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「日本はもうゲーム先進国ではない」――岡本吉起氏が語る“世界に通用するゲームプロデュース”


日本最大級のゲーム開発者カンファレンス「CEDEC 2008」で講演を行うゲームリパブリック社長の岡本吉起氏に、講演内容として「いま、必要とされるゲームプロデュース」を選んだ理由や、ゲームリパブリック立ち上げから5年間が経っての今を振り返ってもらった。
 9月9日から11日にかけて開催される、日本最大級のゲーム開発者カンファレンス「CESA DEVELOPERS CONFERENCE 2008(CEDEC 2008)」。その開催に先駆け、「いま、必要とされるゲームプロデュース」という内容で講演を予定している、ゲームリパブリック社長の岡本吉起氏にインタビューする機会を得た。

 岡本氏と言えば、カプコン時代には「ストリートファイターII」シリーズや「バイオハザード」シリーズ立ち上げの功労者として知られ、独立した現在は経営者という新たな立場からゲーム業界に深く携わってきている。その岡本氏から見た“ゲームプロデュース”とは一体何なのか。CEDEC 2008開催前に、その講演内容について少しだけ語っていただいた。

あえて今、プロデューサーを再定義する

岡本吉起氏―― 今回、なぜプロデュースについて語ろうとしたのか教えてください。

岡本吉起氏(以下、敬称略) プロデュースと一口に言うけど、各会社で役割も違うし、定義も曖昧じゃないですか。だからこそ、あえて“プロデューサーって何ぞや”というのを、一度ハッキリ言葉にしておかなきゃいかんのかなと考えたんです。

―― 現場でも、厳密なプロデューサーの定義はないんですか?

岡本 ないでしょ。だからこそ一石を投じたい。と言っても、そんなにすばらしいことを言うつもりはなくて、こいつ当たり前のこと言ってるよとか、そうじゃないよとか思ってくれて構わない。これを叩き台にして、みんながプロデュースという仕事について考えて、話し合ってくれたらそれでいいんです。

―― 池にポチャンと石を投げ入れて、波紋が広がるのを見るような感じでしょうか。

岡本 そうそう。後は順番ですかね。ゲーム作りについては「GDC 2008」でもう語ってしまったんで、次は何にしようかなと考えて、やはりプロデュースだろうと。

―― 岡本さんの場合、カプコン時代と現在とでプロデュースへの関わり方ってかなり異なっていますよね。

岡本 独立してからは、ゲームのプロデューサーは一度もやったことないですよ。

―― え! そうなんですか?

岡本 エグゼクティブディレクターぐらいですかね。でもエグゼクティブ何とかなんて、実のところは“あんまり作業してませんよ”って意味じゃないですか(笑)。

―― そうですね(笑)。では、CEDEC 2008ではカプコン時代の話が中心になるのでしょうか?

岡本 いや、今回は“人や会社をプロデュースする”ってところに話を持っていこうと思っていて、単体のゲームタイトルについてのプロデュースにはあんまり触れるつもりはないんです。人を、会社をプロデュースするのもプロデューサーの仕事なんですよ。

―― 現在は立場上、会社をプロデュースしていると。

岡本 そうそう、そういう話です。ゲームを売ろうと思ったら、それを作ってる人も売っていかないと、結果的にゲームも売れないんですよ。カプコン時代にも「今日からプロデューサー制度を取り入れるからね」と言われて、一気に7人くらいプロデューサーを売り出すことになった。一方では僕自身も自分で自分をプロデュースしなきゃならなくて。後は会社のブランディング。例えば昔のカプコンは“2D格闘一色”みたいなところがあった。そこに次世代ハード(当時のプレイステーション)へ軸足を移していくにあたって「バイオハザード」みたいなタイトルを投入していくとか、そういうのも一種のプロデュースと考えられますよね。

―― いろんなプロデュースの定義や見方があるんですね。

岡本 プロデューサーの根底はこれじゃないんですかって話から入って、後は分かりやすい参考例なんかを挙げながら語っていこうと考えてます。


「ゲーム先進国」の座を奪われつつある日本
―― もうひとつのポイントになりそうなのが、“世界に通用するゲームプロデュース”という部分だと思います。

岡本 うん、そこはもう大前提。日本市場がシュリンクしている中で、“世界に通用する”ってことは必須条件なんです。そもそも世界に通用する人間、ゲームを育てていく気がないんなら、プロデューサーなんかいらないですよ。

