、深井英五の両氏による卓抜な財政・金融政策は、「模範的なケインズ的政策」を、ケインズ理論登場に数年も先立って実際に断行し、きわめて優れた成果をあげえたものであり、世界に誇るべき偉業であった。

 ところが、昨年、この高橋財政の成果に対して、あたかもネガティブな評価を下すかのごとき論文が、高橋、深井の両氏とのゆかりが特に深いはずの日本銀行のスタッフによって、公にされた。日本銀行金融研究所の梅田雅信企画役の執筆による「1930年代における日本のデフレ脱却の背景」(日銀金融研『金融研究』2006年3号)という論文であった。

 この梅田論文は、精緻な計量経済学的な分析手法を用いた長文の力作であった。ところが、その結論を要約した箇所では、戦前の1932年(昭和7年)までの1年あまりの期間に、わが国の経済では、物価の下落が止まって反転上昇するなど、かなり急速に「デフレ」からの脱却をはたしえたが、それは主として金輸出再禁止(フロート制への復帰)とその他の海外要因によったものにすぎず、高橋蔵相の積極的財政政策の効果によるものではなかったと強調され、そして、それ以降の高橋財政の後半期でも、「デフレ脱却」の効果は顕著なものではなかったと述べられているのである。もちろん、このような梅田論文の論旨に対しては、多くのエコノミストたちが違和感を持つであろうし、本誌の読者諸氏もそうであろう。しかも、非常に奇妙なことは、この梅田論文では、1933年(昭和8年)以降の高橋財政期の後半に、高度経済成長が物価の安定をともなった「数量景気的な」状況であったと述べているにもかかわらず、むしろ、そうであったからこそ「景気の回復がデフレ脱却につながった」という図式は妥当しないと、示唆されているのである。これでは、読む者としては、何がなんだか、さっぱりわからなくなったというのが、正直なところであろう。

 エコノミストたちにしろ、その他の一般人にしろ、物価の安定を保ちながら景気を回復させ、経済を高度成長の軌道に乗せることこそが、デフレ不況を脱却させる場合の理想的なパターンだと考えているはずである。高橋財政期では、1933年ごろからは、まさに、その理想的なパターンが実現していたというのに、梅田氏は、そのことを理由に、高橋財政は有効ではなかったと論じているのであるから、不可解しごくであるように見える。

 実は、この梅田論文を注意深く読んでみると、梅田氏が、「デフレ」という用語を、ただ単に「物価の下落」というきわめて特殊に限定された意味でのみ使用しているらしいということがわかってくる。だからこそ、高橋財政期の後半に、景気の回復と高度経済成長が実現され、しかも、物価の安定も保たれるという、きわめて好もしい政策パーフォーマンスが達成されていたにもかかわらず、梅田氏は、その時期に物価の上昇が僅かであったからというまさにその理由で、高橋財政には「デフレ」を脱却させる効果が不十分であったと述べているわけである。梅田論文の「不可解さ」の原因は、ここにあったわけである。



 ミス・リーディングなデフレ概念の曲解

 「デフレ」という経済用語は、かなり、意味があいまいである。しかし、従来からの最も一般的な慣行としては、「金融収縮や総需要の低下・低迷といったデフレーション過程にともなって発生した不況」という意味での「デフレ不況」を表す語として用いられてきたと言ってよいであろう。そして、筆者自身(丹羽)としては、そのような「デフレ不況」の現象が生じているような場合には、デフレ・ギャップの状況の計測・分析が必要であると考え、それを怠らないように努めてきた。

 実は、梅田氏のように、「デフレ」という用語を「物価の下落」という意味にのみ解して、物価の下落が止まってその上昇が始まることをもって「デフレ脱却」だとし、それを政策効果をも含む経済の成績(パーフォーマンス)の判断基準としているということは、きわめてミス・リーディングである。なぜならば、たとえば、わが国でも幾度か経験されたような、原油など原・燃料の輸入価格の高騰といった要因から生じるコスト・プッシュ型(コストから押し上げる型)の物価上昇は、不況下でも生じうるわけであり、そのような「スタグフレーション」の状態は、経済の状況をいっそう悪化させるものにほかならない。それを、物価が上昇したからといって、「デフレからの脱却」がなされたなどと、あたかも「良いこと」であるかのごとく判定するといったことは、大きな間違いであるからである。

 しかし、上記の梅田論文に見られるようなミス・リーディングなスタンスは、高橋財政期から七十数年も経過した現在のわが国で、むしろ、非常に広く見られるようになってきている。一昨年から昨年にかけての原油価格の高騰の結果としてわが国でも生じた一般物価の下げ止まりや企業物価の上昇は、明らかにコスト・プッシュ型の物価の動きであったと見るべきものであるが、日銀や内閣府などの政策当局者たちは、それを、わが国の経済が「デフレからの脱却」を達成しつつある「良い兆候」であるかのごとく示唆してきた。マスコミも、ほぼ全面的に、それに追随してきた。すなわち、現在のわが国では、政策当局やマスコミが、ディマンド・プル型(需要が引っ張る型)の物価上昇と、コスト・プッシュ型の物価上昇との区別を行なわなくなってしまっているらしいのである。もちろん、このことは、わが国の経済にとって、ずいぶん危険なことである。なぜならば、このことだけからでも、政府の経済政策が過誤をおかしがちとなり、マスコミもそれに気がつかないといった状況が、頻々として起こるといったことにならざるをえないからである。



 需給ギャップとデフレ・ギャップの混同は危険

 このように、政策担当の経済官庁やマスコミのエコノミストたちが、ディマンド・プル型とコスト・プッシュ型という二種類の物価上昇パターンを区別しなくなっているということは、とりもなおさず、彼ら(あるいは彼女ら)が、インフレ・ギャップとデフレ・ギャップの概念や特質の相違を理解することを、まったく怠ってしまっているということである。なぜならば、ディマンド・プル型の物価高騰はインフレ・ギャップが発生している場合にのみ生じうるのであり、デフレ・ギャップが発生している状態の下での物価上昇は、上記のように、コスト・プッシュのメカニズムによるものに限られているという重大なことが、看過されているからである。そして、彼ら(彼女ら)は、どうやら、マクロ経済学の最も基本的で初歩的な定理、すなわち、インフレ・ギャップとデフレ・ギャップがマクロ的に同時発生するなどということが、そもそも、ありえないことだという定理を、忘れてしまっているらしいのである。これは、きわめて憂慮すべき重大な事態であろう。

 上記の梅田論文では、「需給ギャップ」と名づけられた指標も推計されて、分析に用いられている。しかし、それは、鉱工業生産指数についてのトレンド線(平均的な趨勢線)の値と実際値とのあいだの各期におけるプラスまたはマイナスの乖離(かいり)を「需給ギャップ」と呼称しているだけであって、きわめてラフな代用指標の域を出ないものである。なぜラフであるかといえば、ちょっと考えればすぐにわかるように、ある時期において、鉱工業生産指数のトレンド線の値と実際値とが乖離していたからといって、需給が均衡していなかったとは必ずしも言えないし、逆に、その両者が一致して差が生じていなかったとしても、だからといって、必ずしも需給が均衡していたとはかぎらないからである。また、鉱工業についての需給状況を示すと仮定されているそのような指標を算定しえたとしても、それだけでは必ずしも全産業ないし経済全体におけるマクロ的な需給状況を反映しているとはかぎらないということも、言うまでもないところであろう。

 マクロ的に経済全体で諸商品の需給が均衡しているかどうかを見るには、GDP(ないしGNP )に占める在庫変動額の比率をチェックすればよい。近年のわが国においては、毎年のGDPに占める在庫変動額の比率は、きわめて微少であって、0.3~0.6パーセント程度でしかない。ということは、わが国の経済では、企業が需要の変動に応じてきわめて敏速・的確に諸商品を生産・供給しており、商品の売れ残りによる在庫増加や、その逆の供給不足による在庫の減少が、ともにネグリジブル(無視しうるほど僅か)でしかないということである。すなわち、近年のわが国の経済ではマクロ的に需給が均衡して「需給ギャップ」がほとんど生じていない「マクロ均衡」の状態が続いているわけである。

しかし、忘れてはならないことは、近年のわが国経済では、そのようにマクロ的に需給が均衡しているにもかかわらず、巨大なデフレ・ギャップが発生・累増し、居座っているということである。ここでは、読者諸氏の多くも学生時代に経済学の初級コースで学ばれたであろう周知の「45度線モデル」の図解を用いて、そのことを平易に説明しておきたい。

第1 図
第1図を見ていただきたい。近年のわが国の経済では、マクロ的に需給が均衡しているのであるから、その均衡点は(タテ軸で測った国内総支出GDEとヨコ軸で測った国内総生産GDPが等しくなるところの)45度線上のたとえばQ 0点(ケインジアン・クロス点と呼ばれている)として示すことができる。それに照応しているGDPはY0 である。しかし、このQ 0点は、完全雇用・完全操業の「フル・キャパシティー操業」状態での潜在GDPであるY(ー)に対応したマクロ均衡点Q(ー)よりは、ずっと低いところにある。この両均衡点の高さの差、すなわち、ヨコ軸のGDPで測った場合のY(ー)とY0とのあいだの距離がデフレ・ギャップ(GDPギャップとも言う)である。言うまでもなく、このデフレ・ギャップは、マクロ的な生産能力の遊休ないし余裕であると解釈することができるわけである。

近年のわが国では、経済が、ほぼ、マクロ均衡点(ケインジアン・クロス点)に在るため、需給が均衡しており、「需給ギャップ」は無いと言ってもよい。しかし、第1図のY(ー)とY0とのあいだの距離として示されているような「デフレ・ギャップ」は、第2図のごとく、わが国の経済では、1970年代の後半より現在まで、長期的かつ厖大に、発生・累増してきているのである(後述するように、戦前も発生していた)。

この第2図では、「完全雇用・完全操業」(企業資本設備と労働力人口を総合して97%の操業率に達することを事実上の完全雇用・完全操業と想定)の状態を想定した場合の潜在実質GDPが、(高)(中)(低)の3系列として、いわば幅を持たせて推計されているが、(中)の推計値系列で見てみても、2005年(平成17年)の潜在実質GDPは936兆円(1990年価格評価の実質値)と算定されている。同年の実質GDPの実際値は、潜在値の5割6分にすぎない520兆円(同じく1990年価格評価)にすぎなかった。つまり、同年のデフレ・ギャップは44パーセントにも達していたわけであり、400兆円以上もの潜在実質GDPが実現されえずに、空しく失われていたのである。

この図を眺めて目算すれば、すぐにわかるように、1980年代以降の過去四半世紀だけでも、このように累増してきたデフレ・ギャップによってわが国の経済社会から失われた潜在実質GDPの合計額は、近年の年間実質GDP額の約10倍の5000兆円にも達するのである。これは、1930年代の10年間におよんだ大不況期の米国が、やはり巨大なデフレ・ギャップの発生によって、1929年の年間GNP額の5倍ないし10倍にも相当する合計額の潜在実質GNPを失ったと推計されていることに比肩されうるほどの、大きな損失である。すなわち、日本経済は、過去四半世紀、デフレ・ギャップの発生・累増によって、想像を絶するような大惨害をこうむってきたのである。

筆者(丹羽)が本誌の本年2月号でも指摘しておいたように、実は、1990年代に入ってから現在まで、わが国の政府当局は、日本経済においてこのように巨大に発生・累増してきたデフレ・ギャップを推計・把握することを怠り、むしろ、第2図の筆者(丹羽)による計測結果が示しているような惨烈な実情――すなわち、近年では、年々、400兆円もの潜在実質GDPが実現されえずに空しく失われているといった惨状――を、隠蔽・秘匿するようなスタンスをとってきた。そして、そのこととの不可分な成り行きとして、わが国の政府当局ならびに官庁エコノミストたちは、第1図に示したような経済理論的な意味での「デフレ・ギャップ」と「需給ギャップ」の区別を明確にすることも、避けてきたのである。

この第2図に示されたようなデフレ・ギャップの推計方法、ならびに、その吟味や典拠資料等は、昨年春に上梓された筆者(丹羽)の著書『新正統派ケインズ政策論の基礎』(学術出版会)に詳述してある。関心のある読者諸氏は、ぜひ、それを読んでいただきたい。


第2図



〔注〕 本図作成にあたってのデフレ・ギャップの推計・計測の方法、ならびに、

    典拠した資料等については、丹羽の著書『新正統派ケインズ政策論の基礎』

    (学術出版会、平成18年刊)に詳述されている。なお、本図でのGDP概念

    は、わが国では2000年度まで公式に用いられていた< 68 SNA > 算定方式の

    ものに、統一的に準拠している。 




戦前のデフレ・ギャップ

言うまでもなく、上記の戦前1930年代の高橋財政期を分析した梅田論文で推計されている「需給ギャップ」と称されているような指標の数値では、それが、第1図のQ 0点のようなマクロ均衡点からの当時のわが国経済の短期的・偶然的な乖離の程度を示すものでもなかったし、なおさらのこと、Y(ー)とY0とのあいだの距離という意味でのデフレ・ギャップを示すものでもなかった。梅田氏は、同氏が推計したこのようにかなり意味のあいまいな「需給ギャップ」と呼称された指標によって、昭和10年の後半以降、日本経済は需要超過の状態となり、供給余力が乏しくなったと分析している。