―― 海外での「グランド・セフト・オート4(GTA4)」の販売本数なんかを見ても、ここ2~3年で完全に日本と世界の温度差が浮き彫りになってきた感があります。

岡本 浮き彫りになってきたどころか、もう遅すぎるくらいですよ。ファミコンの頃には、日本のゲームが全世界の70%を占めてた。それが今では、せいぜい15%とか20%とかじゃないですか。今は海外の方がゲーム先進国なんです。彼らはGTA4みたいなタイトルを、5年も10年かけて作ってきてる。それに今から追いつこうと思っても、その間に彼らはもっと進歩していくわけですよ。でも、だからといって諦めちゃったら、もう一生追いつけなくなる。



―― 日本のゲームと海外のゲームの決定的な差ってどこにあると思いますか。

岡本 もう、明らかに方向性が違いますね。日本人が作るゲームって、不満が少ないゲームなんですけど、言い換えれば自由度が低い。海外のは本当にすごいですよ。トイレで水を流すとか、手を洗うとかいったことが当たり前のようにできる。どうでもいいだろ! って思うんですけど、そういった部分にもしっかりとプログラマーがついている。

―― トイレで水を流す専門のプログラマーが(笑)。

岡本 でもこれって、ゲームと映画の違いを明確に表してる気がするんです。よく日本のゲームを指して“映画的”って言いますけど、それってつまり一本道ってことですよね。でも西洋人は、映画とはまったく違うものをゲームに求めた。

―― 演出面だけ見たら、GTA4もかなり映画的なゲームですけど、日本のそれとはベクトルがまったく違いますよね。日本のゲームは、観客視点での映画的ですけど、GTA4は自分が映画の主人公そのものになった視点で遊べる。

岡本 これをもし今の日本の会社が作ろうとしたら、「どうぶつの森」のチームくらいしか、本当の意味でその感覚を持っているところはないと思うんです。後は「シーマン」。僕は斎藤由多加さんのことをシーマンって呼んでるんですけど(笑)。

―― シーマンの生みの親だからですか?

岡本 シーマンの声は斎藤由多加さん本人がやってるんですよ。シーマンって「おはよう」とか「起きてるかー」とか話しかけると、いろいろリアクションをしてくれるじゃないですか。あれって、大体こっちが言うことを想定していて、それぞれに対してリアクションを返してるだけなんですけど、ただシーマンの場合、その対応の幅がとにかく広い。これって海外のゲーム作りに通じるところがありますよ。

―― こんな言葉にまで反応するの! みたいなところが面白かったですよね。

岡本 その分、作業量もものすごい。あれをもし声優さんでやってたら大変なことになっちゃいますね。あれは彼自身の声だからこそできたんですよ。

―― なるほど。

岡本 というか、同じマンションに住んでたんですよ。面白かったですよ、夜中の2時過ぎに「岡本さーん、腹減った! チャーハン作って!」って電話してきたり。それで「オレ明日4時半起きだから勘弁してよ」って言った瞬間、もう玄関のチャイムが「ピンポーン」って。ドアの前かよ! みたいな(笑)。ほかにもね……。

(この後、延々15分ほど斉藤さんの話題で盛り上がる)

―― あの、そろそろ元の話題に……。

岡本 ああ、そうだった(笑)。とにかく今の日本ではまだ一本道のゲームが主流ですけど、それはいずれゲームじゃないとか、前世代のゲームとかきっと言われるようになるはずです。

―― やがては国内でも、一本道のゲームから自由度の高いゲームへとシフトしていくと。

岡本 シフトしていかないと生き残れないでしょ。

―― それはメーカーだけでなく、ユーザーもということですか。

岡本 実は僕が一番問題だと思ってるのは、ユーザーが世界に通用するゲームをプレイしていないことなんです。将来クリエイターになる人たちが、世界に通用するゲームを知らずに育ってしまうことが怖い。だから僕はカプコン時代に、「グランド・セフト・オート3(GTA3)」を何とか日本でも発売しようと努力したわけです。

―― GTA3は未来のクリエイターへの教科書だったと?

岡本 教科書というか、道標ですね。後は“市場を育てる”という意味もあった。世界が面白いと言ってるものを、日本人だけが理解できないのは悲しくないですか。何よりユーザーが世界のゲームを受け入れてくれないと、メーカー自身がそっちに移行できない。イモを作っていた時代からコメを作る時代に変わるんだったら、早いうちに手を打っていかないといけないんですよ。

自分のゲームで、周りを幸せにしたい
―― 岡本さんが独立されてから、今年でちょうど丸5年になりますが、5年間を振り返ってみていかがですか?