しかし、いまから8年ほど以前のことになるが、筆者(丹羽)は、大阪学院大学の大学院における筆者担当ゼミナールの学生との協力作業で、第1図におけるY(ー)とY0とのあいだの距離というオーソドックスな意味での「デフレ・ギャップ」の推移を、わが国の学界で初めて、戦前の日本経済についても厳密に計測することを行なってみた。その計測結果を示したのが第3図であるが、これを見てみると、昭和10年(1935年)から昭和11年(1936年)にかけての時期でも、日本経済のデフレ・ギャップ(すなわちマクロ的な生産能力の余裕)は、まだかなり大きく、16 ~17パーセントも有ったことがわかるのである(この推計作業の詳細は、当時、同ゼミのメンバーであった中野智弘氏が平成12年1月に同大学大学院経済学研究科に提出した修士学位論文「大正・昭和戦間期のデフレ・ギャップと高橋財政」に論述されているが、その大要は、『自由』誌、平成16年10月号所収の丹羽論文でも知ることができる)。なお、注意すべきことは、この第3図では、1940年(昭和15年)でも、まだ、ギャップがかなり残っていたように見えるが、その頃になると、それは、通常の意味(総需要の不足)でのデフレ・ギャップではなかったということである。むしろ、それは、その頃から「ABCD包囲陣」によって顕在化しはじめた原・燃料輸入の困難によって、当時のわが国の産業が生産能力の稼働率を十分に引き上げることができなくなっていたことを示しているものに、ほかならなかったのである。

第3図



〔注〕 本図の推計・作図の方法ならびに典拠資料等の概要は、『自由』誌、

   平成16年10月号所収の丹羽論文に記述されている。



いいずれにせよ、もしも、このようなデフレ・ギャップ推計の方法が、戦前においても開発されていて、上記の筆者(丹羽)たちが得た第3図のような計測結果を高橋是清蔵相も利用することができたとするならば、同蔵相は、当時すでに風雲急を告げつつあったわが国をめぐる国際情勢のただ中にあって、昭和11年度予算での軍事費の削減をあえて強行するといったことを、行なわなかったのではなかろうか。だとすれば、2・26事件で同蔵相が命を失うという悲劇も起こらないですんだのではないかと、思われるのである。





有効需要の原理は、現在も健在

戦前、高橋是清蔵相と深井英五日銀総裁の緊密な協力によって展開されたフィスカル・ポリシーの見事な成果は、有効需要政策が効果的であること、したがってケインズ的「有効需要の原理」の妥当性を、上述のごとく、ケインズ自身による理論化がなされる数年も前に、全世界に先立って、事実上、立証したものにほかならなかった。ところが、上記の梅田論文では、この重要な意義を持つことについての言及は、まったくなされてはいない。梅田氏の問題意識が、高橋財政期当時のわが国における物価動向についての要因分析を行なうということにのみ集中・限定されていたとはいえ、このような梅田氏の姿勢は、やはり、ただごとではない異常なものであるように思われるのである。

しかしながら、戦後60年以上も経った近年(および現在)において、わが国の経済政策当局ならびに官庁エコノミストたちの公式のスタンスも、ほかならぬ、この「有効需要の原理」の働きを否認し、フィスカル・ポリシーによる有効需要政策の有効性を認めることを拒否するということになってしまっているように、思われるのである。小泉内閣の経済政策の基調が、まさに、それであったことは、ほぼ、間違いのないところであった。梅田氏も、その大勢に順応したのであろう。そして、民間や学界のエコノミストたちの多くも、この大勢への追随をこととしているのが、現状であると言ってよいであろう。

「有効需要の原理」は、近年の日本経済の具体的なパターンを例にとって説明してみると、よくわかる。すなわち、近年の日本経済における年々の「自生的」(じせいてき、autonomous)な有効最終需要支出額である「民間投資支出額+貿易収支額+政府(地方自治体をも含む)支出額」の、在庫変動額をも加えたマクロ的なトータルは約200兆円(年額)であるが、それから発生する乗数効果を通じて、年々の「家計消費支出額」約300兆円(年額)が生み出され、その両者の合計として、周知のごとく、年額約500兆円(いずれも名目値ベース)のGDE(すなわち国内総支出)= GDP(国内総生産すなわち減価償却額をも含めたグロス・タームでの国民所得額)が形成されているのである。「有効需要の原理」は、このような明確なプロセスとして、常に作動・貫徹しているわけである。このように具体的に考えてみれば、「有効需要の原理」の働きを否認するなどということは、とうてい正気の沙汰とは思われない。にもかかわらず、近年(および現在)のわが国政府の政策当局は、乗数効果がきわめて微弱になってしまっているとして、上記のように、最近の日本経済では「有効需要の原理」が妥当しえなくなったとするスタンスに、固執しているわけである。

上記の簡単な実際の金額を用いた説明で明らかなように、このところ、年々、約200兆円の「自生的有効最終需要支出」から、その2倍半の約500兆円のGDPが形成されているのであるから、乗数効果の「ケインズ乗数値」は2.5前後であるはずである。これは、けっして小さな値ではない。いずれにせよ、筆者(丹羽)が本誌の2月号で指摘しておいたように、いま、政府筋のスタッフならびにそれに追随しているエコノミストやマスコミなどが想定しているような1.3以下といった小さな乗数値では、500兆円のGDPの形成は説明しえなくなるはずである。GDPの形成を説明しえないような経済分析は、失格であろう。



付表

 

〔典拠〕 旧経済企画庁・現内閣府編集『国民経済計算年報』の各年次版、および、

    内閣府のホーム・ページに拠った。




ここで、付表を見ていただきたい。この表は、簡単な表ではあるが、きわめて重要なことを示している。すなわち、この表は、わが国の経済について、1970年より2005年までの期間をとって、その全期間をまとめて眺めてみたり、あるいは、幾つかの期間に区切って観察したりしているのであるが、その何れにおいても、トータルとしての「自生的有効最終需要支出額」の伸び率とGDPの伸び率とが、おどろくほどピッタリと一致しているのである。したがって、この表から直感的にわかることは、たとえば、3年、あるいは、5年といった期間に、トータルとしての「自生的有効最終需要支出額」が、年額で、かりに1.5倍、あるいは、2.0倍に伸ばされたとすれば、 GDPも同じく1.5倍、あるいは、2.0倍前後に伸びることが確実だということである。

つまり、現在のわが国の経済においては、トータルとしての「自生的有効最終需要支出額」の年々の額を増やしていきさえすれば、それと比例的にGDPをもきわめて確実に増やしていくことができるということなのである。しかも、「自生的有効最終需要支出額」の中では「政府支出額」が大きなシェアを占めているのであるから、政府は、この「政府支出額」を適宜に増減させることによって、トータルとしての「自生的有効最終需要支出額」をコントロールすることができるわけである。したがって、政府はGDPの成長をもコントロールすることができるはずなのである。しかも、デフレ・ギャップという生産能力のマクロ的余裕が巨大で、インフレ・ギャップ発生の怖れが現実的には皆無である現在の日本経済においては、後述するように、政府は「国(政府)の貨幣発行特権」という「打ち出の小槌」財源をタブー視する必要が無く、国民の負担もまったく無いやり方で、それをいくらでも活用しうるのであるから、なおさらのことである。にもかかわらず、上記で指摘したように、過去四半世紀の期間に、わが国の経済から合計5000兆円もの潜在実質GDPを空しく失わせてしまったということは、わが国の政策当局の弁解の余地の無い大失態なのである。

要するに、現在の日本経済においては、「有効需要の原理」は、きわめて確実に作動し貫徹しているのである。筆者(丹羽)は、このことを、経済理論的にも、計量経済学的にも、厳密に吟味・確認する作業を行なったのであるが、そのようなアカデミックな研究・分析によって得られた結論も、ここに掲げたこの簡単な付表から上記のごとく直感的に読み取ることができることを、疑念の余地無く裏書きするものにほかならなかった(上掲、丹羽著『新正統派ケインズ政策論の基礎』を参照)。すなわち、「有効需要の原理」の妥当性を否認するという当世風のスタンスは、まったく間違っているのである。



葬り去られつつあるサイエンス、マクロ経済学

  ━━重要国策の遂行も不可能に━━

以上、本稿で指摘してきたような、過去四半世紀(とくに1990年代以降)における、わが国の政策当局とそれに追従する官庁・業界・学界のエコノミストたちやマスコミなどに通有の、合理性をいちじるしく欠如した混迷の極致ともいうべき経済思考パターンの数々は、要するに、ケインズ的なマクロ経済学の諸定理を、すべて否認・忘却しようとしているということである。ここで、一応、「ケインズ的な」マクロ経済学と記したが、本当は、そのような限定の句を付ける必要もないのである。なぜならば、それは、現代のマクロ経済学そのものの核心を構成しているきわめて広い汎用性を持った疑念の余地の無い真理を体現している理論体系であり、複式簿記の原理で国民所得勘定(GDP勘定)の作成を行なっている社会会計学も、基本的には、このマクロ経済学の理論体系から導き出されているからである。ということは、本稿でも第1図で示したような「45度線モデル」を導き出す土台となっているマクロ均衡の方程式などを中心とするマクロ経済学の理論体系それ自体と、それに基づく財政政策・金融政策の政策理論体系が、現在のわが国では、ほとんど全面的に否定され、忘れ去られてしまおうとしているということなのである。すなわち、国家政策の立案・実施のためにも必須であるはずの、れっきとした一個のサイエンスが、全面的に葬り去られようとしているのであるから、信じがたいような一大事である。本誌の読者諸氏は、「まさか!…‥」と思われるかもしれないが、これが実情なのである。

20世紀に生きた知識人の大多数が認識していたように、冷戦時代に、自由世界の基礎である私有制に基づく市場経済体制を守りぬくうえでの最強の戦力は、ケインズ主義のパラダイムであった。冷戦とは、経済思想の闘いの局面では、マルクス対ケインズの対決であったのである。ところが、米国の思想界から発信されてきた「新古典派」経済学のイデオロギーを信奉する勢力は、1970年代の後半以降になると、この世より「ケインズ主義的な」マクロ経済学とそれによる政策論のすべてを根絶しようとしているかのごとき、強烈きわまりない「反ケインズ主義」の政治的思想攻勢を、グローバルに展開してきた。近年のわが国政府の経済政策スタンスも、そのような「新古典派」イデオロギーの支配的影響を受けたものであった。とくに小泉政権では、それが顕著であった。上述のごとき、わが国の政策当局者やエコノミストたちの混迷状況も、これに由来していると見なければならない。

しかし、筆者(丹羽)が、本誌の昨年11月号と12月号で平易に解説しておいたように、実は、米国流の「新古典派」経済理論なるものは、はなはだしく非現実的な仮定や欺瞞的な理論的トリックなどによって無理やりに構築された、きわめてニヒリスティックかつ無政府主義的な、まさに文明破壊的とも言うべき危険思想なのである。われわれ日本国民として、困惑せざるをえないことは、わが政府の経済政策スタンスが、そのような「新古典派」の「反ケインズ主義」イデオロギーの支配下にあるようでは、わが国の、破綻の危機にひんしている政府財政を再建し、経済を低迷状態より脱却させて力強い興隆軌道に乗せ、自然環境の改善や社会保障の充実を推進するとともに、なによりも、防衛力の整備・拡充を断行して、他国からの侵略やあなどりを受けることのないようにするといった重要国策の遂行が、ほとんど不可能になるということである。なぜならば、このような重要国策の効果的な遂行のためには、何にもまして、経済政策当局によるマクロ経済理論の確固とした再確認と、それに基づいた大規模かつダイナミックなケインズ的政策の立案・実施ということが、必須であるからである。

言うまでもなく、そのような重要国策を遂行するにあたっては、わが国における物資やサービスのマクロ的な生産能力の余裕の有無や、その余裕の規模などを確認することが、まず必要である。すなわち、本稿の第2図として筆者自身(丹羽)の計測結果を示したようなデフレ・ギャップやインフレ・ギャップの正確で信頼度の高い測定が、常に、システマティックに行なわれて、それが政策立案に広く有効利用される必要がある。であるから、現在のように、わが政府当局がそれを怠り、むしろ、デフレ・ギャップの発生・累増の実情が政府によって隠蔽・秘匿されているような状況であって、わずかに、筆者(丹羽)のみがそのような計測作業を小規模に行なっているようなことでは、まことに心細い。政府が、いましばらくは、そのような無責任なスタンスを改めないというのであれば、それに代って、民間の有力な研究機関が、これに取り組むべく奮起していただきたいものである。

上記のような重要国策を推進するためには、相当に大規模な財政政策の実施が必要となるであろうが、第2図に示されたような厖大なデフレ・ギャップという形の巨大なマクロ的生産能力の余裕が存在しており、しかも、他方で、政府負債の膨大化によって政府財政が破綻状況にある現状では、そのような財政政策のためのマネタリーな財源調達手段としては、国債発行や増税に頼るべきではない。高橋是清蔵相と深井英五日銀総裁が行なったような新規発行国債の日銀直接引き受けといった方策よりも、さらに一歩を進めて、いまこそ、タブー観念から脱却して、わが国の現行法でも認められている「国(政府)の貨幣発行特権」(seigniorage、セイニャーリッジ権限)という政府の負担にも国民の負担にもならない「打ち出の小槌」財源を、なんらかの形で大規模に活用するべきである。

今日では、経済社会における取引の大部分は多角的な電子決済で行なわれているのであるから、財政政策がこの「打ち出の小槌」財源によって実施されるからといって、「紙幣を刷りまくる」必要などはない。エコノミストたちにはよく知られているように、現金通貨流通量は、GDPの増加額に「マーシャルのk」(マクロ・ベースの現金通貨流通速度の逆数)という0.08 ~ 0.16程度の係数を乗じた額で増えるだけのことである。この「マーシャルのk」の値それ自体も、金融政策によって、ある程度は調節しうるのである。このような「打ち出の小槌」財源を活用する政策案を、筆者(丹羽)は、繰り返し提言してきたが、本誌の昨年10月号でも、「600兆円政策案マニフェスト」として平易・簡潔に提案しておいた。



想起せよ、歴史の痛切な教訓を

ここで、いま一度、戦前のことを想起してみたい。わが国は、1937年(昭和12年)を期してワシントン軍縮条約の継続拒否・廃棄を行なうことを決断し、同条約の規定に基づいて1934年(昭和9年)の12月に米英等にそれを事前通告した。さらに、高橋是清蔵相が難にあった年である1936年(昭和11年)の1月には、ロンドン軍縮条約からの脱退をも同様に事前通告した。これによって、1937年(昭和12年)からは、いわゆる「無条約時代」の幕開けとなったわけであるが、わが国は、こうすることによって、両条約で6割という劣勢比率に抑え込まれていたわが海軍力の対米比率を、7割ないし8割程度にまでは高めうることが可能になるであろうと、期待したわけである。

ところが、米国は、「待ってました!」とばかりに、第1次、第2次、第3次ヴィンソン案、さらには、スターク案といった想像を絶して厖大な海軍軍備の大拡張計画を急速に実施しはじめ、わが国にとっては、深刻な危機的事態の到来となってしまったのである。

米国では、1930年代の半ばも過ぎた当時になると、すでに、ケインズ理論が多くの政策担当者たちにも、よく理解されるようになってきており、それにともなって、デフレ・ギャップの推計・計測も、かなり行なわれはじめていた(上述のごとく、わが国では、高橋是清蔵相が非命に倒れた後の1930年代の末ないし1940年代前半においても、まだ、デフレ・ギャップの概念やそれを推計・計測する手法などは、知られていなかった)。すなわち、米国政府が、「無条約時代」を迎えて、そのような超厖大な軍拡計画の策定・実施に踏み切ることができたのは、当時の米国経済におけるマクロ的な生産能力の余裕であるデフレ・ギャップがきわめて巨大であったということを、米国の当時の政策担当者たちがよく知っていたという事情に、大きく助けられていたのである。しがって、そのようなケインズ経済学の理論やデフレ・ギャップのコンセプトについての知識を、まだ、米国政府当局も持っていなかった1920年代や30年代当初の頃に軍縮条約の破棄が行なわれていたとすれば、米国といえども、あれほどまでに厖大な軍拡案を策定することは、できなかったにちがいない。この意味で、わが国によるワシントン、ロンドン両軍縮条約の破棄通告にともなう「無条約時代」の開始が、まさにケインズ的政策の開花期が始まった1937年(昭和12年)と一致してしまったことは、わが国にとって、まことに悪いタイミングであった。

戦後の1980年代の米国でも、「反ケインズ主義者」であったはずのレーガン大統領が、ボルカー連銀議長に足をとられながらも、実際には、事実上のケインズ的大型積極財政の断行による軍事力の強化に邁進し、軍拡競争でソ連を圧倒して、冷戦の勝利を導いている。

このような歴史的事実にてらしてみても、今日、中国の異常に急速・大規模な軍備拡張や北朝鮮の核武装化などに直面して、わが国の防衛力の整備・強化や国力の振興が喫緊の肝要事となりつつある情勢を想うとき、筆者(丹羽)は、わが経済政策当局者たちの(官庁エコノミストたちの)、上述のごとき「反ケインズ主義」の知的混迷状態からの覚醒こそが、救国のための一刻を争う必須の急務であると、強調せざるをえないしだいである。


URL:http://homepage2.nifty.com/niwaharuki/ronbun/19.6.29-takahasikorekiyo.htm


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緊急報告:何故米国はリーマンを救済しなかったのか


 つい先ほど(2008年9月16日正午)、ポールソン財務長官の”リーマンに関しては公的救済を一度も考えなかった”という主旨の発言が、流れていました。その理由についてよく読むと、”3月とは状況が異なるから”というものでした。
 状況が異なる? ベア・スターンズ、ファニーメイ、フレディマックは救済し、なぜリーマンは見殺しにしたのか。資産規模、市場に与える影響を考えると、リーマンが最大であり、これらの中では最も救済すべき存在であるにもかかわらず、なぜ破産に追い込んでしまったのか。昨日からの疑問でしたが、これで一つの答えらしきものが見えました。以下は私なりの米国政府の真意の解釈とその分析です。
 
 まず、ポールソンの言葉ですが、正確には、3月とも、7月とも違う状況であるから、今回はリーマンを救済しなかったと解釈すべきでしょう。3月はベア、7月はファニーです(決着したのは9月ですが、公的資金導入に向けて動き出したのは7月です)。その理由は、それぞれの金融機関の資産内容が良いとか悪いとかでも、収益性が良いとか悪いとかでもなく、はたまた社会全体に与える影響度合いが大きいとか小さいとかでもないように思われます。何故なら、個別要因を比較しても、ベアとファニーに共通し、リーマンに当てはまらない、ものなど見当たらないからです。
 だとすれば外部環境にその原因があるはずです。しかし米国の株価は、3月も、7月も、そして9月も、同じように危機的状況であり、ここには違いはありません。だから株価が原因でもはない。
 3月、7月に危機的状況を迎えたものの、9月にはそれを脱しているのはドルです。3月、7月、とユーロ、金は急激な上昇を見せていました。原油などは7月まで一直線に上昇していました。それらが今回は皆下落途上にあります。本来、最も足の速いはずのユーロは、リーマン破綻のニュースを受けて一瞬1.45まで買われましたが、すぐにまた1.42まで売り戻されました。ドルは現在危機的状況ではない、即ち、ベアやファニーとは異なり、リーマンが破綻しても、ドルの信認は保たれているのです。

 ここにポールソンの決断の真意が隠されているように思います。確かにリーマンの破綻はショックとしては大きい。しかしドルの信認が保たれていれば、やがて資本はまた米国金融市場に帰ってくる。実際、米国の金融株はリーマンが破綻したにもかかわらず、全体で見れば7月の安値を下回ってはいない。確かに米国および世界全体の株価はリーマンが保有していた資産の強制売却が発生するために一時的なショック安に見舞われることは仕方のない話であるが、ドルの信認が保たれている限り、連鎖することは無い。
 こんな風に予測し、ポールソンは公的救済を見送ることを決意したのではないでしょうか。もしそうであれば、今晩からのNY市場が本当の勝負です。ドルの価値が保たれ、株式市場が平静を取り戻せばポールソンの見立てが正しかったことになります。

(注:円から市場を見ると、現在はドルの信認が揺らいでいるように見えますが、これは間違いです。世界の投資家は、円はドルの従属的通貨と見ていますから、ドルの信認あるいは不信認という構図には登場しません。)

URL:http://phi.fisco.co.jp/column/819279
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中国で多くの日系企業が環境基準違反のブラックリストに!


 中国には、おもしろい地図がある。いや、恐ろしい地図といったほうがいいかもしれない。排水基準に違反している企業が、すべてインターネットのサイトに公表されているのだ。中国国内企業も対象であるが、中国に進出しているすべての外資系企業も対象となっている。もちろん日本企業も含まれる。

日本企業も12社が
違反企業として公表
 そのサイトとは、中国環境NGOの市民・公衆と環境研究センターが06年に完成させた「中国水汚染マップ」と「中国大気汚染マップ」である。中国の環境問題の第一人者、馬軍氏が汚染基準に違反している工場などの企業データをまとめたものだ。サイトをみればわかるが、中国全土マップの各都市をクリックすると、その場所にある汚染した企業の名前が出てくる。汚染度比較なども掲載されている。
http://air.ipe.org.cn/en/qyInfoEn.do

 馬軍氏は「中国政府の環境基準は厳格だが、地方レベルでは無視されていることが多い」と指摘した上で、「全国どこからでもこの情報にアクセスできることが、国民の環境問題への意識を早く高めるための前提条件だ」と語る。サイトに公表された企業は名指しで批判されたことになるから、早く対策を取ることを促す目的だとしている。

 06年は多国籍企業として有名なペプシコーラ社やネスレ社など33社が排水基準違反企業リストとして公表されたが、日本企業も12社が含まれていた。いずれも有名な企業ばかりである。松下も一旦掲載されたが、再検査を行ない除外されることになった。だが、ほかの日本企業には、そのまま掲載され続けている会社も多い。特に味の素と関係のあった蓮花集団という化学調味料工場がある項城市などは、動向が注視されている。

 データの根拠は、全国の環境保護局が公表した04-06年の排水基準違反企業リストであり、中国企業を含めたすべての企業で1000社以上にものぼっている。

 現在、公表されている外資系の違反企業に対して、地元マスコミが問題にしている。世界でも有名な多国籍企業が、なぜ中国では環境基準に違反するのか? 先進国の巨大企業であれば、環境意識は高いはずだ。他人の国、中国でなら環境対策を講じなくてもよいという、グローバル意識の低さの顕れではないか、というのだ。

北京で日本企業や他の外資系企業に取材したところ、以下のような返答があった。

(1)一部においては環境基準が日本より厳しい (2)抜き打ちテストが行われコネのない外資企業には不利 (3)中国人工場長に環境意識が低い。

 企業として環境対策に取り組んではいても、抜き打ちテストでたまたまその日に対応した中国人担当者に環境意識が低く、対応に不備が出てしまうケースなど、不満もこぼれる。

政府も罰則を強化
日本企業は慎重な対策が必要
 いくら日本人だけで対策を講じても、問題解決は難しい。今後の対策として、中国人のすべてのマネジャークラスの人員の意識を高め、部下にも浸透させることが大事だと、日系企業の担当者は話す。

 具体的には、(1)人材育成に力を入れ、現地の工場長クラスの環境意識を高める、(2)環境推進担当部などを設置し、中国人の環境担当者をつける、(3)環境保護局とのコネクションの強化に力をいれる、ということだ。

 最近、中国ではペナルティとして違反を公表される企業が増えている。08年全人代(全国人民大会)では環境問題への取り組み強化が謳われ、なかでも水質汚染防止法の修正案が可決された。今後は、事故を起こした責任者に年収の5割以下の罰金が課せられるなどとしている。

 厳しく取り締まることで、今後は環境対策に本腰を入れる企業も増えることだろう。ただ、中国は法律がころころ変わるので、日本企業には注意が必要だ。また中国は、中央政府に地方政府、それに官庁のしくみとも、実に複雑である。それらを理解したうえで、対策は慎重に行わなければならないだろう。不名誉なことで中国全土に名前が広まれば、ブランドが失墜し、深刻な打撃となりかねない。

URL:http://diamond.jp/series/china_rika/10017/



【中国を読む】水不足…10年後、北京はどうなる 矢板明夫

 中国の首都、北京は深刻な水不足問題を抱えている。近年の人口急増や工業発展のため水使用量がうなぎ上りに上昇し、毎年10億立方メートルの水が足りないといわれている。今夏の北京五輪のために、隣の河北省などから約16億立方メートルを調達し、生活用水のほか、植樹や枯渇した河川などに注入し、「緑色五輪」を演出したが、五輪後の北京は再び水不足に悩まされている。このままでは10年以内に大規模な人口移動や産業移転は避けられず、「首都移転」を提案する学者も現れている。

 ■過度の開発が原因

 北京市内には永定河、潮白河など複数の河川が流れており、北海、団結湖などいくつもの天然湖がある。年間の降雨量は625ミリリットルで、パリやベルリンなど世界主要都市とほとんど変わらず、水資源は恵まれていないわけではない。しかし、現在の北京市民の一人あたりの水資源は300立方メートルしかなく、中国全国平均の8分の1、世界平均の30分の1にすぎない。