岡本 今の社員数がだいたい300人くらいなんですが、本音で言えば、当初僕が考えていたビジョンよりも、規模としては少し小さい。でも想定内ですよ。当初5年目のMAXとしては、500人もあるし、逆に80人くらいというパターンもありえると思ってた。

―― 当時のインタビューなどで語っていた退社理由のひとつに“やりたいこととのズレ”というのがありましたが、具体的にやりたかったことというのは?

岡本 一言で言えば、新規のタイトルを立ち上げたかったんですよ。あの頃、僕が会社から期待されていたタイトルは続編だった。でも、ゲーム市場は新規タイトルがあって成長するものじゃないですか。そこに考え方のズレがあった。後は先ほどから言っているように、日本のタイトルが世界に通用しなくなっている時代だからこそ、世界中の人にもっと日本のゲームを楽しんでもらいたかった。

―― 5年前から、すでに日本が出遅れつつあるのを感じていたということですか。

岡本 あの頃はまだ、ニンテンドーDSもWiiも発売される前だったから、まさかここまで任天堂が成功するとは思わなかったんですよ。独立する時に僕がやりたかったことって、実は全部任天堂がやっちゃいました。今にして思うと、大それた夢を持っていましたね。あれは任天堂くらいの規模があって、初めてできることだった。

―― 最近のゲームリパブリックが関わったタイトルは何でしょう?

岡本 直近だと、ニンテンドーDSの「ドラゴンボールDS」が9月18日に発売されますね。少年時代の孫悟空を描いた、無印の「ドラゴンボール」としては久々のタイトルです。

―― ドラゴンボールDSは岡本さんのところで開発されていたんですね。

岡本 ほかの人が持っているコンテンツを、自分なりに料理したらどうなるか、っていうのも一度挑戦してみたいことのひとつだったんです。ドラゴンボールのゲーム化って言うと、今では「ドラゴンボールZ」が完全に主流なんですが、無印だって掘り起こせるんだということを示したかった。後は単に僕が好きなんですけど(笑)。

―― では、無印で行こうという提案は岡本さんのほうから?

岡本 そうそう。というか、悟空が動いて、ブルマがいて、如意棒で戦っているところまで作ってから持っていったので、「大体できてるじゃんか」と言われました。そういえば、カプコン時代にコラボレーションしたタイトルの中には、ほとんど完成してから持っていったものもありましたね。

―― それは持ってこられた側も驚いたと思います。

岡本 あの時は「西からヤ○ザがやってきたぞ!」って笑われましたよ(笑)。

―― 今後の目標としては?

岡本 大きいところでは、自分たちのゲームを遊んだ皆さんが、何らかの影響を受けて、幸せな気持ちになってくれることですね。「ストリートファイターII」を作った時、僕はそれができたと思ってるんです。練習して練習して、最後に昇竜拳が決まって相手が吹っ飛んでいって、それでまた明日も頑張ろうと思った人や、将来クリエイターになろうと思った人、本当に格闘技をやろうと思った人がいただろうと。あれと同じようなことがもう一度できたらいいなと思いますね。バイオハザードの時は、怖かった怖かったばかり言われたんで、あんまり幸せにはできなかったと反省してるんですが(笑)。

―― 私もストリートファイターIIで幸せになったひとりです。

岡本 小さいところでは、まずは一緒に頑張ってくれてるゲームリパブリックの社員から幸せにしてあげたいですね。みんなが喜んでくれることが僕の幸せですから。

―― 自分の幸せより、まず周りを幸せにしたいと。

岡本 それが僕の一番の幸せなんです。その結果としてよいゲームが作られることにもなるし、ユーザーが喜んでくれることにもつながっていく。全部つながってるんですよ。マザーテレサの言葉で、「世界を平和にしたいなら、まず家族を幸せにしなさい」ってありますけど、その通りですね。

―― きれいにまとまったところで、CEDECの講演、楽しみにしています。

岡本 たぶんガッカリさせますよ(笑)。大勢の人の前で話すのって苦手なんです。少人数で、こうやって向かい合って話す分にはいいんですけどね。

―― いえ、きっと講演を聞いてゲームリパブリックに入ろうという若い人が……。

岡本 それだったらありがたいんですけどね。逆に講演を見て、がっかりして人が抜けてったりしてね。なんだよあのオヤジ、含んだ言い方してて結局アレかよみたいな(笑)。

―― オチもついたところで、本日はどうもありがとうございました。



URL:http://plusd.itmedia.co.jp/games/articles/0809/08/news091.html
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