 中国の著名な環境学者、王維洛(おう・いらく)氏は、「北京の水不足の最大の原因は過度の開発だ」と指摘する。例えば、北京に水を供給する最大の源泉となる永定河には、1960年代以後、各地の政府により、計542ものダムがつくられた。ダムが多ければ蒸発などによる水の減少も激しくなるといわれ、王氏の計算によると、これらのダムによって、永定河の水流量の約8割が失われているという。

 また近年、人々の生活スタイルの変化や都市開発に伴い、水の使用量も急増している。例えば、90年以後、北京には市民が入浴するための数千にも及ぶ“温泉”やスーパー銭湯が現れ、その水使用量は膨大で、今後も増え続ける勢いだ。美容室の数も急増し、毎日のように通う若い女性が増え、髪を洗うためなどに大量の水が使われる。

 さらに、2006~07年の不動産バブルで、敷地内に人工湖のある高級マンションが飛ぶように売れたといい、人工湖が見える物件と見えない物件では、1・5倍前後の値段の違いがあるといわれる。

 北京政府は数年前から、「水の節約キャンペーン」を展開し、汚水処理の施設を拡張し、水の再利用などにも力を入れて対策を取ってきたが、水不足は年々深刻化、問題も根本解決には至っていない。

 ■「消失する」「首都移転」

 カナダのNGO(非政府組織)「プローブ・インターナショナル」は今年6月に発表した報告書で、水不足のため、10年以内に北京市は「消失」すると警告し、大規模な人口移動や産業移転は避けられないとの見方を示した。中国国務院商務部の梅新育(ばい・しんいく)研究員も最近、水資源の逼迫(ひっぱく)などを理由に「首都移転」を提案する論文を発表し、話題を呼んでいる。

 こうした悲観論に対し、中国科学院生態環境研究センターの康暁光(こう・ぎょうこう)研究員は「対策によって北京市内の水不足は解決可能」と反論している。水の使用率を高めると同時に、ほかの都市からの調達で近い将来、年間12億立方メートルの給水を受けることが決まっており、水不足は大幅に緩和されると指摘した。

 康氏が言うほかの都市からの調達とは2002年に着工した南部の揚子江から北部に水路を建設する「南水北調プロジェクト」だ。毛沢東(もう・たくとう)主席(1893~1976年)が1950年代に発案した雄大な事業で、今世紀半ばまでの完成を目指し、年間約450億立方メートルの水が北方に調達されるという。しかし、巨額の工事費がかかり、多くの住民移住問題にもかかわり、揚子江河口の塩分濃度の増加や、生態系への影響を懸念する声もあり、計画通りに工事が完成できるかどうかを疑問視する学者も少なくない。環境問題専門家の間では「首都移転」は避けられないとの意見は根強い。(中国総局)

URL:http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/178652/
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福田首相辞任! 日本は、そして東アジアは、どうなる?

福田辞任と日本の政局

9月1日月曜日の夜、福田首相が辞任を発表した。突然の辞任会見に、日本中が衝撃を受けたように思えた。

現実には、永田町では福田辞任は想定されていたことだった。もともと福田康夫首相は、昨年9月の安倍晋三前首相の突然の引退劇を受けて急遽誕生したものの、支持率は下がりっ放し、党内での人気もなく、いつ辞めてもおかしくはなかった。

今春に行われた通常国会は、いわゆる「衆参ねじれ国会」で、与党の提出する法案は悉く民主党の反対に遭って立ち往生状態が続いた。秋に始まる臨時国会でも、同じ状況が十分に想定される。衆参での審議がもつれれば、与党の戦術としては、解散総選挙に持ち込むのが普通だ。ところが、「福田総裁では選挙に勝てない」という思いが自民党内に充満していて、福田下ろしの風が吹き荒れていた。さらに、臨時国会の開催時期を巡って、与党・公明党からの強い圧力を受け、首相としての指導力、指揮力がまったくないことを内外に印象づけてしまった。もはや福田の首相としての存在意義は消滅していたと言っても過言ではなかった。

福田辞任を受けて、自民党では10日公示、22日総裁選の日程が決定した。次期総裁の最有力候補は麻生太郎。もし今日(9月8日)あたりに総裁選が実施されれば、麻生は圧倒的な差で総裁に選ばれるだろう。しかし、22日までの日程を考えると、麻生で決定とは言い難い。「選挙で勝つためには誰が最適か?」という思惑だけが優先する。小池百合子や石原伸晃のほうが勝てるという読みが浮上する可能性は、まだ残されている。

問題は、その先である。誰が総裁になり、首相になったとしても、解散総選挙は近い。今日現在の見通しでは、10月上旬解散、11月9日総選挙が与党内の強い意見だ。総選挙の直後、あるいは解散選挙期間中に、新党結成とか党内分裂とか、大小どの程度になるかは不明だが、必ず政界再編の嵐が吹く。その嵐を読んだ上での駆け引きが、水面下で激しさを増しているのが現実なのだ。

福田首相は就任直後から、外交音痴と陰口を叩かれ、日本の対外政策は独自路線を生み出すことができなかった。ただひたすら大国に諂い、すべて大国の言いなりになってきた。新首相が誰になるにせよ、決定までの空白期間は、またしても日本は鎖国状態に陥るわけだ。だがこの状態に衝撃を受けた国がある。北朝鮮である。



片づかぬ北朝鮮問題

核を巡る6カ国協議では、今春以降、米朝二国間の微妙な駆け引きが続いていた。6月には北朝鮮が寧辺の冷却塔を爆破、その模様をTV中継し、ギリギリの駆け引きの中で、8月11日には米国が「テロ指定国家」から正式に解除するとの推測が世界に流れていた。事実、本紙もそう考えていた次第である。だが最後の局面になって米国は、「申告した核計画の検証の具体策に合意していない」と北を切り捨て、テロ指定国家解除を行わなかった。ただし先送りしたものの、今後はいつでも解除が可能であり、「北朝鮮が検証での合意を受け入れ次第、直ちに解除に踏み切る」と暗に北朝鮮に対し、状況次第での解除をほのめかせていた。それを受けて北朝鮮が、何らかのサインを世界に投げかけ、この問題も解決に向けて前進するだろうとの見方も強まっていた。

ところが、である。テロ指定国家を解除しなかった米国に対し、北朝鮮は態度を硬化させたのだ。8月末には核施設の無能力化作業の中断を公表し、強硬姿勢に転じたうえで、「大国が小国をもてあそぶ6カ国協議は、果たして誰が必要とするのか」とし、ブッシュ米政権の対北朝鮮外交の最大の成果とされる6カ国協議からの脱退もちらつかせ、米国を恫喝し始めたのだ。

いっぽう北朝鮮は日本に対し、拉致問題の再調査を条件に、北朝鮮に対する制裁解除を求めていた。8月下旬の五輪閉幕直前に、北京の北朝鮮大使館を非公式に訪れた自民党の山崎拓も、制裁解除を前提として拉致問題再調査を要請しており、調査委設置の内諾を受けたと見られている。

8月末に本紙にもたらされた北朝鮮側からの情報によると、「9月に入って間もなく、北朝鮮側が拉致問題再調査委を設置。その委員名を公表することで、日本が制裁の一部解除に踏み切る了解が確認されている」とのことだった。制裁一部解除とは、万景峰号の入港許可と、北朝鮮公人の往来解除を意味している。

在日北朝鮮人の最大の拠り所である朝鮮総聯は、かつてはコミンフォルムの支配下にあり、旧ソ連の影響を受けていた。ソ連崩壊後、総聯の勢力が一時的に落ち、さらに対日政策、対南(対韓)政策の変更などから、総聯は存在感が薄くなり、本国における発言力も低下していた。総聯としては、態勢挽回のためにも、今回のチャンスは逃すことのできないものだった。

ご存じの通り、明日9月9日は北朝鮮の建国記念日である。しかも今年は、建国60周年であり、大祝賀祭が予定されているのだ。この記念式典には、許宗萬(総聯中央本部責任副議長)、張炳泰(朝鮮大学学長)、朴喜徳(総聯経済委委員長)等々の在日の大物がズラリと招待されている。だが、もし制裁一部解除が実行されなければ、式典に参加する北朝鮮幹部たちは「公人」であるために、二度と日本には戻れなくなってしまう。もっとも万景峰92号で訪北するわけではなく中国経由の航空便であるため、彼らの「出国履歴」を正確にトレースすることは至難の業。招待されているからといって実際に参加したかどうかをリアルタイムで知ることがきわめて難しいのは事実だ。

以上の文脈から、奇妙な点に気づかれた方がいらっしゃるだろう。だが、その奇妙な点をより明確にするために、内容を少し整理する必要がある。

北朝鮮は、米国・中国を相手に核を巡る瀬戸際外交を続けてきた。そして、ギリギリのところで「テロ国家指定解除」を受けられなかった。それでもなお、頑として米国の要請を排除し、核施設再稼働を視野に入れているとの発表を行った。そのいっぽうで日本に対し、拉致問題再調査と引き替えに制裁一部解除を切望していたのだ。8月末の時点では。

ところが9月1日に事態が急変した。福田首相が辞任すると発表したのだ。これを受けて4日夜になって、北朝鮮は、「日本の新政権の北朝鮮政策を見極めるまで、拉致問題に関する調査委員会の立ち上げを延期する」と通告してきた。福田辞任で、北朝鮮の対日政策に変更が生じた。

つまり8月末の時点までは、日本が米中などに先駆けて対北朝鮮制裁一部解除を実行することにより、6カ国協議の主導権を日本に委ねるという立場を北朝鮮が選んだと判断できたのだ。北朝鮮の態度が明確になってきた瞬間、福田は辞任してしまった。

ここで2002年(平成14年)9月17日のことを思い出していただきたい。

日本の首相として初めて平壌を訪れた小泉純一郎に対し、北朝鮮の金正日総書記は、拉致問題に関し、「特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走った」と弁明。「責任ある人々は処罰した。遺憾なことで率直におわびしたい」と語ったのだ。日本のほとんどの人々は、それを当然のことと考えたが、北朝鮮の超トップ、神様以上の存在が拉致を認め、謝罪の言葉を口にしたことは、途轍もない行動だった。この一瞬は、まさに歴史的事件だった。日朝関係は一気に良化に向かい、小泉純一郎の平壌訪問は大成功と評価されてもおかしくなかった。

ところが、その直後に日本の首相官邸で行われた記者会見で、情勢が一変した。会見に臨んだ官房長官が、北朝鮮を激烈に非難したことにより、日本のムードが「歓迎」から「非難」に変わったのだ。金正日・北朝鮮は「悪の権化」と認定され、小泉=金正日による「日朝平壌宣言」は紙屑同然、無視されるべき宣言書に貶められてしまった。

東アジアの歴史が根底から変わろうとしたとき、それを潰しにかかったのは、間違いなく官邸で留守を預かっていた官房長官のひと言だったのだ。そのときの官房長官とは、福田康夫である。



米国の思惑

北朝鮮にとって日本は「旧宗主国」である。日本の国民大衆は、過去の歴史などほとんど忘れ、北朝鮮の地政学的存在意義すら考えていないが、日本がかつて宗主国だった事実は消し去ることができない。

1965年(昭和40年)に、日韓国交正常化が実現した。

このとき、日本から韓国に、大量の経済援助が流入した。それは、単なる資金投資だけに留まらず、技術供与、人的支援、資材供与も含まれていた。

日本は韓国の旧宗主国でもあった。従って韓国の社会基盤や社会システムを初め、ありとあらゆるところに日本の影響が強く残っていた。そんな韓国に日本から大量の経済援助が入り込んだのだ。その結果、当然のことだが、韓国経済は構造的に日本経済に組み込まれてしまった。

旧宗主国の援助で経済発展を行うということは、あらゆるすべてが旧宗主国に依存するしかない体質を生みだしてしまう。何か小さな製品を一つ作るにしても、資材も技術も何もかも、旧宗主国から輸入するしかなくなってしまう。日韓貿易が、韓国が一方的に赤字だという根源的理由のひとつはこれである。

旧宗主国とは、そういうことなのだ。北朝鮮と日本が国交を正常化するということは、旧宗主国の日本が、北朝鮮経済圏の陰の支配者となることを意味している。米国にとって、それは許容できないことなのではないだろうか。

太平洋戦争勃発の理由については、いくつかの理由が挙げられている。そうしたなかで、最大の理由は、今日では満鉄(南満洲鉄道)利権だと説明されている。満鉄の利権の一部を米国に譲っていれば、米国は満洲国を認め、日米戦に発展することはなかったというものだ。事実、当時水面下でそのような交渉が進められていた資料も残されている。

かつて日中国交正常化のとき、当時の田中角栄首相が米国を差し置いて中国と国交を結び、激しい怒りをかったことがある。いま米国は間違いなく、第二の田中角栄の登場を恐れている。日朝国交正常化が軌道に乗ることだけは、何が何でも阻止したい。それが米国の強い意志なのだ。福田首相の突然の辞任の背後に、こうした思惑が働いたと考えると、福田辞任の別の意味が浮上する。

しかし正直なところ、日本にはまだまだチャンスが残されている。北朝鮮は逃げることなく日本の隣国として存在しており、米国は凋落の一途を歩んでいる。ドルは暴落し、歯止めをかけられることはない。グルジアではロシアに嘗められ、中東でも指導力を発揮できていないのが米国の現実の姿である。

米国の大統領選は11月だが、民主党オバマ候補、共和党マケイン候補の戦いは、前回同様、最後の一票までわからないほどの超激戦が予想される。その激戦こそ、米国が思想的に分裂している姿であり、沈みゆく米国の象徴でもある。次から次へと巨大なハリケーンが襲っているのも、象徴なのかもしれない。

日本は、沈みゆく米国にしがみつく必要などない。絶対にない。過去の歴史を乗り越えて、アジアの友邦と共に未来を切り拓いていく必要がある。日本と半島の間には、切っても切れない長大な歴史があり、絡み合った糸がある。

かつて『立正安国論』(文応元年=1260年)を著した日蓮は、朝鮮半島の霊峰・白頭山こそ日本の防衛線だと説いた。文禄の役(文禄元年=1592年)、慶長の役(慶長2年=1597年)と二度の朝鮮に出兵した豊臣秀吉は、白頭山ほか朝鮮半島の七霊山に、龍脈を断ち切る楔を打ち込んだと記録されている。それらの楔が、今日なお、日本と韓国、北朝鮮の関係を悪化させているのかもしれない。

だが、日本は未来永劫アジアに生きる国家なのだ。それを忘れてはならない。■

URL:http://www.gyouseinews.com/domestic/sep2008/001.html


麻生氏、議員票6割確保 1回目投票で決着濃厚 本紙調査

 福田康夫首相の後任を決める自民党総裁選(22日投開票)で、4回目の挑戦となる麻生太郎幹事長(67)=麻生派=が国会議員票(387票)のうち230票を固め、6割を確保したことが11日、産経新聞の調査で分かった。47都道府県連に各3票割り当てられた地方票(141票)でも麻生氏の優勢が伝えられており、1回目の投票で麻生氏が過半数を獲得する公算が大きくなった。他の4候補は必死の巻き返しを続けており、決選投票に持ち込めるかが焦点となる。

 調査は10、11日に各陣営や各派閥幹部、国会議員らから聞き取り取材し、独自に集計した。

 それによると、麻生氏は各派から幅広く支持を集め、国会議員票の過半数である194票を20票以上も上回った。次いで与謝野馨経済財政担当相(70)=無派閥=が50票前後を固め、小池百合子元防衛相(56)=町村派、石原伸晃元政調会長(51)=山崎派、石破茂前防衛相(51)=津島派=らも20~30票をそれぞれ固めた。20~30人はいまも態度をはっきりさせていない。

 派閥別にみると、二階派は全員、伊吹、麻生、高村各派もほぼ全員が麻生氏を支持。第3派閥の古賀派は会長の古賀誠選対委員長ら過半数が麻生氏支持に回った。津島、山崎両派でも、過半数近くが麻生氏支持を表明した。

 一方、2位の与謝野氏は、参院津島派が11日に支持を表明、古賀派でも旧谷垣派を中心に3割近くが支持している。しかし、かつて所属していた伊吹派が4日に早々と麻生氏支持を決めてしまった上、支持を期待していた衆院津島派も石破氏の出馬などで、「非麻生」の受け皿となるシナリオが崩れ、苦戦を強いられている。

 小池氏は、所属する町村派で最高顧問の森喜朗元首相が8日に麻生氏支持を表明したことを受けて半数以上が麻生氏に流れ、支持勢力は11日に表明した中川秀直元幹事長ら約20人にとどまった。石原氏も所属する山崎派の3割、石破氏も津島派の3割程度しか固められていない。

URL:http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/177757/



麻生過半数突破の勢い 地方で圧倒、地滑り

自民党総裁選は10日告示され、「大本命」の麻生太郎幹事長(67)のほか、与謝野馨経済財政担当相(70)、小池百合子元防衛相(55)、石原伸晃元政調会長(51)、石破茂前防衛相(50)の5人が出馬した。政治評論家の小林吉弥氏が、22日投開票される各候補の獲得票を予測したところ、麻生氏が過半数突破の勢いをみせ、独走しているという。自民党が“ボロ隠し総選挙”の顔として、麻生氏を指名する公算が強まっている。

■政治評論家・小林氏が票を読む

 「総裁選の焦点は、(1)次期総選挙の顔になるか(2)経済政策への支持が高いか-の2点に絞られた。これに合致する候補は麻生氏しかいない。決選投票なしで、麻生氏が1回目の投票で勝利を収める」

 選挙予測で定評のある小林氏は話す。獲得票予測は、最新の各種世論調査や党内各派閥の情勢、地方県連の動向などをもとに、小林氏が独自に分析した。

 まず先に投開票される地方票(141票)だが、小林氏は「麻生氏100票、与謝野氏11票、小池氏15票、石原氏10票、石破氏5票」とみる。麻生氏が全体の7割以上を獲得する圧勝ぶりだ。

 「地方の麻生人気は高い。景気が急速に冷え込むなか、財政出動も視野に入れた麻生氏の経済政策は受け入れられやすい。県連は3票ずつ持つが、麻生氏が地滑り的に票を集める」

 「与謝野氏の『増税容認論』はやはり敬遠される。小池氏には『反麻生』『非麻生』票がある程度集まる。石原氏は『親の七光』が目立ち、線が細い。危機的な自民党を牽引できない。石破氏は外交・安保は強いが、内政は未知数だ」

■麻生嫌い根強く…議員票は「218」

 帰趨を決める国会議員票(387票)は、どうか。小林氏は「麻生氏218票、与謝野氏96票、小池氏25票、石原氏25票、石破氏23票」と分析する。

 地方票のような大差にならない背景について、小林氏は「麻生派(20人)と伊吹派(28人)、二階派(16人)は『麻生支持』でほぼ固まっている。他派閥は麻生氏優勢だが、割れている。政策の違いもあるが、党内の『麻生嫌い』も根強いからだ。小池氏が所属する町村派(88人)は麻生支持が多いものの、与謝野、小池、石原各氏に票が流れる。石破氏が所属する津島派(70人)や、石原氏が所属する山崎派(41人)も3、4分裂状態」とみる。

■避けたい決選投票

 1回目の投票で、過半数(264票)を獲得する候補がいない場合、上位2人の決選投票となる。

 だが、小林氏は「決選投票になると党が二分した印象になる。自民党は総選挙前にそれは避けるだろう。ただ、麻生氏が絶対的権力を握るのも嫌う。地方票の開票後、絶妙な票の配分があるはずだ。キーマンは森喜朗元首相と青木幹雄元参院議員会長、古賀誠選対委員長だろう。全体で7割以上を獲得すれば圧勝だが、318票では6割程度で圧勝とはいえない」と話す。

 先月25日、夕刊フジの「総選挙 政党別獲得議席予測」で、小林氏は「福田首相で総選挙となれば、自民党は100議席減で下野する。麻生首相となっても過半数割れする」と分析した。

■舌禍飛び出し致命傷の危険性も

 福田首相による無責任極まる「政権放り投げ」後、候補者乱立となった総裁選に注目が集まり、自民党を直撃していた年金問題や後期高齢者医療制度などへの批判はやや薄らいだ。福田首相が演出したメディアジャックは成功したといえるのか。

 小林氏は「麻生、与謝野、小池の3氏による選挙戦なら、自民党にプラスだったが、石原、石破両氏が参戦し、山本一太参院議員までが出馬意欲を示したことで、総裁選が安っぽくなった。国民は『失政隠蔽のお祭り騒ぎ』『総選挙前のパフォーマンス』と冷めている。辞任表明から20日以上の長い総裁選は飽きられる可能性があるうえ、麻生氏の致命傷である舌禍が飛び出す危険性もある。計算通りにはいかない」と話している。

URL:http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/177432/
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アメリカ2008大統領選関連 09.12

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特集:共和党大会とマッケインの逆襲 1p
<今週の”The Economist”誌から>
”Bring back the real McCain” 「真のマッケインに戻れ」 8p
<From the Editor> 共和党「王朝」の法則 9p
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■特集:共和党大会とマッケインの逆襲

先週に引き続き、米大統領選挙の党大会についての報告です。今週はミネソタ州セントポールで共和党大会が行われました。先週号でも指摘した通り、2つの党大会が「2週連続」で行われることは、長い歴史の中でも非常にめずらしいことであり、「後攻め」に多少の利があるはず。そこでマッケイン候補が繰り出してきたのは、「44歳の女性アラスカ州知事を副大統領候補に指名する」という大胆な勝負手でした。
大抜擢人事の効果は抜群で、オバマによる歴史的な受諾演説の記憶は速やかに薄れ、選挙戦の関心は一気に彼女に集中しました。とはいえ、これは危険なギャンブルであることも否定できません。逆襲の成否は、サラ・ペイリンの未知数の能力に懸かっています。わずか1 週間で、政治が劇的に変化した様子を追いかけてみました。

●流れが変わった1 週間
2008 年米大統領選挙は息の長い戦いである。これまで多くのスターが登場しては消えて行った。2007 年夏の時点では、「共和党はジュリアーニ、民主党はヒラリーのニューヨーク決戦」が本命と予想されていた。今年になって予備選挙が始まってからも、フレッド・トンプソン、マイク・ハッカビーなどの「希望の星」が、浮かんでは消えていった。
しかし本選挙を2 ヵ月後に控えたタイミングで、まったく新しいスターが誕生した。8月29 日にマッケインがみずからのRunning Mate に指名するまで、米国民はサラ・ペイリン知事(アラスカ州)をほとんど知らなかったはずである。しかしわずか1週間で、彼女は米国政治のメインステージに立ち、今や勝敗の鍵を握る存在となってしまった。

下記のグラフは、intrade.com における「マッケイン株」の値動きである。同株はネット上で、「マッケインが当選すれば1 ドル」になる前提で取引されており、最近は40 セント前後で推移している。これは「勝率40%」を意味しているといってよいだろう。
マッケイン株は、28 日のオバマの名演説の後に下落し、29 日の副大統領候補発表で上昇した。しかるに週末に、ペイリンの家族をめぐるスキャンダルが伝わると、再び40セントを割り込んだ。そして受諾演説を行った翌日には再び反発している。

数字上は、マッケインの当選確率が上昇したわけではない。ただし投票日の2ヶ月前になって、メディアの注目と有権者の関心を初めて共和党側が掴んだ意味は大きい。2008年米大統領選挙では、常に民主党側にスポットライトが当たっていた。オバマ対ヒラリーが歴史に残る激戦であったことも手伝って、資金量でも情報発信量でも一貫して民主党が共和党を凌駕してきた。その流れが初めて変わったのである。
客観情勢を考えれば、評判の悪いブッシュ政権2期8年の後で、「よくまあ、共和党がここまで盛り返したものだ」と感心すべきなのかもしれない。戦後の米国政治において、2期8 年の政権の後で反対党から大統領が出なかったのは1988 年の1 回限りである。おそらく2008 年大統領選挙は、僅差の勝負になるはずである(本誌はずっとそう言い続けて来たが)。おそらく、「投票日前に行われる4 回のテレビ討論会において、失言があった方が負ける」といったミクロの戦いであろう。特にバイデン対ペイリンという副大統領候補の討論会も、大いに楽しみになったといえるのではないだろうか。


●ペイリン指名で何が変わったか
具体的な「ペイリン効果」については、以下の3 点を指摘することができる。


(1) オバマがメディアから消えた:例えば9 月1 日には、オバマはハリケーン・グスタフに関する感動的なスピーチを行っているのだが、それはほとんど報道されていない。8 月28 日の歴史的な受諾演説も急速に印象が薄れつつある。

――8 万人のスタジアムを満員にした民主党に比べ、もともと共和党大会は盛り上がりを欠いていた。自分の選挙が危ない議員は欠席が相次いだし、会場では空席も目立っていた。都合よくハリケーン・グスタフが来たから、”Country First”の美名の下で規模を縮小したというのが正直なところである。

――しかも、共和党大会には目玉商品がなかった。ところがペイリンの家族をめぐる問題が直前に浮上して、「どんな演説をするのか」「彼女の娘とそのボーイフレンドの顔を一目見てみたい」などと、副大統領候補受諾演説が一種のキラー・コンテンツとなった。これらは望外の幸運と言えるだろう。


(2) 社会問題に再び注目が集まる:ペイリンの登場によって、今まで選挙戦で語られてこなかった社会問題に火が点いた。彼女は「人工中絶反対」「NRA の終身会員」「石油掘削に賛成」という典型的な保守派であり、共和党の保守基盤(Base)には強くアピールする。このことがリベラル派の反感を買い、一種の"Culture Wars"に発展しつつある。
しかも、ペイリン家の問題は、「中絶の是非」「親子関係」「性教育」「男女共同参画」
「障害者」などの微妙な問題を一気にぶちまけることになった。

――2008 年の米国は2004 年とは違い、安全保障問題(イラク、イラン、グルジア、北朝鮮、その他)と、経済問題(サブプライム、石油高、医療保険、その他)があまりにも深刻なので、社会問題には手が回らないと思われていた。ところが政治とは恐ろしいもので、ほんの1 週間で雰囲気が変わってしまった。

――この流れは共和党側にとって「願ったりかなったり」の展開であろう。おそらくペイリンは、リベラル派の女性に嫌われるタイプである(ミスコンテストにも出場している!)。これでリベラル派が強硬に反発すると、それによって保守派が団結する、あるいは無党派層の同情が彼女に集まる可能性がある。

――同時に、争点が経済や安全保障から外れることも、共和党は大歓迎であろう。
TIMEの記者がブログで「19ヶ月もオバマを取材してきて、こんなに感動したことはない」と述べているのだが、誌面には反映されなかったようだ。
http://www.time-blog.com/swampland/2008/09/obama_on_gustav.html
2004年の米大統領選で本誌が指摘した「憤兵は敗れる」の再現となってしまう。

(3) マッケインへの疑念:共和党のマイナス面としては、「自分が72 歳と高齢なのに、経験不足の候補者を副大統領に選んで大丈夫なのか」「準備不足のまま選んだ頼りない候補者ではないのか」というマッケインの判断力への疑問が生じたことが指摘できる。この点は、今後、民主党側からも厳しく追及されるだろう。

――そもそも、マッケイン自身は安全保障問題に関心が強く、社会政策では中道寄りだったはずである。いくら保守基盤の機嫌をとるためとはいえ、なぜ極端に保守的な政治家を選んでしまったのか。これでは「無党派層を惹きつけられる」という彼の特性が失われるかもしれない。

●逆転勝利のための条件とは
当初、副大統領候補のショートリストに名前が上がっていたのは、「本命」:ミット・ロムニー元知事(マサチューセッツ州)、「対抗」:ティム・ポーレンティ知事(ミネソタ州)、「穴馬」:ロブ・ポートマン下院議員(オハイオ州)などであった。
とはいえ、普通の選択をしていたのでは、勝ち目は薄い。マッケインはそのように判断したのであろう。勝敗のシミュレーションを行う場合、全国レベルの世論調査はあまり意味がなく、州ごとの勝敗を予想する必要がある。以下はその一例であり、青が民主党優位、赤が共和党優位である。計算してみると、オバマが278 票で勝ち、ということになる。

○Electoral College 方式の試算
オバマ:278、マッケイン:247、優劣不明:13(=VA)
http://www.electoral-vote.com/index.htmlで毎日の変化が表示されている。上記は8月29日時点のもの。実はこの現状は、2004 年選挙でブッシュがケリーを破ったときの色分けとそれほど変わ
っていない。2004 年はブッシュ286、ケリー252 となったが、4 年前と比べると、4 つのレッド州がブルーに変わり、バージニア州が白(優劣不明)となっただけである。従ってマッケインとしては、まずバージニア州の確保を目指した上で、さらにどこかの州で10 票以上を上積みする必要がある。ところが、奪われた4 州の奪還は容易ではない。

* アイオワ州(IA=7):年初のアイオワ党員集会においてオバマが劇的な勝利を収めており、オバマ人気が定着している。
* コロラド州(CO=9):民主党大会が行われたばかり。オバマ受諾演説のために用意されたデンバーの8 万人分の座席のうち、半数は地元住民に配られている。
* ニューメキシコ(NM=5)とネバダ州(NV=5):ともにヒスパニック人口が急増している。彼らはヒラリー支持が多く、基本的に民主党贔屓である。

それではほかに狙えそうな州はないか。定番の激戦地、ペンシルバニア州(PA=21)は、今回はバイデンの出身地ということもあって難しい。ニューハンプシャー州(NH=4)は小さくて大勢に影響がない。となると、ミシガン州(MI=17)、ウィスコンシン州(WI=10)、ミネソタ州(MN=10)辺りをひっくり返す必要がある……。
それと同時に、共和党は2000 年の激戦地フロリダ州(FL=27)、2004 年の激戦地オハイオ州(OH=20)を死守しなければならない。こうして計算してみると、マッケインが8 月下旬の時点で「尋常なことでは勝ち目がない」と腹をくくった理由が見えてくる。

●勝負手発動の狙いは何か
サラ・ペイリンの副大統領指名に対し、当初は「ヒラリーを支持していた1800 万人を切り崩すのが狙い」という解説をしばしば耳にした。
筆者は、この解釈は疑わしいと思っている。ヒラリー支持者たちは総じてリベラルであり、男性中心社会に対するルサンチマンは有していても、「女性だから選ばれた」保守的な副大統領を支持するとは考えにくい。また、都会的で政策通のヒラリーと、田舎育ちでアウトサイダーのペイリンとではタイプが違い過ぎる。おそらく、彼女たちは迷った挙句に最後は民主党への忠誠心を優先するのではないか。そもそも女性の投票行動は、男性に比べて義理堅いし、変わりにくいのである。
むしろ焦点となってくるのは男性票の動向であろう。予備選段階で、オバマはオハイオ州、ペンシルバニア州、ウェストバージニア州などで苦戦していた。これにミシガン州も加えて、東部から中西部にかけての製造業州は、文字通りの決戦場となるはずだ。そしてこれらの州のブルーカラーの白人男性は、オバマよりもヒラリーを支持していた。彼らの中に、「黒人の指導者」に対する心理的な抵抗があることは想像に難くない。

だとすれば、共和党のチケットに「魅力的な女性」が入ってくることの意味は小さくない。民主党側は、ペンシルバニア州のWorking Class 出身のバイデンを副大統領に指名してオバマの弱点を補強しているが、それとはまったく逆方向の狙いである。結果はどう出るか分からないものの、男性票は「浮気症」だという点にチャンスがありそうだ。
もうひとつの解釈は、「マッケインは共和党の保守基盤(Base)の支持を得るための見返り」というもので、これはある程度、当たっていよう。保守派の中からは、「これで安心してマッケインを応援できる」という声もあり、実際に発表の直後にはマッケイン陣営への募金が殺到した。とはいえ、「真面目に考えた結論とは思えない」と失望を表明する向きもけっして少なくはない。

そもそも共和党は、大統領候補には順当な人物を選ぶ一方で、副大統領候補は縦横無尽かつ大胆に選ぶ傾向がある。(これは民主党とは正反対の伝統といえる)。もっとも有名なのは、ブッシュ父大統領の副大統領であったダン・クエールであろう。「小学校の授業参観に行って、子供の前でポテトのつづりを間違えた」とか、「大統領が暗殺されたら、シークレットサービスはすぐにクエールを射殺するように」というジョークがあったとか、エピソードには事欠かない人物である。それでもクエールは、党内右派の覚えがめでたい若き共和党のスターだったので、ブッシュ父は最期まで彼を切れなかった。
今回も早速、ペイリンをネタにしたジョークはあちこちで誕生している。副大統領候補同士の討論会の席上で、バイデン上院議員が言った。

「もしもロシアが再びグルジア(Georgia)に侵攻したら、あなたはどうするのか?」

ペイリン知事は答えた。

「ただちにエアフォースワンに乗って、アトランタに飛びます!」

もっともペイリンの場合は、9 月3 日の副大統領受諾演説を見る限り、乾坤一擲の舞台を立派に務めてみせたし、度胸もすわっていた。おそらくクエールよりは、「伸びしろ」のある人物なのではないだろうか。
ただし、危なっかしい副大統領候補を選んだことにより、マッケインがオバマを「経験不足」とこきおろす勢いは、いささか鈍ることになるだろう。ちょうど、オバマがバイデンを選んだことで、マッケインを「高齢過ぎる」と攻めにくくなったのと同じ構図である。今回のチケットは、民主党も共和党も「経験者と未経験者」の組み合わせとなった。あらためて、テレビ討論会でのパフォーマンスがモノを言いそうだ。ただしこういうとき、意外と痛い目を見るのは「経験者」の側なのである。
例えばネオコン論客のデイビッド・フラムは、みずからのブログの中で「これが本当にCountry Firstの選択なのか」と疑問を呈している(David Frum’s Diary on National Review Online 8月29日付け)。
http://frum.nationalreview.com/post/?q=M2VhOWE0N2VkOWI3MDdlODRlZWE4ODljMDc2NjliZDk=

●あらためて考える「人間・マッケイン」
将棋の世界では、「形勢不明のときは、相手がもっとも嫌がる手を指せ」(大山理論)とか、あるいは「普通に指していては負けそうなときは、敢えて最善手を避ける」(米長理論)といった高度な考え方がある。「勝率4 割」と目されるマッケインとしては、まさにそういう挙に出るべきタイミングであったといえるだろう。
「マッケイン=ペイリン」というチケットは、最悪、ボロ負けに至る可能性もあるが、これで一気に優劣が不明になったと見ることも出来る。こういうリスクの高い、物議をかもすような決定を行ってくるあたり、マッケインはやはり「変わり者」(Maverick)であり、「勝負師」(Gambler)タイプなのであろう。
言うまでもなく、「軍人・マッケイン」はベトナムで5 年半の捕虜生活に耐えた歴戦の勇者である。いかなる政敵といえども、「彼の愛国心を疑うことだけは不可能」と言われている。そして「政治家・マッケイン」は、党の保守基盤を激怒させるような政策を次々に手がけてきた。選挙資金改革、健全財政主義、気候変動への取り組み、そして寛大な移民政策などだ。今回の選挙戦においても、イラクへの増派支持、自由貿易、石油掘削提案など、何度もリスクの高い論陣を張って勝ち残ってきた。この手の政治的な勇敢さと旗幟鮮明さは、相手候補であるオバマにはない魅力といえる。
こうした経歴から、マッケインはしばしば「信念の人」(a man of conviction)とみなされてきた。とはいえ、今回の大胆な決定を見ても分かるとおり、自らの主義主張に対するこだわりはそれほど強くない。「何を」については頑固であるが、「いかに」については意外なくらい柔軟だ。保守基盤と妥協することも痛痒を感じていないし、議会でも民主党との間で超党派の法案をまとめあげることを得意としてきた。
むしろ、彼は「美学の人」(a man of honor)と考える方が当たっているのだろう。つくづく小泉純一郎に似ていると思うのだが、マッケインの行動基準は「みずからの名誉を守れるかどうか」に尽きている。9 月8 日号のTIME 誌が、”Honor”という表題でマッケイン特集を行っている。彼はかつて、Keating Five という収賄事件に連座したことがあり、そのことを「ベトナムの捕虜時代よりもつらかった」と振り返っている。後年、選挙資金問題に取り組むことになったのは、このときのことを悔やんだからであるという。
また、東京財団の「現代アメリカ研究プロジェクト」の中で、渡辺将人氏が興味深い報告を行っている。保守派の中でマッケインは評判が悪いが、人格的には信頼されている。なぜなら「彼はブシドー(武士道)の男だから」。
これがあるからこそ、共和党予備選で生き残ることができたのだという。不人気な共和党にとって、マッケインが望みを託せる唯一の希望の星となっている点は、まことに皮肉としか言いようがない。
アメリカNOW17号 マケイン候補に対する保守メディアの批判と「武士道」的評価 (2008年2月20日 渡辺将人)http://www.tkfd.or.jp/research/sub1.php?id=87


<今週の”The Economist”誌から>
"Bring back the real McCain” Cover story
「真のマッケインに戻れ」 August 28th 2008

* 今週は共和党大会。先週に引き続き、候補者への助言が行われています。The Economist誌は、マッケインに対して「素に帰れ」とのラブコールを送っています。

<要約>
共和党は今週、信じられないほど良い状態で党大会を迎える。国の現状に満足している人がほとんどいないのに、マッケインはオバマと僅差である。災厄に満ちたブッシュ8 年の治世の後も、共和党政権が続くかもしれない。ひとつにはデンバーで名演説をものしたオバマの弱点のせいだ。世界は荒れ放題だが外交経験がなく、浮いているように見えてしまう。そしてそれ以上に、ジョン・マッケインは共和党にとって唯一の希望の星である。
彼の愛国心は折り紙つき。党の欠点(例えば移民法と環境問題)に対する反対の歴史は、無党派層を大いに惹きつけるものがある。本誌は特に、彼の断固たる自由貿易への支持とイラク問題へのゆるぎない姿勢を買う。何より、オバマが見せたことのないような政治的勇敢さを持っている。彼なら大統領として、民主党議会と超党派の取引が可能だろう。
マッケインが抱える問題その1 は72 歳という年齢で、2 期目のレーガンを除けば就任時点で最長老の大統領となる。次なる障害は短気さだが、選挙戦中は抑制しているようだ。
3 番目は彼が戦争好きだと思われていることだ。イラン爆撃を怖れず、ロシアに対決姿勢をとり、古くからフセイン排除の論陣を張っていた。これは考え過ぎで、統幕議長や並み居る顧問たちが反対する中で爆撃はしない。そういう誤解は解かなければならない。
党大会以降の更なる懸念とは、彼が当選を目指すために信念を曲げてしまうことだ。かつてはよく多国間主義を語っていたが、選挙戦中にタカ派に流れやすくなった。例えば民主主義国だけで第2 国連を作れというアイデアは、無用な対立を生むだけである。
より問題なのは内政面である。マッケインは彼を信用していない保守派の支持を必要としているが、そのことによって無党派層の支持を失ってしまうかもしれない。
マッケインは小さな政府、健全財政の信奉者であり、保守派の妊娠中絶問題への関心は薄かった。ところがここへ来て、減税を提案する一方で宗教右派に歩み寄っている。「ガソリン税免除」のようなポピュリズムも口にしている。これらが党内右派を喜ばせるだけのテクニックなら、また消えるかもしれないが、それにしてもギャンブル過ぎないか。
投票日まであと2 ヶ月、まだ時間はある。中絶や同性愛結婚で福音派に歩み寄るよりも、税制に時間を使うべきだ。昔のマッケインはブッシュ減税に噛み付いたものだ。今ではそれを恒久化するばかりか、遺産税をなくそうとさえしている。企業減税も提案しているが、中間層にとっての利益は少ない。それでは財政赤字が拡大するばかりである。
タカ派の外交、無責任な減税、宗教への言及。これでは民主党がレッテルを貼るとおり、ブッシュの3 期目のようではないか。本紙はマッケインの1 期目を希望する。


<From the Editor> 共和党「王朝」の法則
クリントンの選挙参謀を務めたディック・モリスの回顧録『オーバル・オフィス』(フジテレビ出版)の中に、こんなエピソードが出てきます。
1996 年の大統領選挙で、クリントンがもっとも恐れた相手は元テネシー州知事のラマー・アレクザンダーでした。知名度は高くないけれども、クリントンにそっくりなタイプなので、2 人が勝負していたら面白いことになっただろう。恐れるクリントンに向かって、選挙参謀のディック・モリスは断言します。「心配はいらない。共和党は大統領候補を選ぶときに正統性を重んじる。かならずドール上院議員を選んでくる」。モリスはもともと共和党系のコンサルタントだったから、相手の手の内が読めていたのである。
あれよあれよという間に、意外な人物が全米の脚光をあびて大統領候補になる、というのは民主党の専売特許です。「州知事を1 期やっただけの、ピーナツ畑の農夫さん」(ジミー・カーター)を大統領候補にしたこともあります。上院1 期目のオバマを候補者に選んでしまった今回も、その大胆さにおいては相当なものと言っていいでしょう。
対照的に、共和党からは意外な候補者はめったに出てきません。1964 年のバリー・ゴールドウォーター上院議員を除けば、ほとんどが順当な候補者です。

モリスは、共和党の大統領候補選びの法則を次のように説明しています。
(1) 予備選で2 人が激戦となったときは、勝った側が大統領選に挑む。
(2) それで失敗した場合は、2 位だった候補者が次の機会に挑戦する。

こんな単純な法則で、ほとんどの説明が付いてしまうのです。1976 年は、フォードとレーガンが対立した。フォードが大統領選に挑戦して敗北。だから1980 年はレーガン。そのレーガンが2 期務めて、1988 年はブッシュ父とドールが対立する。ブッシュが当選。そして1992 年にクリントンに敗れて再選に失敗。
ということは、1996 年はドールが出てくることになる。モリスの読み通り、ドールが順当に候補者の座を射止めましたが、クリントンに返り討ちに遭ってしまう。

2000 年選挙は、ブッシュとマッケインの争いでした。ブッシュが勝って2 期務めた。ということは、2008 年の「正統性」はマッケインにあります。実際のマッケインは大逆転からチャンスを拾ったし、党内では異端視されているけれども、過去のパターンからいえば選ばれることには何の不思議もないのです。
その証拠に、普通であれば72 歳という高齢がネックになりそうなものなのに、党内ではそういう反論が出ない。なんとなれば、1980 年のレーガンは69 歳、1996 年のドールは72 歳。正統性を持つ候補者に対して、「お前は駄目だ」とは言えないのである。

さて、マッケインの挑戦が失敗した場合はどうなるでしょう。2008 年に2 位だったのはミット・ロムニーでした。ということは、2012 年の正統性はロムニーにあり。ずいぶん先の話になってしまいますが、覚えておきましょう。(そのときまで本誌が続いているかどうかは、ちょっと怪しいですけれども)


URL:http://tameike.net/pdfs8/tame399.PDF



アメリカNOW17号 マケイン候補に対する保守メディアの批判と「武士道」的評価 (2008年2月20日 渡辺将人)
TOP政策研究【プロジェクト一覧】現代アメリカ研究プロジェクトアメリカNOW17号 マケイン候補に対する保守メディアの批判と「武士道」的評価 (2008年2月20日 渡辺将人)


【はじめに】
共和党はマケイン候補がスーパーチューズデーで、ニューヨーク、ニュージャージー、カリフォルニアなどの大票田を手に入れ大勝利をおさめた。事実上の独走態勢である。ハッカビーにもマケイン一本化への「反抗」票が入っているが、追い上げは厳しい情勢だ。しかし、マケインに対しては共和党内部で保守メディアを中心に批判が続いている。マケインをめぐる情勢を関係者の声を拾いながら読み解いてみたい。


【共和党保守派にとっての「マケインの大罪」】
一般に共和党内の保守派でマケインに対する批判は以下のようなものに代表される。1:「マケイン=ファインゴールド」選挙資金改革法、2:ヴェトナム軍人仲間の絆によるケリー民主党上院議員との連帯、3:減税への不熱心さ、4:宗教保守派との対立、5:テディ・ケネディ民主党上院議員と組んでの移民政策の寛大化、6:気候変動問題への前向きな取り組み。これ以外にも個別には山ほどあるが、代表的なものをあげただけでも、いかにマケインが中道的で党派にこだわらない(共和党の足並みを必要とあらば無視する)人物かわかる。問題の根の深さは、マケインが経済保守と宗教社会保守の双方を敵にまわしていることである。ハッカビーを取り込んで宗教保守を味方につければそれで「解決」というわけにはいかない。経済保守についても、そのまま放置すれば、本選当日の棄権行為として「反抗票」は表面化する。

経済保守のあいだでマケインの評判が悪いのは、ラス・ファインゴールド民主党議員との政治資金規正をめぐる動きに「加担」したとされる件である。ある共和党系企業弁護士は「マケインはきっとあのとき頭がおかしかったに違いない」と筆者に語る。あの忌まわしいマケインの過ちをもう話題にもしたくないといった風で、「過労で頭がおかしくなっていたのだ」ということにして「赦す」ことにしているのだという。多かれ少なかれ経済保守のマケイン観は常にこの「マケイン=ファインゴールド政治資金規正法の原罪」に戻る。また、宗教保守もマケインの宗教保守派を重視しないリベラルな発言にはわだかまりを抱えており、ギャリー・バウアーらがマケインに敵対的な発言をしている。ロムニーもマケインのリベラル性批判を軸にキャンペーンを展開して一定の支持を得てきた。また共和党にあって不法移民に極端に甘かった事実は負の要素として消せないと指摘する声も強い。


【保守メディアの激しいマケイン批判と冷静な共和党視聴者】
それを煽っているのが、保守メディアである。ラジオトークショーのホストのラッシュ・リンボーは「マケインが指名をとれば共和党は破滅する」と語り、保守コメンテーターのアン・コールターは「マケインに入れるぐらいならヒラリーに入れる」と叫ぶ。FOX Newsのシーン・ハニティは「マケインは保守ではない。レーガン保守でもない」と顔をしかめる。もちろんこうした保守メディアの声は商業メディアの「エンターテイメント」性ゆえだという冷静な見方も党内に多い。ラッシュ・リンボーがラジオに登場して以来のファンを自認する共和党員に話をきいた。「ラッシュは大エンターテイナー。大好きだ。しかし、彼の発言を聞いて、なんでもかんでもディトー(右に同じ)と叫んでそのまま投票行動に反映させるほど共和党支持者も馬鹿ではない。ラッシュは、ラッシュに影響力があると信じている人にしか影響力がない。そもそもラッシュが使う『ディトー"ditto"』という合い言葉は『リベラルな主流メディアへの対抗意見を盛り上げようぜ』という合い言葉であり、『ラッシュの意見に無条件賛成です』というよくある解釈は、初級リスナーがおかす最大の誤解。その程度の理解では、まだまだラッシュのファンとはいえない。熱狂的保守リスナーにはラッシュ批判も意外と多いし、彼の意見もよく揺れる。そもそも今回の大統領選でラッシュはハッカビーにもきわめて批判的だった」。


【民主党の政権奪還阻止が優先】
さて、ここで注目したいのは、こうしたマケインへの保守メディアの批判の嵐にもかかわらず、マケインが予備選の票では圧倒的に共和党内の支持をかためている現実である。序盤のマケインの優勢は、保守票とくに宗教保守がロムニーとハッカビーという、信仰心に訴える候補者の複数乱立で票が割れてしまったことに助けられた面が少なくない。中道票がジュリアーニの失速でマケインに早期に収斂したのに対して、ロムニーの撤退まで、社会保守票はロムニーとハッカビーで票を食い合っていた。事実、ロムニー撤退後のハッカビーは社会保守票を一本化吸収し、ルイジアナとカンザスで見事勝利している。しかし、「社会保守」候補がハッカビーに一本化されたいまでも、なおマケインの勢いは続いている。その背後にある理由として共和党関係者の間で語られているのが、共和党選挙民が「民主党候補との対決を現実に見据えはじめた」という「本選ファクター」である。


【民主党旋風がマケイン一本化を加速させたか】
「ブッシュ政権が2期続き、イラク問題をめぐる厳しい社会論調から、次の大統領選挙は民主党なのではないかという漠然とした不安が共和党内に穏健派、保守派にかかわらず、広がっている」とある共和党員は語る。その象徴がオバマ旋風と、ヒラリーとオバマの激戦による民主党予備選の盛り上がりである。強力な民主党候補と本選で対峙して共和党がホワイトハウスを維持するには、経験豊富で共和党をひろくまとめられる可能性のマケインに「現実的判断」として支持せざるを得なくなっている、という論である。「もし民主党の候補陣がさして魅力的でないか、民主党の予備選が低調で、民主党員の関心や投票率も低率にとどまっていたら、ここまでマケイン1本化が急速にまとまっていたかわからない。共和党選挙民は各自の政策信念を大切に投票し、保守色の薄いマケインはもっと苦戦したはず」という。まさに、オバマの登場とオバマとヒラリーの近年まれにみる民主党予備選の激戦の盛り上がりが、皮肉にも共和党の結束を促してしまったという見立てである。


【「武士道」の男マケイン】
アイオワ党員集会ではハッカビーを熱烈支持して投票しながら、今ではマケインを首位として追認しているアイオワ共和党のある社会保守派の委員の次の発言に注目したい。「マケインは武士道(ブシドウ)の男だ。党員集会ではハッカビーに入れたが、個人的にはマケインの人格は評価している。ブシドウを持っているからだ」。「武士道」をはたして正しく理解しているのかはともかくとして、言わんとしたいことはよくわかる。マケインが「武士道の男」とは一見陳腐ながら面白い見方だ。このマケインの「ブシドウ性」が保守派を納得させる1つのキーワードになっているとこの委員は言う。マケインが「武士道(ブシドウ)」というネーミングで語られているのは、日本人としては興味深いが、共和党員がマケインをどう見ているかの比喩としては非常にわかりやすい。政策面では保守性がなさすぎ「一匹狼の変わり者」(マーヴェリック)の「問題児」だが、人間としては「ブシドウ」を強く持っていて信頼できる男で、アメリカを任せられるというわけである。

まさに退役軍人(ベテラン)受けする「人格優先」評価である。逆にいえば、「人格面」を最大限評価しないかぎり、「政治姿勢」では共和党をまとめきれないという意味でもある。マケインの退役軍人人気は絶大なものがある。演説会場で自分の背中を差し出しマケインに「背中にサインを書いてくれ」とお願いする退役軍人まで発生している。まるでロックスターのコンサートである。マケインも喜んでマジックを手に取り、背中に力一杯サインを書く。その退役軍人は深い敬意と感謝を示す。政策のリベラルさをつい忘れさせる、そういう少し不思議な、「リーダーとしての信頼性」に巻き込まれる空気がたしかにマケインの周囲には流れている。はたして「武士道(ブシドウ)」で共和党をまとめきれるか注目である。それにしても「津波(ツナミ)チューズデー」といい、今回の選挙戦では妙な「カタカナ日本語」が現地で飛び交う。


【保守メディアの党内「外圧」としての役割】
保守メディアは共和党選挙民が最終的にマケインに一本化することを承知の上で、マケインの政策を保守的に変えさせる「外圧」役をあえてかって出ているという理解も共和党内に浸透している。どうせ一般選挙民はマケインに収斂するのであれば、せめて保守メディアぐらいはマケインの針があまりに中道にむかないよう、「教育」のためのシグナルを送り続ける必要があるという、共和党選挙民の現実の投票行動との「役割分担」である。そのため保守メディアのマケイン叩きの激烈さと、現実のマケインの堅調な優勢が乖離した奇妙な展開が続いている。選挙民もそのことを知っているので、コールターやリンボーがいくらテレビやラジオで吠えようと彼らにそのまま同調して反マケインに完全にまわるわけではない。こうした共和党内「外圧」は、当然マケインの副大統領候補選びも見据えたものだ。ハッカビーの最終局面での動向をにらみながら、しばらくは党内のこうした「役割分担」が続きそうだ。

以上

■ 渡辺将人: 東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、米コロンビア大学フェロー、元テレビ東京政治部記者


URL:http://www.tkfd.or.jp/research/sub1.php?id=87







致命的なペイリンのパスポート問題 ― 2008/09/07 11:37


日本の新聞やテレビを見ていると、サラ・ペイリン人気がすごいと思っちゃいますよね。

マケイン指名演説視聴者数がオバマを上回ったとか、9月5日に発表されたラスムセンの世論調査では、両党正副大統領候補の中でペイリンの好感度がトップになったことを取り上げているメディアさんが多いですからね。

しかし、ラスムセンの肝心な世論調査詳細を見ると、8月27日にマケインが一時的に1ポイントリードしたものの、それ以後はまたオバマが巻き返しています。

ラスムセン以外の世論調査結果を見ても、拮抗しているとはいえオバマ優勢を示している。現時点ではまだペイリン人気が支持率に反映されていないのです。

こうした中でこんな記事がありました(苦笑)

▼引用開始
SNSに「米副大統領候補」乱立? ペイリン氏に対抗して「外交経験」を主張
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/it/2514143/3291856

【9月5日 AFP】米ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)大手フェースブック(Facebook)内で、自身の豊富な「外交経験」を理由に、米大統領選挙の副大統領候補への「立候補」が相次いでいる。

 発端は前週、米大統領選で共和党の副大統領候補に無名のサラ・ペイリン(Sarah Palin)アラスカ(Alaska)州知事が起用されたこと。直ちにフェースブック内には、「I have more foreign policy experience than Sarah Palin(わたしにはサラ・ペイリンより外交経験がある)」と題されたグループが立ち上げられた。

「僕の家はギリシャ人一家の上の階で、エジプト人一家の隣だ。つまりサラ・ペイリンより(副大統領になる)資格があるってことだ」(ニューヨーク在住の男性)

「パリに旅行するためにフランス語のフレーズを幾つか覚えたよ。ペイリン氏よりはるかに外交経験があるんじゃないかな」(シカゴ在住の男性)

「最近、中華料理を食べたんだ。それで米中外交のエキスパートになったよ」(バーモント州在住の男性)

 グループを立ち上げたのは、ワシントン大学(University of Washington)学生のティモシー・ゴイダー(Timothy Goyder)さん。登録者数は、米東部時間で4日午後までに1万7000人を突破し、世界各国から10分に100人の割合で新規の登録がある。

 中には、「台湾出身だけど副大統領になれるかな?」と書き込む高校生や、米レストラン・チェーン「アイホップ(IHOP、International House of Pancakes)」の店名の「インターナショナル」に引っかけて、このレストランで何回食事をした経験があるかを「外交経験」として主張する人たちまでいる。

 このグループに掲載されたメッセージによると、ペイリン氏は2007年にパスポートを取得したばかりで、これまで訪れた外国は3か国に過ぎないという。

 ペイリン氏の外交経験不足には批判が集中しており、共和党のある有力議員が擁護しようとして「(ペイリン氏が知事を務める)アラスカ州は、カナダと国境を接し、狭いベーリング海峡(Bering Straits)をはさんで目と鼻の先にロシアがある」などと苦しい説明をする場面もあった。ベーリング海峡は凍結すると、シベリア(Siberia)まで歩いて渡れることもあるが、この議員もそこまでは述べていない。(c)AFP
▲引用終了

ペイリンが副大統領候補になれるぐらいだったら、「おれもなれる。あたしだってなれるわ」と茶化しているようです。

まるでどこかの国の乱立総裁選を見ているようですね。

この記事で注目すべきはペイリンのパスポート問題。

8月30日のニューヨーク・タイムズは、ペイリンが初めてパスポートを取得したのは2007年7月。クエート駐留のアラスカ州兵を訪問し、その足でドイツを訪ねたと報じています。

これに対して9月4日のボストン・グローブは、最初のパスポート取得は2006年。訪れた国はイラク、クエート、ドイツ、アイルランドの4カ国と報じています。

いずれにせよ、ペイリンの外交経験も安全保障経験も無いに等しい。

しかも、情報が混乱する中にあって、「本当にペイリンはパスポートを持っているのか?」とか、「持ってるんだったら見せてよ」とか、「パスポートにスタンプはいくつあるんだ?」などといういじわるな声がネット上で飛び交っています(汗)

今民主党はこの問題を徹底的に調べているはず。

そりゃそうですよ。これまでマケインは外交・安全保障面でのオバマの経験不足を相当批判してきましたからね。

9月26日から始まる重要な討論会。ここぞとばかりにオバマはペイリンの経験不足を追及してくるでしょう。しかもマケインはオバマの経験不足批判を先に仕掛けることはできない。マケイン劣勢が目に見えています。

冷静に考えてみましょう。マケインは今年72歳。何かあったときにペイリンに委せるつもりなのか。米露新冷戦ともいえる状況の中で、米国はもとより西側すべての国が大きな不安を抱えてしまうことになりますよ。

私個人はどちらが勝ってもいいのですw。それでも日本のことを考えるとマケイン政権がいいだろうと思ってきましたが、もはや難しいと判断しつつあります。(ここに貼り付けた画像をクリックし、2004年の大統領選と比較してみて下さい。)

マケイン勝利を見込んでいた日本企業さんも慎重に対応すべき時期が来ていると思いますよ。

とはいえ、あまりのアホらしさに有権者がしらける。投票率がガクンと落ち込む。そして、宗教票パワーが炸裂というマケイン逆転勝利のシナリオは残されています。


<関連記事>
Daily Presidential Tracking Poll
http://www.rasmussenreports.com/public_content/politics/election_20082/2008_presidential_election/daily_presidential_tracking_poll
General Election Match-Up History
http://www.rasmussenreports.com/public_content/politics/election_20082/2008_presidential_election/general_election_match_up_history
RealClearPolitics - Election 2008 - General Election McCain vs_ Obama
http://www.realclearpolitics.com/epolls/2008/president/us/general_election_mccain_vs_obama-225.html

McCain Chooses Palin as Running Mate
http://www.nytimes.com/2008/08/30/us/politics/30veep.html
Record shows little foreign experience
http://www.boston.com/news/nation/articles/2008/09/04/record_shows_little_foreign_experience?mode=PF
Democrats search for evidence of Sarah Palin's inexperience
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/us_and_americas/us_elections/article4656757.ece


URL:http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2008/09/07/3749177

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2008自民党総裁選関連 09.12

麻生氏、議員票6割確保 1回目投票で決着濃厚 本紙調査

 福田康夫首相の後任を決める自民党総裁選(22日投開票)で、4回目の挑戦となる麻生太郎幹事長(67)=麻生派=が国会議員票(387票)のうち230票を固め、6割を確保したことが11日、産経新聞の調査で分かった。47都道府県連に各3票割り当てられた地方票(141票)でも麻生氏の優勢が伝えられており、1回目の投票で麻生氏が過半数を獲得する公算が大きくなった。他の4候補は必死の巻き返しを続けており、決選投票に持ち込めるかが焦点となる。

 調査は10、11日に各陣営や各派閥幹部、国会議員らから聞き取り取材し、独自に集計した。

 それによると、麻生氏は各派から幅広く支持を集め、国会議員票の過半数である194票を20票以上も上回った。次いで与謝野馨経済財政担当相(70)=無派閥=が50票前後を固め、小池百合子元防衛相(56)=町村派、石原伸晃元政調会長(51)=山崎派、石破茂前防衛相(51)=津島派=らも20~30票をそれぞれ固めた。20~30人はいまも態度をはっきりさせていない。

 派閥別にみると、二階派は全員、伊吹、麻生、高村各派もほぼ全員が麻生氏を支持。第3派閥の古賀派は会長の古賀誠選対委員長ら過半数が麻生氏支持に回った。津島、山崎両派でも、過半数近くが麻生氏支持を表明した。

 一方、2位の与謝野氏は、参院津島派が11日に支持を表明、古賀派でも旧谷垣派を中心に3割近くが支持している。しかし、かつて所属していた伊吹派が4日に早々と麻生氏支持を決めてしまった上、支持を期待していた衆院津島派も石破氏の出馬などで、「非麻生」の受け皿となるシナリオが崩れ、苦戦を強いられている。

 小池氏は、所属する町村派で最高顧問の森喜朗元首相が8日に麻生氏支持を表明したことを受けて半数以上が麻生氏に流れ、支持勢力は11日に表明した中川秀直元幹事長ら約20人にとどまった。石原氏も所属する山崎派の3割、石破氏も津島派の3割程度しか固められていない。

URL:http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/177757/



麻生過半数突破の勢い 地方で圧倒、地滑り

自民党総裁選は10日告示され、「大本命」の麻生太郎幹事長(67)のほか、与謝野馨経済財政担当相(70)、小池百合子元防衛相(55)、石原伸晃元政調会長(51)、石破茂前防衛相(50)の5人が出馬した。政治評論家の小林吉弥氏が、22日投開票される各候補の獲得票を予測したところ、麻生氏が過半数突破の勢いをみせ、独走しているという。自民党が“ボロ隠し総選挙”の顔として、麻生氏を指名する公算が強まっている。

■政治評論家・小林氏が票を読む

 「総裁選の焦点は、(1)次期総選挙の顔になるか(2)経済政策への支持が高いか-の2点に絞られた。これに合致する候補は麻生氏しかいない。決選投票なしで、麻生氏が1回目の投票で勝利を収める」

 選挙予測で定評のある小林氏は話す。獲得票予測は、最新の各種世論調査や党内各派閥の情勢、地方県連の動向などをもとに、小林氏が独自に分析した。

 まず先に投開票される地方票(141票)だが、小林氏は「麻生氏100票、与謝野氏11票、小池氏15票、石原氏10票、石破氏5票」とみる。麻生氏が全体の7割以上を獲得する圧勝ぶりだ。

 「地方の麻生人気は高い。景気が急速に冷え込むなか、財政出動も視野に入れた麻生氏の経済政策は受け入れられやすい。県連は3票ずつ持つが、麻生氏が地滑り的に票を集める」

 「与謝野氏の『増税容認論』はやはり敬遠される。小池氏には『反麻生』『非麻生』票がある程度集まる。石原氏は『親の七光』が目立ち、線が細い。危機的な自民党を牽引できない。石破氏は外交・安保は強いが、内政は未知数だ」

■麻生嫌い根強く…議員票は「218」

 帰趨を決める国会議員票(387票)は、どうか。小林氏は「麻生氏218票、与謝野氏96票、小池氏25票、石原氏25票、石破氏23票」と分析する。

 地方票のような大差にならない背景について、小林氏は「麻生派(20人)と伊吹派(28人)、二階派(16人)は『麻生支持』でほぼ固まっている。他派閥は麻生氏優勢だが、割れている。政策の違いもあるが、党内の『麻生嫌い』も根強いからだ。小池氏が所属する町村派(88人)は麻生支持が多いものの、与謝野、小池、石原各氏に票が流れる。石破氏が所属する津島派(70人)や、石原氏が所属する山崎派(41人)も3、4分裂状態」とみる。

■避けたい決選投票

 1回目の投票で、過半数(264票)を獲得する候補がいない場合、上位2人の決選投票となる。

 だが、小林氏は「決選投票になると党が二分した印象になる。自民党は総選挙前にそれは避けるだろう。ただ、麻生氏が絶対的権力を握るのも嫌う。地方票の開票後、絶妙な票の配分があるはずだ。キーマンは森喜朗元首相と青木幹雄元参院議員会長、古賀誠選対委員長だろう。全体で7割以上を獲得すれば圧勝だが、318票では6割程度で圧勝とはいえない」と話す。

 先月25日、夕刊フジの「総選挙 政党別獲得議席予測」で、小林氏は「福田首相で総選挙となれば、自民党は100議席減で下野する。麻生首相となっても過半数割れする」と分析した。

■舌禍飛び出し致命傷の危険性も

 福田首相による無責任極まる「政権放り投げ」後、候補者乱立となった総裁選に注目が集まり、自民党を直撃していた年金問題や後期高齢者医療制度などへの批判はやや薄らいだ。福田首相が演出したメディアジャックは成功したといえるのか。

 小林氏は「麻生、与謝野、小池の3氏による選挙戦なら、自民党にプラスだったが、石原、石破両氏が参戦し、山本一太参院議員までが出馬意欲を示したことで、総裁選が安っぽくなった。国民は『失政隠蔽のお祭り騒ぎ』『総選挙前のパフォーマンス』と冷めている。辞任表明から20日以上の長い総裁選は飽きられる可能性があるうえ、麻生氏の致命傷である舌禍が飛び出す危険性もある。計算通りにはいかない」と話している。

URL:http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/177432/


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